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女騎士団長様の仕立て直し ~その心、私が優しく縫い合わせます~  作者: 団田図


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第1話 氷の処刑人と針子

 王都グラン・アヴェルラは、巨大な城壁に守られた石造りの都だ。

 春の陽気が降り注ぐ第一地区の大通りを、一人の女性が歩いていた。

 ベラ・ガーランド、二十八歳。

 豪奢なドレスが行き交う貴族街には似つかわしくない、飾り気のない麻のワンピースに、使い込まれた大きな鞄。そして胸には、大切に抱えた木製の裁縫箱があった。

 

 ベラは王立騎士団本部の巨大な正門を見上げ、足を止めた。

 威圧的な鉄格子の向こうには、国を守る鋭い剣たちがひしめいている。だが、ベラの栗色の瞳に宿っているのは、畏敬の念ではない。

 静かで、決して消えることのない残り火のような決意だった。


(エミリー。約束するわ)


 一年前に死んだ妹の笑顔が脳裏をよぎる。

 洋品店を共に営んでいた妹は、ある日突然、不可解な死を遂げた。店は放火され、灰になった。治安維持局は「事故」として処理したが、ベラは知っている。妹の遺体に残されていた、鋭利な刃物による切断面。あれはただの火事ではない。

 真相を知る手がかりは、妹が最後に納品に向かったこの場所――王立騎士団にある。

 

 ベラは一度だけ深く息を吸い込んだ。

 緊張に強張る体とは裏腹に、彼女からはふわりと、洗い立てのリネンと日向のような優しい匂いが漂った。すれ違った衛兵が、思わず振り返って鼻をひくつかせるほど、それは平和そのものの香りだった。

 

「……よし」

 

 ベラは最愛の妹の無念を晴らすため、自らもその火の中に飛び込む覚悟で、巨大な門をくぐった。


+++


「いいか、これから向かう第零班ゼロは、ただの部署じゃない。未解決の猟奇事件や、騎士団内部の不祥事を処理する『汚れ仕事』専門の部署だ。まともな神経じゃ務まらない。だから団長が班長を兼任している」


 案内役の若い騎士は、先ほどから怯えたように早口だった。

 石造りの廊下は奥へ進むにつれて窓が減り、空気は冷たく淀んでいく。華やかな地上階とは異なる、地下独特のカビ臭さが鼻をついた。


第零班ゼロのクラリス・フォン・アルゼイン団長……通称『氷の処刑人』。彼女の不興を買って、氷像にされた部下は数知れないという噂だ。特に新入りは、挨拶の仕方を間違えただけで首が飛ぶぞ。……おかげで、ここ数年は志願者ゼロ。万年人手不足で、今や『針さえ持てれば誰でもいい』というザル審査だ。身元保証人がいなかろうが、即採用されるわけだよ」

「あら。そんなに暑がりな方なんですの?」

「は?」

「氷がお好きという意味では?」


 ベラが小首を傾げると、案内役の騎士は「こいつ、正気か?」という顔で絶句した。

 だがベラは天然を装いつつ、冷静に騎士の背中を観察していた。

 

(歩くたびに右肩が下がっている。制服の左脇腹あたりに、不自然なシワ……。なるほど、昨日の訓練か何かで脇腹を痛めているのを隠しているのね。無理をして庇うから、歩き方が歪んでいる)

 

 ベラの目は、ただの目ではない。

 長年、下町の洋品店であらゆる客の体を採寸し、補正してきた経験が培った『針子の眼(スティッチ・アイ)』。

 人の重心のズレ、筋肉の強張り、服の摩擦。それらを見るだけで、相手の体調や次の動作、あるいは隠している怪我さえも見抜いてしまう。


「ここだ。……俺は帰るからな。絶対に失礼のないように!」


 案内役は逃げるように去っていった。

 目の前には、分厚い鉄の扉。プレートには『第零班』とだけ記されている。

 ベラは裁縫箱を握りしめる手に力を込めた。

 ここが、妹の死に関わるかもしれない場所。そして、自分の新しい戦場だ。


+++


 扉の向こう、第零班執務室。

 そこは、墓場のように静まり返っていた。


 窓のない部屋を照らすのは、魔導ランプの青白い光だけ。壁一面の棚には古い捜査資料が乱雑に詰め込まれ、部屋の中央には未決裁書類が塔のように積み上げられている。

 その書類の山の向こうで、少女が一人、昼食をとっていた。

 

 クラリス・フォン・アルゼイン。二十二歳。

 銀の髪は月明かりのように輝き、透き通るような白い肌は、まさに「氷の処刑人」の名にふさわしい冷ややかな美貌を持っていた。

 だが、その食事風景はあまりに寒々しかった。

 

 高級な銀のトレイに乗っているのは、冷めきって油の膜が張ったスープと、石のように固いパン。

 クラリスは無表情のまま、スプーンを口に運ぶ。

 

(……砂の味がする)

 

 味などしない。ただ胃に何かを入れなければ、午後も持たないという義務感だけで咀嚼する。喉を通る冷たい塊が、胃の腑に重く溜まっていく。

 彼女には、食事を共にする相手も、温かい料理を用意してくれる家族もいない。

 

「……っ」

 

 不意に、クラリスは眉をひそめ、首元を押さえた。

 痛い。

 既製品の軍服の襟が、今日も容赦なく首の皮膚を削っている。

 

(肩が、割れそう)

 

 若くして団長に抜擢された彼女には、専用のオーダーメイドを作る暇も、それを頼める信頼できる相手もいなかった。支給された標準サイズの軍服は、華奢なクラリスの体には合わず、重すぎる肩パッドが僧帽筋を圧迫し、硬い襟芯が首を締め上げる。

 偏頭痛が止まらない。視界がチカチカする。

 それでも、背筋を伸ばさなければならない。自分は団長なのだから。弱みを見せれば、後見人のヴァルデング判事に失望される。

 

「私は……完璧でなければ……」

 

 その時、重厚な扉がノックされた。


 コンコンコンコン


 「入れ!」


+++


「失礼いたします」


 入ってきたのは、場違いなほど柔らかな空気を持った女性だった。

 ベラだ。

 クラリスは慌ててスプーンを置き、居住まいを正した。氷の仮面を被り、精一杯の威厳を込めて睨みつける。

 

「……貴様、何者だ。ここは許可なき者が入っていい場所ではないぃ」

 

 低い声を出そうとしたが、頭痛のせいで少し語尾が震えてしまった。

 しかし、侵入者は怯えるどころか、まじまじとクラリスを見つめてきた。

 

「本日付けで配属されました、衣装係のベラ・ガーランドです」

「衣装係? ……聞いていない。用は無い。出て行け」

「辞令は出ております」

 

 ベラは微笑みを崩さず、一歩、また一歩と書類の山を迂回して近づいてくる。

 その目は、クラリスの瞳ではなく、首元と肩のラインに釘付けだった。

 ベラの針子の眼(スティッチ・アイ)が、瞬時に情報を解析する。

 

(左肩が二センチ下がっている。これは服の重みのせいね。襟のサイズが合っていないから、首を動かすたびに喉の付け根あたりが擦れている。皮膚が赤く腫れて……可哀想に、炎症を起こしかけているわ)

 

 ベラにとって、サイズの合わない服を無理に着ている人間を見ることは、捨てられた子猫を見るのと同じくらいの緊急事態だった。

 妹の復讐のために潜入したはずなのに、目の前の少女のあまりの「着心地の悪さ」そう加減に、職人魂が悲鳴を上げたのだ。

 

「団長閣下。……頭、痛くありませんか?」

「な……」

 

 図星を突かれ、クラリスの瞳が揺れた。

 

「首も、ヒリヒリと焼けるように痛いはずです。その軍服、男性用のSサイズを無理やり詰めた既製品ですね? パターンが女性の骨格に合っていません」

「き、貴様には関係ない! 下がれ!」

「関係あります。私は衣装係ですから」

 

 ベラはつかつかと歩み寄り、執務机の横に回り込んだ。

 クラリスは椅子から立ち上がろうとしたが、机と書棚に挟まれた狭いスペースに追い詰められる形になった。

 

「ち、近寄るな! 私は『氷の処刑人』だぞ! 凍らせるぞ!」

「あら、怖い。でもその前に、その襟をなんとかしないと、綺麗な肌が傷になって跡が残りますよ」

 

 ベラの声は、脅しとは対極にあった。

 それは、夜泣きする子供をあやすような、絶対的な包容力を持っていた。

 

「じっとしていてください。採寸します」

「は……さ、さいすんだと……?」

 

 クラリスが呆気にとられている間に、ベラは鞄から愛用のメジャーを取り出した。

 逃げようとするクラリスの退路を塞ぐように、ベラがそっと踏み込む。

 

 その瞬間。

 ふわり、と温かい匂いがクラリスを包み込んだ。

 

「……っ」

 

 石鹸と、干したばかりのシーツのような、お日様の匂い。

 この冷たい地下室には存在しないはずの、生命の温度。

 クラリスの思考が一瞬停止し、身を預けたい衝動にかられた。

 幼い頃、一度だけ母に抱きしめられた時の記憶が、走馬灯のように駆け巡る。

 

「失礼しますね」

 

 ベラの手が、クラリスの首元に伸びた。


+++


 一方、執務室の扉の外。

 先ほどの案内役とは別の、二人の騎士が聞き耳を立てていた。

 第零班に配属されたばかりの、不運な新入りたちだ。

 

「おい、聞いたか? 中から新人の声がしたぞ」

「『氷の処刑人』に喧嘩を売ったらしい。……終わったな」

 

 二人がゴクリと唾を飲み込んだ、その時だった。

 中から、甲高い悲鳴が漏れ聞こえた。

 

「ひゃぅっ!!」

 

 扉の厚みを隔てても分かる、可愛らしくも切羽詰まった声。

 騎士たちは顔を見合わせた。

 

「い、今の声……団長か?」

「まさか。あんな可愛い声が出るわけないだろ。きっと新人が氷漬けにされてる断末魔だ」

 

「あっ、だめ……そこはっ……!」

 

 続いて聞こえてきたのは、潤んだような懇願の声。

 

「い、痛い……っ! んぅ……!」

「すぐ終わりますから、力を抜いて」

「く、首はだめぇ……! 変な声、出る……っ!」

 

 廊下の二人は凍りついた。

 

「……おい、これ」

「拷問だ。間違いなく拷問だ」

「首を絞めてるのか!? 『変な声出る』って、気道が圧迫されてる音じゃないか!」

「さすが処刑人……。新人をいたぶりながら楽しんでやがる……!」

 

 ガクガクと震え上がる騎士たち。

 彼らの脳内では、冷酷なサディストの団長が、哀れな新人お針子を氷の鞭で打ち据えている地獄絵図が完成していた。

 しかし、扉一枚隔てた真実は、まったくの別世界だった。

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