第7話
「あの日は、すごい寒い日だった。学校を帰る間際に、親友が音楽室に楽譜を取りに行くって言いだして……。私は、手をこすりながら、生徒玄関で待ってた。……でも、ついて行けばよかった」
生徒玄関には大きな時計が壁に貼り付けられており、じっと時計を見ていたが、20分経っても戻ってこない。生徒玄関から歩いて行っても10分もかかる場所ではない。
音楽室で先生と話し込んでいるのかと、吾妻さんは親友に文句を言おうと、音楽室へ向かったという。
「……もっと早くに行けばよかったって、今でも思ってる」
踊り場の鏡と、音楽室の鏡がちょうど合わさる地点だ。
階段の真ん中に、親友が座り込んでいる。
近づき、声をかけるが、顔を上げた親友は、まるで変わっていた。
「顔面蒼白で、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃで……。そしてね、目が小刻みに震えてたの……。さらにね、うわごとみたいに『未来のあたしがいた』って……」
吾妻さんはすぐに職員室へ行き、先生に報告し、保健室へと連れて行かれたが、親友は変わらず錯乱状態のまま、母親の迎えで帰宅した。
吾妻さんも同じく母親が迎えに来て、その日は帰宅となった────
「しばらく休んでたと思う。そのときにね、その、私が悪いの。私がつい、親友が休んでいる理由を、もしかしたらって、話しちゃって……。それで『合わせ鏡』の噂が広まって……。で、彼女がそれを見た日から2週間ぐらい経ったころ、親友は失踪したの……」
「なるほど」内海さんは、メモを取る手を止め、吾妻さんを見る。
「その2週間ぐらいの間に、噂を試したか、噂にのっかったのか、とにかく合わせ鏡の中に、未来の自分を見たって子がいたんですね。でも、この子たちは、結局、失踪してないですもんね?」
「そう。失踪はしてない。話題の中心になりたかっただけだと思うんだ、今思えばね」
しっかり内海さんの目を見て言い切った口ぶりから、自信があるようだ。
内海さんのメモが見える。『承認欲求』と書いて、○で囲う。その横には(2人は誰?)と加えられた。
書き加えた質問をしようとしたのか、内海さんの唇が開いたが、言葉はつながらなかった。
話しかけられる雰囲気ではなかったからだ。
吾妻さんは、どれも中途半端に食べかけたランチをじっと見下ろしている。
何かの言葉を選んでいるのか、当時の記憶を思い出しているのか、定かではない。
空気を繋ぐべきか、別な質問をするべきか、僕は考えながら、最後に残った水饅頭に手を伸ばしたとき、吾妻さんが咳払いをした。
スープに差し込んだスプーンがカタカタと音を立ていて、よく見れば手が震えている。
小さな声をしぼりだして吾妻さんは言う。
「……ここからは、誰にも話してないの。でも話す理由は、“未来の死人を視た”って話をきいたから……」
しかし、なかなか話し出さない。
僕は食べかけの水饅頭をトレイに戻したが、裕真は視線は吾妻さんに向いてるものの、手と口は動き続けている。
ガチャンと食器がぶつかる音がした。
吾妻さんの肩が震える。
誰かに監視されているかのような身の縮め方に、僕は息をのむ。
「……そのね、親友が失踪した日、……実は、親友を見たの」
吾妻さんの目が泳いだ。
指先が冷えるのか、胸の前で手を握りしめている。
まるで、あのときの気温を体感しているような、そんなそぶりだ。
「私はその日、図書室で居残ってて、帰りが遅くなったの。生徒玄関は寒くて薄暗くて、さっさと帰ろうって、靴を履いて立ち上がったとき、」
吾妻さんが内海さんに指をさした。
思わず振り返る内海さんだが、そこには何もない。壁があるだけだ。
「……そこに、親友が、いたの」
吾妻さんの目には、親友が立っている。
親友の見た目はどうなのだろう。
唇が震えている吾妻さんの瞳には、きっと落ち窪んだ目に髪の毛もぼさぼさな親友が立っている、そんな気がする……
僕は想像した姿があまりに恐ろしく、つい多肉植物の鉢に目を移した。
歪に映った僕の顔が、2つ並んで、また1つに戻った。
頭のなかがぐらりと揺れる感覚がする。
奇妙な話は現実の空気すら、非科学的な景色に見せるのかもしれない。
吾妻さんは3度目になる額の汗を拭って、もうほとんどないアイスコーヒーを啜った。
「……親友は、土足で校内に走って行った。たぶん、音楽室がある階段に行った、と思う。……だけど私は、家に向かって走ってた。怖かったの。私のこと見てなくって、無言で、なにか言い表せない雰囲気で……」
僕の目に、またその親友が現れた。
薄暗いなかに、じっと佇んでいる親友の目が、吾妻さんを映している。
唇は、ずっと、『未来のあたしがいた』とつぶやきながら────
思わず僕の方が跳ねた。
BGMの隙間を縫って、カチンとグラスの音が響いたからだ。
となりからどっと歓声があがり、どうやら中学生たちは、誕生日会を始めたらしい。
「……その日の夜、親友の行方不明の連絡が回ってきて……。何か知ってるかって親に聞かれたけど、言えなかった……」
「でも」吾妻さんの声が少し大きい。
「あの小学校で、未来の死人に会ったって聞いて、もしかしてって。だって、死ぬ前の顔って、ようは、死人と同じじゃない! そいつが、親友に、なにかしたんじゃないかって」
話の流れが変わった。
これは、吾妻さんの罪滅ぼしではないのか……?
「きっと、そう……! だから、親友がどこにいったか、その幽霊なら知ってるんじゃないかって……! ねえ、何か言ってなかった? あたしたちのこと? ねえ?」
振られた声に僕はびくりと肩を揺らす。
まさか僕に聞いてくるとは思っていなかった。
そうか、話す目的は、ここにあったんだ。
気づいたところでどうすることもできない。
確かに、ただ話すだけなど、あり得ないだろう。
大人、なのだ。
利益がなければ、求めているものが得られないのなら、こんな彼女の経歴に傷がつくような過去を話すわけがない。
この人は、そういう人だ──
「……ね、今、誰か見てるとかない? 白い人影とか、ない?」
震える声で爪の先まで手入れされた手が、僕の手首をつかんだ。
長い爪は夏に合わせてなのか、紺色のベースに打ち上げ花火が丁寧に散らされているが、その指先が白くなるほどに、僕の手首は握られている。
力の意味は、多分、怒りだ。
「え、あ、僕はそんな、霊視とかできるタイプじゃ」
僕と吾妻さんの間に立った内海さんが、吾妻さんの手首を握る。
「水野くんの手、離してください」
「みずの……? 嘘でしょ……? なんで言ってくれなかったのよっ!」
怒鳴った意味がわからない。
「あと3年じゃないの!?」
吾妻さんは内海さんの手を払うと、立ち去っていく。
足早に離れていく吾妻さんを内海さんが追いかけるが、吾妻さんの逃げ方は相当だ。
僕の視線から逃れるように体をよじって、カウンターの裏へ転がるように入っていく。
僕は手首をさすりながら、頭のなかはぐるぐると話が巡る。
そのまま残っていた水饅頭を頬張っていると、裕真はきゅうりの漬物をいじって笑いだした。
「なんか、怖かったねー」
「うん、ちょっとね」
「まさか、宙に用事があるなんてさー」
裕真の言い方に、どこか引っかかる。
うまく言葉にできない微妙なニュアンスに、僕は笑ってごまかした。
「ごめん、二人ともすぐ出れる?」
内海さんは水増しになってしまったアイスコーヒーを立ったまま一気に飲み干した。
グラスを雑にテーブルに置くと、荷物をまとめだす。
「図書館に行こう。……調べないと」
その目は鋭く、否応ない声だ。
僕らも無言で支度を済ませると、足早に進む内海さんの後ろを着いていく。
ふと見た、カフェの奥のスタッフルームの入り口に吾妻さんが、いる。
じっと佇む姿は、どこか、あの放課後の親友の姿に重る。
「水野くん?」
内海さんの声に、僕は「行くよ」と声を返して、もう一度、スタッフルームの場所を見た。
もう、そこには、誰もいなかった。




