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最期の言葉

 爆音が遠くに近くに響いている。辺りを見渡せば、硝煙を上げながら沈没していく味方の艦船が遠くに見えた。敵艦隊に囲まれて、逃げもせずにそこに踏みとどまっていた艦隊は、すでに3機を残すのみ。10機はいたであろう味方艦船は、相次ぐ敵の砲弾で、海の藻屑へと姿を変えた。

 潮の香りを含んだ風が、時折波を荒立たせていく。敵の砲弾が海面に投下され、ゆらりと戦艦が揺れて波を被った。浅く海水を引いた甲板を見詰める視線が険しくなる。敵艦隊に鋭い視線を送ると、島桐海軍兵は小さな吐息をこぼしたのだった。


 次から次へと沈没させられていく味方艦隊を、島桐は何も言えぬ心境で見詰めていた。いずれ、この艦船も沈没するのだろう、そんな思いが頭をよぎる。そしてふと、隣りで必死に通信を送る子佐島の姿が目がいった。島桐は敵艦隊の動きを横目で捕らえながら、彼の姿形に目を馳せる。さらりと揺れた横髪が強い日差しを浴びて薄茶けた色に透き通り、敗戦を目の当たりにして蒼白な顔を縁取っていた。綺麗だ、そう思わせられる姿形に、それ以上に勝気で、意地っ張りなその性格に惹かれていた。射抜くような鋭い視線が前方に送られて、真剣な表情で信号を受け、返そうとした矢先に。

 SOSを発信していた最後の味方艦船が、敵の集中砲弾を浴びて息をつく間もなく海へと呑まれていった。煙火に燃えた艦隊が、ゆるゆると波間へと姿を消していく。ほんのわずか、二人はその戦艦へと視線を奪われた。そしてお互いの視線を合わせると、小さく黙祷を捧げた。

 残るは、この、自分達が乗船している艦船だけだ。仲間を失った悲しみに浸る間もなく、敵の艦隊が一斉にこちらに向き直り、発射筒がこちらに照準を合わせるのが見える。島桐はそれを見るとうっすらと瞳を細めてみせた。眉を顰め、険しい表情になる。


「敵艦隊、右舷!」


 子佐島が叫んだ。

 島桐はその言葉にはっとしたように右側を見た。そこには、数え切れないほどの艦隊がこちらに照準を合わせている姿が目に入ってくる。発射筒が轟音を発して、砲弾が放たれた。わずかな硝煙を確認して、衝撃に身を構えた。


 ごぉおおおん……。


 激音と共に船体が大きく揺れる。敵の放った砲弾は、戦艦の後部に命中したようだった。流れるように後ろに船内を引きずられて行き、壁に叩きつけられてからようやく止まる。背中に、鈍い痛みが走った。眉を顰めて辺りを見ると、奇妙に傾いた波間が外に見えた。痛みに小さくうめいた子佐島の声が耳に入ってくる。


 ──この船も、もうダメか……。


 島桐は苦い表情を浮かべて、子佐島を見やった。痛みに顔をしかめながらも茫然と窓の外を見詰めるその視線と固く結ばれた口唇が、痛々しく思える。島桐は子佐島から視線を外すと、「総員退避、だ。子佐島……。」言いながら彼の手を取った。掴んだ彼の手はひんやりとしていて、いまの状況がどんな状況であるかを悟らせる。


「いやだ! 俺は逃げない!」


 子佐島が震えた声で叫んだ。ギリ、と島桐を睨みつける鋭く険しい瞳には、怒りのためか涙が浮かんで見えた。きつく見据えた先には、敵艦隊。


「逃げるんだ!! 生きて帰ると、約束したんだろう?!」


 島桐はそんな子佐島に怒鳴りつけた。子佐島には十も年の離れた妹がいた。

 その言葉に、はっとした表情を浮かべて子佐島が下口唇を噛み締める。出征の日、幼い妹にそう約束したのだ。小さな手を握り締めて穏やかに微笑んでいた子佐島の姿が、昨日のことのようにしっかりと記憶に刻み付けられている。


『おにいちゃん、かえってくる?』


 幼い問いかけに、子佐島は苦笑いを浮かべて、きっと帰ってくるよ、そう約束したのだ。

 軍服に身を包んだ子佐島が、小さな微笑みと共にそうポツリと言ったことを島桐は忘れることはなかった。そのときに見せた彼の微笑みは、とても嬉しそうで、そして、悲しそうで。生きて帰れないかもしれないというその事実を伝えるには、あまりにも幼くて。

 島桐は子佐島の手を強く引っ張ると、甲板へと向かっていった。船体は大きく傾いて、他の戦闘員が所狭しと駆け回っている。いろいろなところで、叫び声が聞こえてくる。


「総員退避!」


 その叫び声だけが虚しく響く中、海に浮かべられた心もとないボートがゆらゆらと波間を漂っていた。


 どぉおおおおん……。


 すでに沈みかけていた戦艦を、ふたたび敵の砲弾が襲った。

 ズブリと海に呑まれるかのように、戦艦がまた、海へと深く沈む。バラバラと降って来る船体の破片が、次から次へと負傷兵を増やしていった。島桐たちも例外ではなかった。破片を避けながら斜めに傾いた甲板を走っていく。海水に湿って滑る甲板を、しまいには這うようにして先頭へと進んでいった。


「子佐島、早くボートに!」


 叫んだ島桐の足に、船体の破片が当たる。千切れるようなその痛みに、島桐は言葉を飲み込んだ。鮮血が辺りを濡らしていく。


「島桐!!」


 ボートに乗ろうとして、子佐島が振り返った。足をやられて先に進めなくなった島桐を助けようとする。差し伸ばされた手を島桐が掴もうとしたその瞬間、ふたたび戦艦は大きく海へと沈んだ。スルリと、掴もうとした手が離れた。島桐は甲板の金属の部分にしがみ付いて、子佐島へとうっすらと微笑みを浮かべてみせる。


「……俺は大丈夫だ。だから早くボートへ行くんだ!」


 ぐ、と堪えた拍子に、ふたたび破片を受けた足から鮮血がこぼれていった。子佐島はそれを見ると、声を振り絞って叫んだ。そして、島桐のほうに向かってこようする。必死の形相で、涙をこぼして。歯を食いしばって、島桐へと手を差し伸べる。


「早くつかまってくれ!」


 子佐島の必死の呼びかけにゆうるりと首を振った。島桐は答えられない。いまここで彼の手を取ったなら、共々助からないと分かっていたのだ。緩やかに穏やかに、島桐は微笑みを浮かべて何度も何度も首を振る。


「何故だ?!」


 叫び声に、子佐島の瞳から大粒の涙がこぼれて落ちた。


「早く行け! 俺のことはいいから、早く!」


 尚も行こうとしない子佐島に、島桐は最後の力で怒鳴りつけた。スルリ、と甲板の金属部分を掴んでいた手が離れる。


 ──終りだ。


 ずる、と身体が甲板を滑り落ちようとした矢先、島桐の手を力強い感触がぎり、と掴んだ。ふと見上げると、細腕のどこにそんな力があったのか、子佐島の手が島桐の腕をがっちりと掴んでいた。瞳には溢れる涙を浮かべて。

 掴んで、島桐を引きずり上げる。ほんのわずか、二人はお互いを抱き締めるかのように抱きあった。すぐ近くに、子佐島の綺麗な泣き顔が見える。島桐は手を伸ばしてその頬を愛しそうに撫ぜた。島桐に穏やかな微笑みが浮かぶ。負傷した足はすでに感覚がなくなり、痛みも朦朧としていた。子佐島のわずかに震えた口唇が、島桐の手にそっと触れる。子佐島の手が、島桐の手を包むように握り締めた。島桐の心に愛しさが込み上げてくる。島桐は堪えていた想いが堰を切って流れ出したような錯覚を覚え、涙に濡れた頬にそっと口唇を寄せると、小さな微笑みを浮かべて囁いた。


「子佐島、俺はお前が好きだ。だから、……お前には生きて欲しい。それが、俺の望みだ。……すまない。」


 島桐は言うなり、子佐島が掴んでいた自分の身体を引き離した。力の入らなくなってきた身体が、スルリと甲板を滑って波へと呑まれていく。差し伸ばした子佐島の両手は、虚しく空を掴んでいた。


「しまぎりー!!!」


 子佐島の叫び声が聞こえて閉じかけた瞳を子佐島のいるほうへとむける。かすかに子佐島の姿が見えたが、島桐にはもうそれに答える力は残ってはいなかった──。


 子佐島は艦船と共に消えていく島桐の姿をただ見送るしかできなかった。最後に触れ合った指先の感触だけが、頬に寄せられた口唇の感触だけが、子佐島に残った。囁きは、それと同時に姿を消した。子佐島は、茫然と波間に消えた島桐の姿を、他の戦闘員に無理矢理ボートに乗せられるまでただ見詰めるしかできなかった。


 海へと消えていった島桐の最期の言葉は、いつまでもいつまでも子佐島の心にこだまし続けた。


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