第2話 初めての採寸
「ひゃうっ……! そ、そこはくすぐったい……!」
「動かないでください団長。ウェストも測らないと、重心のズレが直せません」
クラリスは顔を真っ赤にして、涙目で身をよじっていた。
ベラのメジャーが脇腹を通るたび、ビクビクと背中が跳ねる。
拷問ではない。ただの採寸だ。
だが、人との接触が極端に少ないクラリスにとって、これは未知の衝撃だった。
(近い……! 近すぎる……!)
ベラが数値を読むために顔を近づけるたび、長いまつ毛が見える距離になる。
ベラの吐息が首筋にかかり、心臓が破裂しそうだ。
何より、ベラの体温が、服越しに伝わってくる。
冷え切ったクラリスの体にとって、ベラはまるで歩く暖炉のようだった。
無機質で冷たいメジャーと暖かいベラの抱擁が、交錯する。
「……ひぅ」
背中に回されたベラの腕の中に、すっぽりと収まってしまう屈辱。
普段は部下たちに恐れられている自分が、このお針子の腕の中では、まるで借りてきた猫のように無力だ。
「はい、深呼吸して」
「う、うぅ……」
言われるがままに息を吸うと、またあの日向の匂いが肺いっぱいに満ちる。
強張っていた筋肉が、意思に反してとろりと緩んでいくのが分かった。
このまま、この温かい腕に凭れ掛かってしまいたい――そんな甘い衝動が湧き上がり、クラリスは慌てて唇を噛んだ。
「……採寸、終了です」
ベラが体を離すと、急に周囲の空気が冷たくなった気がして、クラリスは無意識に手をベラの方へ伸ばしかけた。
「あ……」
自分の行動に気づき、ハッとして手を引っ込める。耳まで真っ赤だ。
ベラは何事もなかったように微笑むと、裁縫箱からリッパー(糸切り)を取り出した。
「では、応急処置をしますね」
ベラの手際はおそろしく早かった。
クラリスが着たままの軍服の襟の縫い目を、迷いなく解いていく。
数ミリ単位で芯地をずらし、首に当たる角度を変え、見えない位置に小さな切れ込みを入れて圧力を逃がす。
ものの数分だった。
「はい、これでどうですか?」
ベラがポン、とクラリスの肩を叩く。
クラリスは恐る恐る首を回してみた。
「……!」
痛くない。
今まで首を万力で締め付けられていたような圧迫感が、嘘のように消えていた。
呼吸が深く入る。肩の重荷が降りたように軽い。
「魔法……?」
呆然と呟くクラリスに、ベラはくすりと笑った。
「いいえ、仕立て直し(リペア)です。……貴女の体は、もっと優しく扱われるべきですから」
その言葉に、クラリスの心臓がトクン、と大きく跳ねた。
優しく扱われる。
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだったかもしれない。
後見人のヴァルデングでさえ、クラリスを「強くなれ」「氷のように冷徹であれ」としか言わなかった。
「……べ、別に、礼など言わないぞ」
クラリスは顔を背け、冷めて不味くなったスープの皿を睨みつけた。素直にお礼を言う方法が分からないのだ。
「職務だからな。当然のことだ」
「ええ、その通りです」
ベラは怒る様子もなく、穏やかに頷いた。
そして、帰り際にふと足を止め、クラリスの机の上を見た。
「団長。そのスープ、もうお下げしてよろしいですか?」
「……まだ残っている」
「冷めたスープは体に毒ですよ。明日は、もっと温かいものを用意しますから」
そう言い残して、ベラは部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
再び静寂が戻った執務室。
しかし、先ほどまでの「墓場」のような冷たさは、どこかへ消えていた。
クラリスは、ベラが触れた自分の襟元を、そっと指でなぞった。
緩められた襟の隙間から、まだ微かに、あの日向の匂いが香る。
「……ベラ、ガーランド」
名前を口の中で転がしてみる。
不思議と、ズキズキ痛んでいた頭痛も引いていた。
クラリスは誰も見ていないことを確認してから、机に突っ伏し、自分の袖――ベラの匂いが移った部分――に顔を埋め、深呼吸をした。
「……あったかい」
それは、氷の処刑人の虚栄という塊が、ほんの少しだけ溶け始めた瞬間だった。
+++
廊下に出たベラは、ひとつ大きく息を吐いた。
その顔からは、先ほどまでの慈愛に満ちた笑みは消え、鋭い探偵の顔に戻っていた。
(第零班・班長兼任のクラリス団長……。噂通りの冷徹な人物かと思ったけれど)
ベラは自分の指先を見つめる。
触れた時に感じた、小動物のような震え。強張った筋肉。そして、あの潤んだ瞳。
(あんなに脆い子が、本当に妹の死に関わっているの?)
ヴァルデング判事の直轄であるこの第零班が、事件の隠蔽に関わっている可能性は高い。だからこそ、そのトップであるクラリスに近づいた。
だが、ベラの針子の眼が見た彼女は、悪人というよりは――。
「……サイズが合わなくて、泣いている子猫ね」
ベラは歩き出す。
真実を暴くため。
そして、あの子の強張った背中を、もう少しだけ楽にしてあげるために。
廊下の隅で、二人の騎士が「ご、拷問が終わった……」「生きて出てきた……」と腰を抜かしていることには、ベラは気づかなかった。




