プロローグ 転生前のライバル(♀)がTS男子
この物語は百合60%、TS要素20%、おふざけ15%、違和感5%=趣味100%で出来ております。
プロローグ
『20××年、地方都市にて発生したストーカー被害は、被害者の友人が死亡するという形で幕を迎えました。当初、ストーカー被害者への対応の悪さに地元警察はマスコミやネット上でバッシングを受けたものの、すぐにそれは鳴りを潜めました。その原因は、死亡した友人の経歴がネット上に公開された事を起因していたものだと当時の記録が物語っております。
被害者友人は強姦被害者の非嫡出児でした。
彼の実家は敬虔な―――教一家であり、堕胎は許されず母親は彼を出産後、精神を病んで自殺。祖父母や親戚からも厄介者扱いされた事に対しては一定の同情があったものの、彼自身の素行に問題があったから殺されたのではないか、彼自身がストーカーだったのではないかと憶測がネットを駆け巡り、事実は事実ではなくなり、推測が事実に塗り替わって行きました。
彼がいわゆるオタク趣味の持ち主であったのがそれに拍車をかけたのであろうと推測します。現にそのような記述もネットの至る所で確認できました。ストーカー被害者の女性が声を上げた時には既に遅く、彼が死んだことは犯罪者の遺伝子を残さなかったという意味で賞賛されることとなりました。そんな非科学的な理由に基づいたバッシングによりストーカー殺人を犯した犯人よりも被害者の友人である彼の方が憎まれるというのは皮肉を通り越して狂気の沙汰です。
彼の葬儀は行われず、親戚一同は彼の死亡届を提出しただけで彼の存在をこの世から葬りました。その死亡届も被害者の女性が全て代理で記述したものでした。当時、私は別の事件を追っていました。その関連でたまたま役所に伺った時に、見覚えのある女性を見掛け、声を掛けたのが彼女でした。別件とはいえ、その機会を逃すのは余りにも惜しく、事情を説明すれば彼女は、快くインタビューを受けてくれました。インタビューを終えた後、『彼ほどストイックに真面目に生きてきた人間を私は知りません』遠い目をしてそう語った彼女の痛ましさを今でも覚えています。
その後の彼女の事は皆さまご存知の通りです。
世紀の天才。
そう呼ばれるに相応しい業績をあげています。研究者として全世界で賞賛されるに至り、地球の歴史を、人類の歴史を変えたとさえ言われている彼女です。二十代後半にフィールズ賞を得た後、一時米国で教鞭をとった後に行方不明となり、今年で7年目となりました。彼女の両親から出された失踪届により死亡認定がなされる年です。一時彼女を狙った某国の拉致かと思われ、世間を賑わせましたが、それも結局のところ分からぬままです。行方不明以後に彼女の技術に類するものが出ていない以上、それもないように著者は思います。
行方不明となった当日、彼女の研究室の机の上に置かれていた手紙にはこういった事が書かれていたといいます。『まじめに生きた人間が損をする世界に未練なんて何もない。楽園はきっとどこかにある』それはきっと彼の事を言っていたのだろうと私は考えています。
彼女が最後に行っていた研究は、並行宇宙の可能性というSFじみた内容でした。それが彼女の失踪と何か関係があるのではないだろうかと、そう思ってしまうのは私だけではないでしょう。彼女の業績を見れば、それはおのずと分かる事です。
この世界を諦め、彼が生きている世界に移動したのではないか。そんなロマンチックな事さえ思います。彼女の友人だった女性は、そうだったら良いと笑みを浮かべて笑っていました。』
『世紀の天才 直江京の失踪を追う』より
背に感じる芝生の感触、轟々と耳に響く風の音に意識が戻って来た事を理解する。強い風の音と曇天模様の空の色。今にも雨が降って来そうなその空模様を横になりながら、呆と見ていた。
しばらくそうしていれば案の定雨が降り始めた。
小雨だった。
ぽつぽつと頬を打つ雨が髪に、額に、鼻に、唇に触れる。
「生きて、いる」
そんな自分の言葉に唖然とした。
唇を伝い、頬を伝う雨の冷たさなんて気にもならないぐらいに、唖然とした。
「なるほど、そういう事もありますか」
自分の声が自分ではないような、いいや、事実違う声が聞こえた。小さな体躯の女の割に低めの声である、という評価を受けていたが、今の声はそれよりもさらに低い声だった。野太いというわけではない。あえて分かり易く表現するならば、少年のような声だった。
もっとも、そんな感慨を浮かべているのも暫くの事だった。寧ろ、その事実よりも、そんな真面目な喋り方に慣れてしまっている自分が何だかおかしくなり、笑ってしまった。昔はそんな事なかったのに。
雨に打たれながら芝生の上で横になったまま笑う年齢不詳の女―――いや、男。
それが、私だった。
芝生の上で大の字になったまま、嗤う。三十数年の間一緒に過ごしてきた女の体が無くなった事への感慨はあまり浮かんでこない。どうでも良い、というのが正直な所だった。きっと普通の人ならば慌てふためくに違いない。けれど、私はそれをそれとして是とできるような、そんな人間だった。性差など、正直どうでも良い。男だろうと女だろうと。けれど……そんな私でも思う事はあったようだった。自然、それが口を衝いて出ていた。
「だとすると、先輩が女という可能性もあるわけですか」
それはそれはちょうど良い。あのヒロイン染みた先輩を、嫌がる先輩を無理やり押し倒して色々するのもまぁ、楽しいのではないだろうか。男となった今ならばそれも許されるかもしれない。なんて、そんな物騒な発想が咄嗟に思い浮かぶ辺り、私は所詮---の娘なのだろう。
「この下種」
自分を罵倒する。
何が世界最高の科学者であり数学者であり物理学者だ。所詮、性欲を理性で制御できない動物でしかない。寧ろ、四六時中発情している事を思えば動物以下だ。それを証明するかのように、ほぼ全ての男性が体験しているだろう寝起きに発生するソレとは違う理由によってアレがズボンを押していた。
「この下種」
酷い違和感を覚えながら、再び同じ言葉を口にする。
そうしていれば、自然、自分自身が収まって行くのを感じる。とても奇妙な感覚だった。元々存在しない場所がズボンに押されて痛む。ファントムペインとはこんな感覚だろうか。そんな初体験を済ませ、次いで浮かんだ感情は不便だな、というものだった。
若い頃憧れすら抱いていたふたなりという存在も大変なのだな、と馬鹿馬鹿しい発想を浮かべれば、ふいに思い返す。あの人が生きていた時に一緒に馬鹿のように語り合っていた頃を……。
「男根主義者だったっけ」
他人の声で、他人事のように言う。
以前の自分よりも少し低い声に、あの人もこんな感じの声をしていただろうか。そんな事を思った。
どうだったろう。もう遠い昔のことだ。忘れてしまった。忘れたくないのに、時の流れと共に忘れてしまっていた。絶対に忘れたくないとあの時は願ったのに。それでも薄れていくのが人間の記憶。使わない記憶はどんどん整理されて奥の方へと、奥の方へと消えて行く。とても大事な宝物のように奥深くに仕舞っていたあの人の記憶を、私の所為で死んだあの人の事を忘れたくなんて無かったのに。
私の―――のことを忘れたくなどなかったのに。
でも、それでも最初に願った事が成功したというのは事実だった。目的と手段を吐き違えるかのように手段にばかり注視していた所為でもっとも大事だった事が薄れている自分の馬鹿さ加減に辟易しながらも、けれど、成功した事への喜びはあった。
死んで、魂となり、別の世界の他人へと乗り移る。そんな馬鹿馬鹿しい実験は成功したのだ。それだけは嬉しいと思った。限りなく0に近い確率に勝ったのだ。
いいや、まだ勝ちではない。それよりも更に確率の低い事に成功していなければ勝ったなんて言えない。
「タイムマシーンがあったら何がしたい?……でしたっけ?」
自分の言葉にハッとした。
あぁ、忘れていなかった。私は先輩の言葉を忘れていなかった。その事が嬉しくて、自然、涙が頬を伝う。
暖かかった。
雨に濡れる私にはちょうど良い暖かさだった。
最後の日。あの日聞いた言葉をまだ私は覚えていた。それがとても、とても嬉しくて……私は暫く、その場で泣き続けた。河原の芝生に大の字に横になり、雨に濡れながら。
「今度こそ、私のヒロインになってくれると嬉しいですね」
もう一度会いたいと思った。
もう一度会えたらと願った。
だから、夢を見た。
戯言のような夢を描いた。
そして、それは少しばかり前進した。