第8話
「ごめんね、急に」
歩き出した方向は元の道をたどっていたが、内海さんは途中で左に折れた。
ビルとビルの隙間を縫って歩いていく。
細長い空は、あれだけ分厚い雲がかかっていたのに、今は晴れている。おかげで日差しは、暑いより、痛い。
「もう少しゆっくりできたらよかったんだけど」
謝る内海さんに、僕はそれを否定した。
「いや、こっちこそ。内海さんこそ、大丈夫なの?」
「なにが?」
あっけらかんと問い返され、僕は思い出す。
内海さんは、人間に興味がない人だった、と。
でも、だからといって嫌われる行動はしたくないはずだ。
「英会話の教室、気まずくなるとか……」
「え? さっき謝っておいたし。あとは、《《大人の裁量》》でどうにかするでしょ?」
裕真はそれに鼻で笑った。
「確かにー。いい大人だもんねー」
「そういうこと」
二人は大人だなぁ。と、感心してしまう。
僕ならおどおどして、長く続けていた教室だろうと辞めてしまうかもしれない。
「ね、水野くん、あの話、どう思った?」
まさかの質問に戸惑いが顔に出てしまう。
言葉にしようとするも、一気に汗が吹き出してくるのがわかる。
これは暑さじゃない、緊張だ。
「いや、その、びっくりして。でも、その、本当に親友、助けたいのかなって」
「お、なんでそう思ったの?」
ずんずん歩いて行く内海さんがにっこり振り返って、左に指をさした。
「あ、こっちね、図書館。で?」
続きを促され、僕は言葉をどうにか組み立てていく。
となりの裕真はニヤニヤ顔だ。なんだか悔しい。
「その、結局は吾妻さん自身のこと、心配していた気がして……」
「そこまで考えたのー? 宙、すごすぎー!」
大した内容じゃなくてすみません。と言いたくなる茶化しに、僕は息をつく。
僕は、裕真や内海さんのような、頭の回転の速度を持っていない。いつも遅い。どれも、遅い。
『お前は鈍臭いね、ほんと』
幼少の頃に、何かするたびに父に言われた言葉が瞼をとおりすぎていく。
裕真はどこ吹く風で、僕の視線から外れると、内海さんの横に並んだ。
「内海ちゃんは、どー思ってたー?」
話しかけられた内海さんは、速度を緩め、僕の横に並び直した。
内海さんの背が僕より少し小さいことに今更気づく。
彼女の華奢な肩がぐっと張られ、顎が引かれた。
「佐藤くんは、どう思った?」
その声は、低い。
気軽な問いとは、少し違う。
「オレ? オレは、どうもなにも」
「思ってたんでしょ? 吾妻さんが親友を追い詰めた主犯じゃないか、って」
内海さんの声に裕真は答えない。
ただにっこり笑ったままだ。
数拍見つめ合い、仕方がないとでもいうように、裕真は小さく肩をすくめた。
「別に。なんか、スピってる系なのかなって」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「そう」
2人の会話はそこで終わった。
険悪なムードにならなかったのは、お互いが大人の対応をしたからだと思う。
ただ裕真の腹の底には、表面には見えないヘドロのような生き物が隠れている気がする。
もしかすると、もっと神聖な生物なのかもしれないが、僕には黒く、あまり美しい生き物には感じられない。
内海さんは話を区切るように、大きく腕を振り上げた。
「えっと、まず図書館に行って、20年前の3月にこういう事件があったのか調べようと思ってる。あと、司書のお兄さんが吾妻さんと歳が近いから、当時の状況を聞いてみようと思うの」
「そこまで考えてたの? すごい」
驚いた僕に、内海さんは笑って俯いた。
「いっつも調べものは図書館って決めてるだけ。だから、司書の人と話すことも多いし、そんな感じ」
僕とは真逆だと思う。
僕は全て部屋で完結できるように行動してきた。
調べるのも、誰かに聞くのも、全て部屋から発信、部屋で受け取りだ。
でも、内海さんは何かを使うために移動して、そこで調べて、考えている。
行動力の差、というのを見せつけられた気がして、僕の足がもつれた。
数歩遅れたことで、横にいた内海さんが前を歩く並びになる。
僕は、安堵に包まれた。
あぁ。人の背中を見ている方が楽だもんな……。
……そう、僕は、そんな人間だもん。
父親の笑った顔が瞼に浮かんた。
慌てて目を開くと、俯いた僕の前に、手が伸びている。
その手は僕の手首をすっと掴むと、引っ張った。
となりに引き寄せたのは、内海さんだ。
「車来てて。急に、ごめん」
さっと手を離して、少しだけ距離をおいた内海さんが、そっと声をかけてくる。
「ね、体調だいじょうぶ?」
「……え?」
「え、あ、ごめん……別に」
「そう? コンビニ寄ろ。暑すぎるし」
「内海ちゃんに、賛成! オレ、スムージー飲みたーいっ」
僕らはコンビニに入ると、縦に並んで飲み物の会計を済ませた。
僕は今度は炭酸を選んだ。
ただのサイダーだけど、甘くて、痛くて、青春の味がする。
図書館まではそれほど遠くなかった。
ただ、すっかり汗をかくには十分な距離ではあった。
図書館はとても涼しく、汗が急速に冷えていくのがわかる。
「着替え、もってくればよかった」
僕の独り言に、内海さんがくすりと笑う。
「さすがに着替えはないよね。空調、あんまり当たらないとこいこうか」
僕は初めての図書館で右往左往するなか、裕真は空いている4人掛けテーブルを見つけてきた。
僕はエアコンを目視、程よい空気循環であることを確認して、OKを出す。
僕と裕真は、どさりと荷物を広げるなか、内海さんは館内専用のノートパソコンを借りにいった。そのパソコンがあれば、データベースのある蔵書をなんでも検索できる仕様になっているという。
それこそ、データの検索も可能、各種新聞の過去記事閲覧もでき、紐付けで書籍の提案までしてくれる、画期的な専用ノートパソコンなのだ。
「すごく便利だねっ」
「ほんとー。オレ、知らなかったー」
パソコンを立ち上げた内海さんの後ろに並び、僕らはすごいすごいといいながら画面を見つめていると、内海さんがゆっくりと振り返った。
「あのさ、自由研究とか、しなかったの?」
僕と裕真は顔を見合わせ、同時に「「したけど」」といったきり、言葉が続かない。
確かに自由研究はしたが、これを使ったことはなかったし、あること自体知らなかった。
自分の脆弱具合にびっくりだ。
「で、何調べるのー?」
「まだ気づかない?」
内海さんがにやりと微笑んでいる。
それを見て、僕は、
「え? もしかして……」
そこで言葉を止めた。
僕が言葉を濁したのは訳がある。
失踪事件が起きたかどうかを確認しようとしている……?
そんなの調べていいの?
不謹慎ではないのか……?
「だって、あったら信憑性が増すでしょ?」
内海さんの真剣な声に、僕は息を呑む。
確かに、吾妻さんの話がより具体的な内容にグレードアップすることになる。
きっと記事にはそこまでの内容は書かれていないだろうけども、それでもだ。
「えー? なになにー?」
裕真のお気楽な声に、僕は声を潜めて、はっきり伝えた。
「裕真、20年前の事件を調べるんだよ」
「事件? え? ……失踪の?」
内海さんは小さく頷き返し、画面を立ち上げると、カバンからノートを取り出した。
先ほど書き込んでいたページをめくって書きこんだのは、『観測日』『不在期間』『失踪日』『卒業式』の4つだ。
「時系列を考えると、親友が観測した日を仮に1日とすると、そこから2週間不在だから、15日。その後に失踪日がきているので、失踪日は15日、あるいは16日。その後、卒業式があることになる、でしょ? じゃあ、この失踪日はいつ頃になると思う?」
裕真は早々に諦めたのか、向かいの椅子に座ってしまった。
僕は内海さんの後ろで、スマホのカレンダーを眺めて考える。
「……えっと、卒業式はほとんどブレのない日付になると思うんだよね。そこから逆算するのはどう?」
「でもでもー、卒業式だって、いろんな日にち、あるじゃん」
裕真は頬杖をしながら、唇をすぼめた。
探す意味はない、と言いたいのだ。
「確かに無駄に感じるかもだけど、10年前につぶれた地元紙、あそこなら記事にしてる可能性があると僕は思う。どうかな?」
「地元紙ぃー?」
裏返った声が大きい。
僕と内海さんは、つい、人差し指をたて、「しー!」と顔面から伝えたが、まるで悪気はなさそうだ。
「見出しから検索が可能だから、いろんな言葉で検索かけるか、めぼしい日にちで、紙面を確認していくか、かな」
「オレはやらないよー」
「いいよ。じゃ、水野くん、これで検索してもらっていい? 私は司書の人に、なんとなーく、聞いてみる」
「わかった」
内海さんが去った席に僕が座り、パソコンと対峙する。
右上の方に検索バーがあり、薄いグレーで「日付の指定 or 見出し入力」と書かれてあるため、ここに何かを入力すれば問題ない。
まず、卒業式は3月中旬から下旬であること。
そして、失踪日は、卒業式間近と言ってた。
広い範囲で考えても、20年前の西暦にして、2月の最後の週から、3月いっぱいを目処にまずは検索していこう。
……と、始めたのだが。
日付で1日ずつ確認しても、「失踪」「行方不明」「捜索願い」「小学生」など、文字を入力していくが、事件に関連するものは引っかからない。
全くない。
何もないのだ。
僕が舌打ちし、パソコンから体を離した。
この動作で裕真は察したようで、また鼻で笑われる。
だが、出てきた声は至極まともだった。
「報道規制とかしてさ、親友さんの事件を隠してるって、ことはない? 子どもの事件出し」
「でも、少しでも紙面にインパクトのある記事やタイトルで目を引きたいなら、扱う事件になると思うんだけどなぁ。家族だって、探して欲しいじゃん」
「でも、家族、引っ越してるって言ってたしー。可能性、低くない?」
「そっかぁ。なら、出してない可能性も高いか。……え? そこまで考えてたの?」
僕の問いに裕真はにっこり笑顔を作った。
「そこまで、ぜんぜん考えてなかったー」
「だよね」
「いや、宙、そこは否定してよー」
「しないよ。裕真、ただめんどうなだけでしょ、こういうの?」
「えー、気づいちゃったー? オレ、冒険がしたい派なんだよねー」
「なんだよ、それ」
カウンターの方を見ると、慌てた様子で戻ってくる内海さんがいる。
少し興奮していて、手がバタバタと揺れるなか、テーブルにつくと小声で叫んだ。
「事件は、20年前で間違いないって」
引いてあった椅子にすべるように腰をおろすと、コピーされた用紙を取り出した。
「……とはいえ、新聞記事にはなってないんだけど、」
広げられたのは、学級新聞だ。
その一番最後に、先生の言葉が添えられている。
【階段で、七不思議を試すのは危険です。ケガをするかもしれません。絶対に、やめましょう】




