第21話
朝になり、目覚ましで起きた僕だが、しばらくベッドに寝転んだまま、耳を澄ましていた。
人の気配、音を探るためだ。
ゆっくりと立ち上がり、鍵をはずして、薄くドアを開ける。
「……よし、気配なし、音もなし。クリア」
言ってはみたが、それでも用心しながらゆっくり階段を下り、玄関を見る。
いつも揃えてある2人の靴はない。出社済みだ。
スマホの時刻は8時30分。曜日は金曜日だが、お盆ではある。
だが暦通りの出社のため、両親にお盆は関係ない。それが救いだ。
リビングに行き、食卓テーブルのタブレットの電源を入れた時、その下に挟まっているものを見つけた。
白いメモ用紙にあったのは母の手書きの手紙だ。
さらに、1万円が忍ばせてある。
手紙には、
・父さんはこれでも一生懸命にあなたのことを思っている。
・行きたい塾をリストにしてください。そこから選びましょう。
ということだった。
1万円は、母からのお詫びの金だ。
今まで頼ってごめんなさい、とあった。
「口で言えよ」
僕はメモを握りつぶし、1万円は雑にスエットのポケットに突っ込んだ。
「……つかさ、だいたい、謝るのは父のほうだろ」
こういうとき、事なかれ主義になる母も同罪だと、僕は思う。
『母さんは、子どもが好きじゃないんだなぁ』
いつか、父が僕のおもりをしていた時に言った言葉だ。
それはその通りだと、子どもながらに思っていた。
いつも仕事仕事で不在だったし、父はどうにか手をかけないように、僕をコントロールしようとしていた。
今もそうだ。
父が思う通りのことをして欲しいからこそ、怒り狂うのだと思う。
母はそれに関して、どうでもいい。
いや、どうにかしたいと思っているかもしれないが、思っているだけだ。
改めて感じる見えない壁に、僕はもっと2人から距離を取らなければならない──
その事実に、絶望に似た虚無感もわいてくる。
同時に、バイトをたくさんして自立する方法だってあるけれど、こうやって打ち出の小槌のように渡されるお金があるのなら、どうにかのらりくらりと受け流せばいいんじゃないか……
そんな生ぬるい考えがよぎって僕は動けないでいる。
最低だ。最低だけど、それ以外を選ぶ勇気がない。
常に、僕はなにもできない人間だと言い聞かせられてきたから。
「……はぁ、めんどくさ」
心に黒い水がいっぱいになると出てくるフレーズだ。
僕は朝ごはんを食べる気になれず、少しぼーっとすることにした。
投稿動画を再生せず、僕はテレビの電源をつける。
ちょうどワイドショーが流れ出した。
テレビのテロップには、大きな文字で『消える人々』とある。
リポーターが声高にしゃべっているのは、うちの市を中心に失踪者が増えているという話と、SNSで流行っているドッペルゲンガーの話にかけ、お盆らしい怪談特集として放送していた。
『どうですか、もし、自分とそっくりな人に出会ったら?』
司会者が中年男性のコメンテーターに話を振ると、薄い頭を撫でながら、
『脳梗塞とかなる前に見えることあるらしいんで、僕なら脳外科に行きますね』
現実的ですね、と司会者が受けて、今日のゲストだろう若手女優に振られた。
『私はついていっちゃうかも。すごく双子に憧れあって〜』
他のゲストから、かわいい〜と囃し立てられ、和やかにそのコーナーは終わった。
僕はそのままテレビの電源を落とした。黒い画面に僕が映る。
となりに誰かが立っている気がして、横を見た。
僕が見たことで黒いもやが人の形へと伸び始めた。
瞬間、僕はもう一度、テレビをつける。
そこには音楽番組を流しておくことにした。
「……ちがう。気のせい。気のせい……」
コーヒーだけでも飲もうと食卓テーブルへ向かう時に横目で見る。
歪んだ影が輪郭を保とうと震えている。
「……くそっ」
さっきよりもより人に近づこうと伸びたり縮んだりする何かは、誰かわからない。
あれは父なのだろうか、それとも母なのか。
僕は大袈裟に目を伏せ、自室へ駆け上がった。
そのままの勢いで着替えを済ませ、ボディバッグを身につけた。ポケットに入れておいた1万円をバッグに押し込み、外に出る。
茶の間の食器も、何もかも手につけていない。エアコンすら止めていないかもしれない。
それでも、二度とリビングに入りたくない気持ちが勝ってしまった。
見上げれば、灰色よりも濃い黒い雲が立ち込めている。
だが、今日、雨は降らない予報だ。
「……予報、当たらなそう」
そう声がでたが、傘は持っていかなかった。
雨が降ると観測しなければ降らないのではないか、そう思ったからだ。
つい、脳内で『観測』という表現が出現し、僕は戸惑った。
観測すると表現するのはどうにもおかしいが、量子の二重スリット実験を思い出したせいだ。
観測することで行き先を決めてしまう量子実験は、願ったことを実現できるという引き寄せの法則に似ている。
だけど、今は全ての悪い現実を引き寄せている気がして、気味が悪い。
「めんどくさ……」
胸に抱えたバッグは暑い。
だけど、今日のランチは特別なのだ。
公園ランチ、としていたが、僕の提案で、ニシダ博士のいる理科室でランチをとることにしたからだ。
4人の仲を少なからず悪化させた元凶ではあるが、未来で死んだ彼の話は興味深い。
「博士もなにか食べれたらいいんだけどな」
独り言がでる理由はただ一つ、視界の端にかかる黒い影のせいだ。
それを見ないように僕は歩いていく。
いきなり増えたようにも感じるが、意識していなかっただけで、元からいたのだろうとも思う。
僕はなるだけ足元を見ながら歩き進めるが、耳鳴りが止まらない。
暑さのせいで耳鳴りがひどいのかと思っていたけれど、どうやら違う。
怪異の影を見ているからだ。
思い返せば、ニシダ博士のときにも耳鳴りがしていた。
「……そういうことか」
自分の体の不具合理由をようやく理解し、同時に、納得と不安が肌を包む。
それでも僕はテイクアウトができるサンドイッチ店『さんかく』に到着した。
広めの駐車場もあるお店は、三軒長屋のイメージだ。
一番左におしゃれな海外の雑貨屋、真ん中にサンドイッチ店、一番右は美容室&ネイルのお店になっている。
駐車場に着くと、陽真理さんの車がある。
僕を見つけたのか、後部座席から内海さんが颯爽と降りてきた。
今日はワンピースだ。
白のワンピースはどうしてだろう、内海さんらしくないと僕は思った。
どこか、おとなしい。
あれほど興奮していた昨日の文面とはかけ離れた色に感じる。
だが色白の内海さんに似合っていないわけではない。
下ろされた黒髪がより艶やかに見えるのは、この白いワンピースのおかげだろう。
「お腹すいたね、水野くん」
小さく手を振りながらやってきた内海さんに、僕も手を振り返した。
「おはよ、内海さん。ほんと、お腹、空いちゃった」
流されたままの髪は背中にかかっている。
じっとりとした暑い日なのに、さらりと解けて流れていく髪を見て涼しさを感じ、僕も同じように髪をかき上げたが、あまりさらりと滑ってはいかない。ベタっとしている。夏を感じる。
「宙、こんなおしゃれな店、よく知ってたねー」
肩を叩いていうのは裕真だ。
僕は振り返りながら、睨み調子で言った。
「家から近いから知ってただけだけど、意外すぎた?」
「怒んないでよー」
「まったく」と、ため息混じりに鍵をかけた陽真理さんは、店に向かうが、少しイラついているのがわかる。
「ユウくんのそういうとこ、嫌い」
「えー、もう二度としないからぁ」
「いや、する。してるし。いい加減、そういう捻くれた言い方とか、やめなね」
ガチな怒り方に、僕は少し驚いてしまった。
それを裕真がへらへらと笑っているものの、口の端は震えて見える。
「陽真理さん、しっかり調教してるんだねぇ……なかなか難しそうだけど」
いつの間にかとなりにいた内海さんがぼそりと言った。
「卒業するまでにはどうにかなると思うよ、あの雰囲気なら」
「陽真理さんがそれまで許すかなぁ?」
細い色白の腕を組んで、顎をつまむ内海さんは、さながら美少女探偵だ。
もうひと言、2人の行方を解いてくれないかと待ってみたが、陽真理さんに呼ばれてしまった。
「ほら! 人気の玉子サンド、売り切れちゃうっ」
僕らは顔を見合わせ、店に向かって駆け出した。
軽い足取りは、内海さんのサンダルの音だ。
僕のシューズは重そうに砂利をこすっている。
そうだ、これは僕の夏休みだ。
花火をする、青春をする、夏休み。
僕はそれを観測しようと、意識を向ける。




