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能く魂は千里を走る

 キーンという甲高い音をたてて、戦闘機が頭上を飛び去っていった。それはみるみるうちに小さくなってあっという間に空に消える。次から次へとそれらは飛び立ち、そして舞い戻ってくる。しかしそれは拙い動きをしていた。

 航空隊操縦練習生による離陸の練習が行われているのだった……。


「要! いるのか、要!」


 不機嫌に怒鳴る声がした。

 かなめ、と呼ばれた青年は、離着陸の練習をしている戦闘機を見詰めながら土手に寝転んでいた。もちろん、戦闘服を着ている。むくりと身体を起こすのもだるいと言うように、声だけを「要」と呼んだ青年に返した。


「ここにいるよ、七弥ななや。」


 ひらひらと手を上げている要を声の主である七弥は発見したらしく、土手の上から険しい声が聞こえてくる。要が起き上がってそちらを見ると、漆黒の髪を靡かせて、七弥が何か怒ったように言っていた。要はそれを見て、綺麗だと思う。直進的な性格の男だった。成績は優秀で、隊の中でも人気がありいつも人が集まっている。面倒見のいい男らしく、練習をサボり気味の要をいつも気にかけていて、そうしてお説教に来る。


 ──いつも飽きないよな……。


 所詮はいつも同じ内容だ。要はふたたび寝転がった。内容は分かっている。

 ──要は何故、いつも練習をさぼるのか、というのだ。しかし、要にしてみれば、何故こんなにも必死に離陸の練習をしなければならないのかと、不思議に思う。だって、帝国はすでに先が見えているというのに。噂はよく聞く。しかし事実なのかどうかは分からない。


 ──何が、神風精神だ……。


 行きだけの燃料で、機体ごと敵機に突っ込んでいくと聞いた事がある。それが、離陸の仕方を重点に置いた練習しかしなかった、練習生の役割だと。先が見える帝国のために、自らの命を投じるなど馬鹿らしいことだ。──それは要の考えではあったが。しかし、心の中では誰しもが思っていたのかも知れない。


「要! お前また練習をサボっただろう!」


 七弥は土手を滑るように降りてくると、要の隣りに仁王立ちをした。凛とした声が辺りに響く。


「離陸の練習だろう? ……着陸の練習ならいくらでもするけどな。」


 要は溜め息混じりに七弥に言い放つと、寝転んでいた身体を起こした。そうして七弥を見据える。その視線はまるで、──お前だってこのお国の行方を知らないはずがないだろう──そう言っているようだった。

 七弥は一瞬言葉を失う、その要の強い視線に射抜かれて。


「しかし、離陸の練習をしなければ、着陸の練習は出来ないぞ。」


 それでも搾り出した言葉は、まるで教科書から切り取ったようで。


「知っている。」


 要は怒ったように、そして七弥の言葉を切り捨てるかのように吐き捨てて、言うと立ち上がって歩き出した。その後を、七弥が慌てたように追う。

 長身の後ろ姿は、まるでいまのすべてを拒んでいるようで、七弥は掛ける言葉が見つからない。それでも、七弥は要の後を付いて行くしかなかったのだ。

 無言の背中を見詰めながら、七弥は軽く溜め息をついた。

 七弥とて、要の気持ちが分からないわけではなかった。特攻しかない、と分かる。離陸の練習をこうまで重点を置かれてしまっているのでは。行きの燃料しか積まず、敵機に突っ込んでいく、そんな噂も数限りなく耳にした。そして、帝国軍がすでに「負け」の一途を辿っていることも。

 しかし、戦争が終わらない以上、七弥たちは飛ぶしかないのだ。しかし要はそれを受け入れない。要はそれを「犬死」だと言う、まるで吐き捨てるかのように。抉るような視線が七弥を突き刺してくる。死を恐れているのか、と訊いた事があったが、要はゆっくりと首を振って「違う」と答えていた。


「七弥。お前、俺の後を何故付いて来る?」


 背後に七弥がいる気配を感じて、振り返りざま要が問う。風に靡いた要の髪は日本人離れしていて、淡い茶色に輝いていた。綺麗だと、七弥は思う。見据えてくる瞳も髪と同じ色をしていて。


「ただ、お前が心配なだけだ。」


 七弥はそう言うと、要の隣りに並んで歩く。自分よりもわずかに高い要の見据える目線を追いながら。遠い空を見詰めたまま、要はわずかに目を細めた。そうして、隣りに並ぶ七弥のことを見下ろす。七弥にはその瞳に浮かぶ感情が見えてこない。


 要は、空の向こうになにかを見つけていたのだろうか。しばらく七弥を見詰めていたが、その表情からは何も窺うことは出来なかった。わずかに険しい表情を浮かべてはいたが、それは七弥に向けられた感情ではなく。要はそうしてしばらく七弥を見詰め、空を仰ぐと、何かを振り切ったように微笑んだ。七弥に向かって。見詰めていた空に向かって。


 要はそれから数日後、自ら特別攻撃隊に志願し、舞鶴へと旅立った。晴れやかな笑顔を残して、七弥に軽く手を振って。


 七弥には、要がどんな気持ちで行ったのか分からなかった。行きたくないと言っていた要が、自ら死への旅立ちをしたのだ。

 最後に見た要の笑顔はとても晴やかでいて。


『七弥、俺が生きて帰ってこれたら、何故「犬死」だと言ったのか教えてやるよ。』


 別れ際の要の言葉。要はそう七弥に告げて二人で一枚だけ撮ったことのある古ぼけた写真を七弥に渡した。それきり、踵を返していなくなってしまった。振り返ることも無く、七弥の呼びかけに答えることも無く。それ以上語らなかった要の背中が、七弥には遠く感じられた。


 それから数日後、要の所属した特別攻撃隊が玉砕したと聞いた。生還者は一人も無く、彼らの乗った機体は海の泡となったという。


 そして、七弥は自分も特別特攻隊に志願した。あの日見た要の笑顔を思い出して。要と同じように空を見詰めて。

 遥か彼方に見えた青い空の上に、晴やかに笑っている要の笑顔が見える。最後に見たあの笑顔のまま要は微笑んでいる。七弥は要が見えるそこへ行きたいと思った。

 そこに見える要となら、もしかしたら大空を飛べるかもしれないな、七弥はそう思った。


 しかし、運良く七弥は生きて還ってきた。

 片足を失い、高熱にうなされている七弥の夢に、あの日見た要の最後の笑顔が何度も浮かぶ。

 何かを吹っ切ったかのように、晴やかに笑う要が。でも、近づくと要は近づいた分だけ離れていってしまう。そして、いつも浮かべていた強い視線で、七弥を拒絶するのだ。


 ──要。


 弱々しく差し出した七弥の手を、要は微笑みを浮かべながらゆったりと首を振ってそれを拒絶する。そうして、要はどんどん遠くへ行ってしまう。


 七弥は置いていかれたくなくて、要の後を追って必死に走る。さし伸ばした手に辛うじて要の上着を掴むことができて、足を止めさせた。苦笑と悲しさの入り混じった微笑みを浮かべた要が振り返り、七弥を見詰める。

 軽い溜め息が洩れ、要はいつもと同じように強い視線を七弥に向けた。ゆっくりと視線を外し、足元を見詰めた要から、「仕方ないから、教えてやる。」といつものような乱暴な口調が吐き出された。


『……お国のためじゃない。お国のためなんかじゃなかったんだ。俺は、俺の想い人を命に代えても守りたかっただけだ。けして俺たちは、お国の為に生きていたわけじゃない。俺たちは、俺たちの為に生きていたのさ。そうは思わないか。この言葉の意味が分かるか──七弥。』


 七弥の手から、するりと要の上着が抜けていく。悲しげな微笑みを浮かべると、要の姿はうっすらと揺らぎ不意に消えてなくなってしまった。


「──かなめっ!」


 七弥は要の名を呼んで目が醒めた。古ぼけた写真は、七弥の手元に残っている。それを見詰めて、七弥はぽたぽたと涙をこぼした。もう、要には会う事はない。共に写真を撮られることがいやだったのか、憮然とした表情を浮かべた要がそこには映っていた。写真を胸に抱き締めて、七弥は尽きるとも耐えない涙をこぼし続けた。

 その七弥の髪に何かが触れる。優しく置かれた手の感触は、七弥の知っているその感触だった。


『もう、泣くな。』


 七弥の要の声が聞こえてきた。はっとして顔を上げるとそこには、戦闘服を着たままの要が立っている。七弥が毎日探して言葉を交わしていたあのときのままの姿で、要が立っていた。


「かな……め……?」


 七弥の呟きにうっすらと笑みを浮かべた要は、写真を指差すと『まだ持っていたのか。』そう言って七弥を見る。苦笑に変わった笑みを浮かべて困ったように、要が七弥の頬を撫でていく。そしてもう一度、『だから、泣くな。』そう告げた。


「かなめ!」


 触れた手がゆっくりと離れていき、踵を返した要の背中に七弥の呼びかけが届く。ゆったりと振り返った要は今度こそ困ったような表情を浮かべて七弥を見詰めた。軽く瞳を伏せてから、ふいに強い意志を帯びた瞳が、七弥を見据えた。


『お前は生きろ。』


 告げると同時に、要の姿がふわりと消え失せた。

 七弥は要の居たところを見詰めると、溢れてくる涙を拭いもせずにただ小さく頷いた。そんな七弥の耳に、要の声だけが響く。


 ──ただ、お前を守りたかったんだ、七弥……。


 七弥はその声が聞こえてくると、写真の要を見詰めてうっすらと微笑んで見せた。流れる涙はまだ止まらないけれど、俺は生きるよ、と七弥は要に告げて窓から見える空を仰ぐ。そのとき、あの日なぜ要が自分と空とを見詰めたのか分かった気がした。




 く、魂は千里を走るという。

 伝えたいことを伝えたい人に伝えるために。


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