第4話 魔法の裏地
どれくらいの時間が経っただろうか。
ベラは作業の手を止め、ふと顔を上げた。
「……団長?」
返事はない。代わりに、スースーという規則正しい寝息が聞こえてくる。
クラリスはソファの上で丸くなり、猫のように眠っていた。
「ふふ。……無防備ですね」
ベラは微笑んで、彼女の横に座り、乱れた銀髪を指で梳いた。
普段は「氷の処刑人」として張り詰めている少女が、今はこんなにも幼い顔で眠っている。その目元には、隠しきれない隈が浮かんでいた。
(相当、無理をしていたのね)
ベラは作業を続けるため、少し体勢を変えようとした。
その時、寝返りを打ったクラリスが、ゴロンと転がってきた。
「んぅ……」
そして、あろうことか、ベラの太ももの上に頭を乗せて止まった。
「……あら」
完璧な膝枕の形だ。
ベラは少し驚いたが、退かすことはしなかった。
クラリスが、ベラの腰に回した手に力を込め、顔をスカートの生地に擦り付けてきたからだ。
「……あったかい……」
寝言のように呟く声。
それは、ただの物理的な温かさへの渇望だけではない、もっと深い場所にある孤独の吐露のように聞こえた。
(……貴女をこんなに凍えさせたのは、誰?)
ベラの胸に、探偵としての義憤と、お針子としての保護欲が同時に湧き上がる。
妹の死の真相を知るためにも、この少女の心を開かせなければならない。
けれど、今は――。
「おやすみなさい、小さなお姫様」
ベラはクラリスの頭を優しく撫でると、再び針を持った。
この子が明日目覚めた時、世界で一番優しい鎧を纏えるように。
夜は静かに更けていく。
魔導コンロの残り火が、二人の影をゆらゆらと壁に映し出していた。
+++
翌朝。
小鳥のさえずりと共に、クラリスは目を覚ました。
(……よく寝た……)
こんなに深く眠れたのは、いつぶりだろう。
泥のように眠り、夢さえ見なかった。
体の節々の痛みも消え、頭が驚くほどクリアだ。
「ん……」
クラリスは大きく伸びをしようとして、自分の頭の下にある「枕」の感触が、いつもと違うことに気づいた。
柔らかくて、温かくて、弾力があって。
ゆっくりと目を開ける。
目の前にあったのは、エプロンの紐と、見覚えのあるスカートの柄。
視線を上げると、上から覗き込むベラと目が合った。
「おはようございます、団長」
ベラは朝日を背負って、爽やかに微笑んでいた。
「あ……」
クラリスの思考がフリーズする。
自分が今、部下の膝の上で、しかも腰にしがみついて寝ていたという事実が、遅れて脳に到達した。
「~~~~っ!!??」
クラリスはバネ仕掛けの人形のように飛び起きた。
顔から火が出る。いや、全身が沸騰しそうだ。
「な、ななな、何をしている貴様ぁっ!!」
「何って、膝枕されてるんですが」
「なぜ退かさない! け、蹴り落とせばよかっただろう!」
「そんな。気持ちよさそうに寝ていらしたので、可哀想で」
ベラは悪びれもせず、徹夜明けとは思えない涼しい顔で、ハンガーに掛けられた軍服を指差した。
「それより、見てください。完成しましたよ」
そこにあったのは、昨日までと同じ軍服――のはずだった。
だが、クラリスには分かった。
肩のラインが滑らかになり、襟の角度が微調整され、全体的に柔らかな立体感を帯びている。
クラリスは震える手で袖を通した。
「……!」
驚愕に目を見開く。
軽い。羽衣を纏ったように軽い。
首周りのチクチクした不快感は消え失せ、裏地のコットンリネンが、洗いたてのタオルのように優しく肌に吸い付く。
動いても、どこも突っ張らない。
まるで、自分の体の一部になったかのようだった。
「……どう、ですか?」
ベラが不安そうに聞いてくる。
クラリスは、こみ上げてくる何かを必死に堪え、ぶっきらぼうに言った。
「……悪くない」
それが精一杯だった。これ以上喋ると、涙声になりそうだったからだ。
「そうですか。それは良かったです」
ベラは嬉しそうに目を細める。
そしてベラは、身支度を整えるために一度官舎へ戻ることとした。
執務室を出たところに、出勤してきた同僚がいた。
「べ、ベラ……? 生きてたのか……?」
恐る恐る聞いてきたのは、昨日の騎士たちだった。
彼らは、徹夜明けの怪しいテンションのベラを見て、そして部屋から漂うカボチャスープの残り香に気づき、困惑した。
「あ、あれ? ベラ、お前無事だったのか?」
「ええ。とても充実した夜でしたわ」
ベラが意味深に微笑む。
その様子を見た騎士たちは、ひそひそと囁き合った。
「充実した夜って、どういうことだ……」
「きっと団長に洗脳されて、おもちゃにされたんだ」
「もう自分の意思では発言できてないな、あれは」
誤解は解けるどころか、より深まっていく。
けれど、クラリスの背筋は、昨日よりもずっと真っ直ぐに伸びていた。
ベラの縫った「魔法の裏地」が、彼女を支えていたからだ。




