再会
──激戦区。
敵軍の砲弾をわずかに交わしたものの、破片で右腕を負傷した司馬は、ゆらりと歩きながら衛生兵の元へと行った。ようやく敵の戦闘機が帰還し始めたころだ。一般人を非難させる間もなく落下してきた爆弾は、すでに焼けて焦げた地面を更に火の海へと変化させていく。
砲弾の欠片を腕に受けた司馬は、ぽたりと滴り落ちる自分の血を忌々しげに睨みつけると、負傷兵の傷の手当てをしている軍医テントへと足を向けた。
がしゃりと重々しく置いた鉄砲は、射撃するヒマもなく受けた砲弾の欠片によって、わずかながらの原型を留めてはいたものの使い物になりそうになかった。加速度的に不機嫌になる。
「おい。止血する布をくれないか。」
不機嫌なままに身近にいた、大柄な一人の兵士に声を掛ける。そして、その衛生兵の姿を見るなりかすかに息を呑んだ。
「佐波、か?」
司馬の小さな問いかけは聞こえなかったのか、佐波と呼ばれた兵士は、布を手に振り返った。
「はっ。……司馬少尉殿! 負傷なされたのですか?」
振り返って佐波は、声を掛けた司馬を見るなり目を見張った。司馬の、ほっそりとした腕からは、少量とは言えない血液が流れ落ちていたのだ。
「今すぐに止血を。」
「……かまわん。自分で出来る。お前はほかの兵士を見てやれ。」
佐波の手が司馬の腕を捕らえる前に自由の利く左手を佐波に突き出すと、無理矢理布を奪い取った。本来なら、痛さのあまり卒倒していたとしてもおかしくはないその傷に、軍服を捲り上げてからギリギリときつく受け取った布を巻いていく。
佐波はその腕を茫然と見詰め、思わずというように手を出していた。自由の利かない利き腕に、自由の利く左手ではうまく布が巻けていなかったからだ。
「放っておけ、と言わなかったか。」
額にわずかに浮いた汗が、傷の痛みを物語っているようで、佐波は無言のままに司馬の手から布を奪い取る。司馬の白く細い腕を捕らえて、その細さにわずかに驚いてしまう。しかし、何もなかったかのように佐波は傷のあるほうの腕の袖を引きちぎった。布の裂ける音が辺りに響く。
「……少尉殿、私がやります。そのお手では、少々止血に困難なさっている様子。少しでも早い止血を望むのなら、私にお任せください。……こう見えても、私は衛生兵なのですよ。」
無理矢理に苦笑を浮かべて、改めて司馬のその腕の傷を見た。思ったよりも深いその傷に、ゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「……かすり傷だ。」
そんな佐波に気がついたのか、司馬はうっすらと微笑みを浮かべると、ぽそりと呟いた。もともと肌の色は白いほうなのだろうが、出血のためか痛みのためか、ますます青白くなっているように見える。佐波は傷の少し上をきつく布を巻きつけると、「止血です。」感情を押し隠した、淡々とした声色で司馬に告げた。
「分かっている。」
ほんの一瞬だけ痛みに顔を歪ませて、仰け反った。息を飲むような小さな声が聞こえて思わず止血の手を止め、司馬を見る。先ほどの厳しい視線ではない柔らかな視線に、佐波の鼓動がどきりと跳ね上がった。
綺麗、と表される司馬の、そんな表情を過去に一度見たきりで、それから二度目だったからだ。柔らかな視線と共に気力も限界に達したのか、司馬の身体がゆっくりと佐波の腕に倒れていく。佐波は司馬の身体を抱きとめると、愛しそうにその身体を抱き締めた。
ここでは、満足な傷の手当てなどできるはずもなく。いや、いまではこの大地のどこへ行っても、満足な傷の手当てなどできる状況ではなかった。佐波は崩れ落ちた司馬の身体を抱きかかえると、少しでも柔らかな場所へと連れて行ったのだった。
数時間が経過して、辺りはすっかり漆黒の闇へと包まれる。
司馬の額に浮いた汗も負傷したための発熱も、ようやく収まっていていた。佐波はなんとか少しでも時間を見つけては司馬の額に置いた冷たい布を交換しては様子を見、汗をふき取っていた。しかし、それはわずかな時間でしかなく、負傷した兵士を次から受け入れ、傷の手当てを繰り返していった。
怒涛のような負傷兵も、深夜を回ってやっと落ち着いてきた。わずかながら自由の利き始める時間だった。
佐波は他の衛生兵と交代で負傷兵を看病して回ることになって、ようやく、司馬の元へと駆けつけた。青白い顔が闇夜に浮かぶ。そのありさまは、近づいて触って体温を確認しないと恐ろしいほどだった。
佐波は迷わず司馬の頬へと指を這わす。ほんのりと温かい体温と、規則正しい呼吸音とが聞こえてきて、生きていると分かってホッとする。つかの間、うっすらと司馬の両目が開いて、佐波の姿を確認した。
「……佐波、か?」
少々掠れた声が、ポソリと囁くようにこぼれ落ちた。
「はい。少尉殿、大丈夫でありますか?」
佐波も、司馬に聞こえる程度の声で安堵の微笑みをうっすらと漏らした。司馬の手が額へと伸ばされて、冷やしていた冷たかった布を取り払った。手の中にある布を見て、佐波を見る。むくりと身体を起こしてから、ゆっくりとした口調で佐波に問う。
「これは、お前が?」
「はい、少尉殿は発熱しておられたので。」
佐波は言うなり、司馬の額へと手を伸ばした。ほんの一瞬、司馬の身体が強張っていく。それには気が付かず、佐波は安堵の微笑みを浮かべると、「良かった! 下がっておられますね。」嬉しそうに笑みを深めた。
「……そうか。感謝する。」
司馬はふいと横を向くと、気が付いたように佐波を見た。
「お前、仕事はどうした?」
「今は休憩中の身なので。先ほどまで走り回っておりました。」
佐波は大柄な身体をわずかに屈めると、司馬に向かってクスリと笑った。こんなときでも、他の兵士の心配をするのはあなたくらいですよ、そう続けてゆったりと完全に腰を降ろした。
「……放っておけと言っただろう。」
司馬はまたしてもふいとそっぽを向いてしまう。佐波はかすかに微笑みを浮かべると、そのまま話を続けた。
「あなたの部下であった頃、よくあなたは周りのことや部下のことを心配されていましたね。自分のこともよく、あなたは心配なされておいでだった。でも、部署の配置換えがあって、あなたから離れてしまって。……こうして、あなたが負傷しなければ会う事もありませんでしたね。」
最後の語句は、笑みを消した強い口調が含まれていたように思えて、司馬はぎょっとしたように佐波を見た。
ほんの数ヶ月前まで、この男は自分の隊の一員だったのだ。右足の大きな負傷で歩行が困難になり、衛生兵へと自ら志願していった。足の傷は完治していたようだったが、歩くときはわずかに引きずっている。
白兵戦での出来事だった。敵陣へと先陣切って突撃していく司馬の後を付いてきていた佐波。敵弾を交わし、刀でなぎ払い次々と倒していく。しかしほんの一瞬の隙を突かれて司馬は敵の弾を交わすことができなかったのだ。そのとき、身をていして庇ったのが、この男、佐波であった。そして、右足を負傷した。
それ以来、まともに話した事はなかった。そうだ、この男の言う通り、こんなところで負傷しなければ会う事はなかったのだ。司馬はコクリと息を呑んだ。佐波を見る視線が覚束なくなってくる。
「佐波、俺は……。」
司馬がなにか言いかけて、それを遮るかのように強い視線を佐波は送った。続く言葉は聞きたくないと言わんばかりに。その視線に言葉を飲み込んで、そのまま佐波と視線を絡め合わせてしまう。その視線の理由は明白だった。
最後の、隊を離れるときの最後の挨拶で、佐波は司馬に告げた言葉がある。
『敵の弾を受けたのが、あなたでなくてよかった。──あなたには、あなたはこの戦争が終わるまで生き残るべきです。もしもあなたが負傷したとき、私は不自由な右足を断ち切ってでも、あなたに二度と負傷はさせませんよ。』
それは、自己の感情を押し殺したような低い声色が告げた、告白めいたものだった。
司馬は上官である手前、「──今の言葉は聞かなかったことにする。──下がれ。」と冷たく言い放ち、そのまま佐波が部屋を出て行くまで、目線を合わせることはしなかったのだ。
「私の、この足を断ち切ってでも、あなたをお守りしたかった。」
佐波の大きな手のひらが、司馬の頬へとそっと触れる。その手のひらに促されて、司馬はわずかに上を向いた。佐波の真摯な瞳に正面から見詰められて、司馬はその視線に耐え切れずに横を向く。しかし、頬に触れた手のひらがそれを許さなかった。真っ直ぐに見詰められ、司馬はどうしていいのか分からなくなる。コクリ、司馬の細い咽喉が唾を嚥下したとき、佐波は耐え切れず、というようにそっと己の口唇を司馬のそれへと合わせていた。
強く突き放されるかと思った佐波だったが、その司馬の口唇を啄ばみ吸い上げ、口内までもを犯していったが、一向に司馬は抵抗しなかった。代わりに苦しそうな吐息が時折こぼれ落ちる。
抵抗しない、というよりは、司馬は抵抗出来なかった。
あの時冷たく突き放し、去ってゆく佐波の背中を見詰めながら、司馬は彼の思わぬ言葉に心乱された。もう会う事はないだろう、そう思っていたのにふたたび、こうして会ってしまって。そして、司馬はなぜあのときこの男の言葉であれほど動揺し、言葉を放った男の瞳を直視できなかったのか悟ってしまった。
司馬も、この佐波に惚れていたのだ。
負傷した腕を庇うようにゆっくりと抱き締めてくる腕を、司馬は払いのけることはしなかった。
抱き締めて口唇を犯し、ようやく離れていったとき、「──なぜ、抵抗なさらないのです……?」静かな問いが司馬の耳に囁かれた。なぜ、そう問われた司馬は、一気に自分の頬が紅潮していくのが分かった。司馬はゆっくりと佐波の胸を押しやると、小さな声で佐波の名を呼んだ。
「……佐波。」
掠れる声が、さきほど口付けた口唇からこぼれ落ちていく。震える口唇を、佐波はもう一度強く吸い上げた。背中を引き寄せて、自分の腕の中へと司馬の身体を包み込む。
触れ合った口唇の隙間から、佐波は吐息混じりに囁いた。
「……あなたを、ずっとお慕いしておりました……。」
その言葉を聞いたとき、気丈な司馬の瞳からひとしずくの涙が零れ落ちていったのだった。




