第6話 専属契約
フレンチトーストを完食したクラリスは、至福の表情で紅茶を啜っていた。
空腹が満たされ、服の着心地も最高。
ここ数年で、これほど心穏やかな午前中はなかった。
(……全部、ベラのおかげだ)
目の前で、ベラが次の仕事――クラリスのハンカチの刺繍――をしている。
その横顔を見ていると、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
(この人を、手放したくない)
それは、上司としての評価ではない。
もっとドロドロとした、独占欲に近い感情だった。
もしベラが他の部署に異動になったら? 他の騎士の服を直し、他の誰かにこの食事を作ったら?
想像しただけで、胃の腑が冷たくなる。元の孤独な世界には、もう戻れない。
その時、コンコン、と扉がノックされた。
「失礼します。……あの、ベラさんはいますか?」
顔を出したのは、隣の第一班の若い騎士だった。
「俺の制服のボタンも直してほしくて……ベラさんの腕が良いって評判なんで」
ベラが「はい」と立ち上がろうとした瞬間。
ガタンッ!
クラリスが猛烈な勢いで立ち上がり、椅子を倒した。
「だ、団長?」
「……帰れ」
クラリスの声は、今朝の朝礼よりも低く、地を這うようだった。
その瞳には、かつての「氷の処刑人」以上の、嫉妬の炎が宿っている。
「帰れと言っている! 貴様のボタンなど、自分でつけろ! さもなくば引きちぎってやる!」
「ひ、ひぃぃぃっ! す、すみませんでしたぁっ!」
騎士は悲鳴を上げて逃げ出した。
ベラがきょとんとしていると、クラリスは肩で息をしながら振り返り、ベラに指を突きつけた。
「ベラ・ガーランド!」
「は、はい」
「本日をもって、貴様を私の『専属衣装係』兼……『専属調理係』に任命する!」
クラリスは顔を真っ赤にして、しかし視線だけは逸らさずに叫んだ。
「貴様は、私の許可なく他の者の服を直してはならない! 料理を作るのも私だけだ! ……これは業務命令だ、拒否権はない!」
それは、あまりにも自分勝手で、子供じみた命令だった。
けれど、その言葉の裏にある「私を見捨てないで」という必死な響きを、ベラが聞き逃すはずがなかった。
ベラはふわりと微笑むと、優雅に膝を折って礼をした。
「謹んでお受けいたします、団長。……可愛い係ですこと」
「うっ……か、可愛いとか言うな! 私は上官だぞ!」
口では抗議しながらも、クラリスは安堵で泣きそうになっていた。
これで、ベラは自分のものだ。
その安心感に浸っていたクラリスに、ベラは不敵な笑みを浮かべて近づいた。
「では、専属になったからには、徹底的に管理させていただきませんと」
「む……? 何をするつもりだ?」
「団長。先ほどから見ていましたが、まだ呼吸が浅いです」
「えっ」
「軍服は直しましたが、その下……下着のサイズが合っていませんね?」
クラリスがビクリと体を強張らせた。
「ま、まさか……」
「コルセットもブラジャーも、貴族学校時代のものを無理して使っていませんか? 成長期を過ぎた体をそんなに締め付けては、血流が悪くなって冷え性が悪化します」
「だ、だからといって……!」
「測り直しましょう。今すぐ。すべて」
ベラの目が、職人のそれ(獲物を狙う目)に変わった。
「ま、待て! ここは執務室だぞ!」
カチャリ
「カギをしましたからこれで誰も入れません。さあ、脱いでください」
「嫌だ! 恥ずかしい! そこまでは頼んでない!」
「専属係の業務遂行です。……はい、捕まえました」
逃げようとしたクラリスの手首を、ベラが優しく、しかし確固たる力で掴んだ。
執務室の隅、ベラが即席で取り付けたカフェカーテンの裏へ、クラリスが引きずり込まれる。
+++
再び、廊下の騎士たち。
彼らは扉の前で、中の様子を固唾を飲んで伺っていた。
そこへ、不可解な会話が漏れ聞こえてきた。
「あっ、だめ……ベラ、そこはっ……!」
「じっとしていてください。力を抜かないと、入りませんよ」
「無理だ! きつい! 入らない!」
「大丈夫です。ゆっくり広げますから……ほら、いい形です」
「ひゃぅっ! つ、冷たい……メジャーが、当たって……!」
「はい、胸の周りも測りますね。……あら、意外と大きいですね」
「見るな! 言うな! んぁ……っ!」
シーン……。
廊下の騎士たちは、石化していた。
「……おい」
「……ああ」
「『入りません』って、何を……」
「『広げます』って……」
ガチャリ。
騎士の一人が、膝から崩れ落ちる音がした。
「団長は……もう戻れないところへ行ってしまわれたんだ……」
「甘い匂いの中で、あんなことを……」
執務室の中で行われているのが、極めて健全な(ただし本人は恥ずかしい)身体測定であることなど、知る由もない。
数分後。
カーテンから出てきたクラリスは、髪を乱し、涙目で、頬を紅潮させ、肩で息をしていた。
「……お、鬼……」
「これで正確な数値が出ました。明日までに、肌触りの良いシルクで、締め付けない下着を縫ってきますね」
ベラは満足そうにメモを取っている。
クラリスは悔しそうに制服を整えながら、それでもベラに向かって小さな声で言った。
「……その、なんだ。……期待して、待っている」
「はい。お任せください」
二人の間には、確かに温かい絆が芽生えていた。
ただ、執務室の外でのクラリスの評判は、「部下を薬物で陵辱させ禁断の快楽に堕ちた氷の女王」という、とんでもない方向に爆走を始めていたが。




