第2話
「──あのぉ、資料は見つかりましたかぁ?」
男性の大きな声が理科室に響いた。
唐突な声かけに、悲鳴に似た返事を僕らは返す。
だが、振り返ってみれば、警備員さんだ。
がっちりとした四角い顔のおじさんの雰囲気は、苛立っていて、声からしてウンザリと呆れが混ざっている。そして、それは間違いなく、僕らを不法侵入者だと認識しているのを意味している。
「あ、えっと、ヒマリさん?」
僕の声かけに、陽真理さんは慌てながらも、理科室の後ろの棚を探り出した。
内海さんは素早くスピリットボックスのスイッチを消し、裕真は愛想笑いで頭をかくが、
「……君たち、本当に大学生?」
警備員さんは、僕ら3人をじっと見据えた。
とても顔が険しい。犯人を覚えようと、身構えている顔だ。
僕らは瞬時に視線で会話をするが、答えがでない。
僕は唇が震えるだけで言葉にならないし、裕真は笑うので精一杯。
何を言えばいい。
何をしたら、迷惑がかからない!?
「……いいえ、私たちは高校生です」
内海さんが言い切った。
警備員さんが怒鳴りだす直前、滑り込むように響いた声は少し太めで、凛々しい声だ。
だが声とは正反対に、内海さんは柔和に目を細めた。
「この夏休みにH大学のゼミ体験ができるので、その手伝いでここにいるんです。唐突にきてしまい、申し訳ありません」
会釈をした内海さんに合わせて僕らも頭を下げた。
警備員さんの尖った空気は薄れている。鼻の下も少なからず伸びている気がする。
外見の美しさ、というのはときに信用も勝ち取ることができるのだ。
僕や裕真には絶対にできない対処の仕方だ。
つい目を合わせて、さすがだと納得の表情で合図を送り合う。
「……はい! 資料、みつかりましたー!」
陽真理さんはにこやかに分厚いファイルを掲げた。
それは研究データ資料の一つのようだ。
部屋の隅にあった段ボールに詰め直し、陽真理さんは抱え上げた。
警備員さんは改めて僕らをぐるりと見回し、ため息混じりに再び大きめの声をだした。
「鍵閉めていってねっ」
パタパタとスリッパで歩く足音が遠ざかるのを聞いてから、僕らは大きく息を吐く。
緊張が解けたのだ。
怪異の男性は一部始終見ていたようで、よくやったねと、呆れたように微笑んでいる。
半透明の怪異の顔に、僕は思わず笑いかけたが、視線を左にずらした。
内海さんが大げさな動きで机によりかかったからだ。
「めっちゃ焦ったぁ……」
彼女に親指を立てたのは陽真理さんだ。
「ナイス、ウッチー。……まあ、今日はとりあえず、ここまでだね。……よいしょ」
「僕、持ちますね」
陽真理さんの段ボールを僕は代わりに持ち上げた。
30センチにも満たない小さな箱だが、中身は意外と重い。
そのせいか、ダンボールは頑丈にガムテープで補強してある。
ダンボール自体に年季がうかがえ、ここと大学を行き来するための箱のようだ。
ダンボールの蓋は開いたままのため、資料の年数や研究の頭文字が読めた。
それらはどうにも古い資料で、本当に使うものなのかとよぎってしまう。
「……これ、すごく古いですね」
僕の質問に、陽真理さんは口をへの字にして見せた。
「古いでしょ? でも、資料としては大事なんだって。ここが、うちのゼミの荷物置き場なのも変だけど」
僕はダンボールを抱え直し、半透明の怪異を見直した。
彼は腕を組んで、じっとこちらを見つめている。だが、表情はずっと柔らかい。
僕が小さく会釈をすると、陽真理さんは小声で尋ねてくる。
「ソラくん、……ね、まだ、いる?」
「います。笑ってますよ。……あ、手を振ってます」
『過去の少年、わたしはニシダという。クリス・ニシダだ。また、会いたい。話をしよう』
過去の少年。
そう呼ばれ、僕は笑ってしまった。
彼は僕のことを、そう認識した、ということだ。
どこか不思議で、どこか厨二心をくすぐるフレーズに、背中がむず痒くなる。
しかしながら、百年前の人間を死んだ後に見る気持ちは、どんな気持ちなのだろう。
他にももっと知りたいことがある。
だけれど、あの白いおじさん以外に視れた今日は、大進歩で間違いない。
今はそれ以上、考えるのは難しい。
僕は陽真理さんに向き、彼の言葉を伝えることにした。
「ヒマリさん、また会いたいって言ってて、僕も」
「本当に!?」
間髪入れずに叫んだのは内海さんだ。
僕もまた来たい、と伝えたかったが、かき消されてしまった。
だが、内海さんの興奮した表情から、陽真理さんは前向きに再訪することを検討しだした。
それも、近いうちに、だ。
「……とはいえ、そうそう通えないよね、ここー」
裕真の言うとおり、大学の管理下にある資料倉庫である上に、車で移動しなければならない距離なのもネックだ。
さらに、
「……警備員さんいるって、聞いてなかったし」
陽真理さんがぼやくのも無理はない。
もし、いると知っていれば、できることはいくらでもあった。
入る時間を考えたり、それこそ、警備員さんにどれくらい滞在したい旨など伝えることもできたはずだ。
歩き出した足は理科室の扉へと向かいだす。
僕は落胆のまま、どう再来すればいいのか悶々と考えながら歩いていると、僕の肩を内海さんが握った。
「ちょ、水野くん、その怪異さんに言ってよ、また来るって」
「え、あ、ごめんっ」
僕が振り返ると、怪異のニシダさんは少し驚いて、嬉しそうに目を細めくれた。
両手を白衣のポケットに手を入れたまま、“なにかな?”と首を傾げたので、僕は顔をより持ち上げた。
「えっと、あの、また、来ます! でも、いつになるかは……。あ、でも、早く来たいと思ってて」
『ありがとう。わたしはずっとここにいるから、安心していい。いつでも待っているよ』
少し寂しそうな、それでも満足そうな顔に僕は安堵して、僕はダンボールを無理やり左手で抱えた。空いた右手をどうにか振りあげる。
「ニシダさん、僕は水野宙です。宙! 絶対、また来ますね」
目が合った。
何かに気づいたような雰囲気だ。だが口元は緩んでいる。
ただ、僕はどこか引っかかる表情だった。
でも他の人が視えれば、そう思わないかもしれない。その程度の変化だ。
他の人も視えれば、反応を聞けるのに……。
ペタペタと湿気った音が廊下に響くなか、裕真と陽真理さん、そして内海さんたちは和気藹々と玄関に向かっていく。
「──今日はほんっと、水野くん、ありがとっ!」
車に乗り込んだ途端、内海さんが助手席のシートベルトをかけながらいった。
その声は少し大きめで、興奮している。
髪の毛をかけた耳の先が少し赤いのは、興奮が再熱しているからだ。
「まさかね、まさか! スピリットボックスから声が聞こえるなんて! ほんっとに初めてで!」
本当はあの場で興奮そのまま話したりしたかったのだろう。
けれど、警備員さんのせいで、それは叶わなかった。
お腹の中に溜め込んだ熱を吐き出すように、内海さんはスピリットボックスの声について語っている。
それを宥めるように、陽真理さんがハンドルを握りながら、内海さんの肩を優しく撫でた。
「ウッチーのいうとおり、本当にあたしもそう思う。ソラくんいなかったら、疎通ができてないもん」
「そうそう! オレらにはスピリットボックス越しの声しか聞こえないけど、宙は視えて会話ができてるんだもん。本当にすごいよーっ」
初めて人に認められた気がして、なんだかこそばゆい。
うまく笑えないし、うまい言葉も出てこない。
そんな僕に、ずいっと裕真が顔を寄せてきた。
「ね、宙、その人の名前、ニシダさんっていうのー?」
「え、あ、うん、そう。クリス・ニシダって言ってた。見た目は外国人、アメリカ人? っぽかったけど、ハーフ、なのかな……?」
「どうなんだろうねー」
男二人で首を傾げていると、内海さんがくるりと振り返る。
「そのニシダさんって、百年も先の、《《未来の死人》》、だもんね? 今の人間のルールじゃないかも、じゃない? もっとハイテクな感じで人類誕生してるかも!」
「確かに〜」僕らの声が重なった。
彼は、未来の死人、なのだ。
しかも、百年先の。
今ですら、目まぐるしく情報が溢れ、新しいデバイスが次々に出現している。
未来はもっとスマートな姿なのだろうかと考えてみるが、どれもSF映画の延長で、あまりしっくりこない。
「過去の人だったら特定できたかもねー」
裕真の声に、僕はうなずいた。
「博士とか、研究者っぽかった。白衣着てたからだけど」
「どこの研究者がわかったらいいねぇ。ってか、オレにも視えたらなぁ……」
大きく背伸びをした裕真に、内海さんが指をさした。
「あのさ、あの学校の怪談では、白い人を見てる噂があるよね?」
「らしいんじゃない?」
裕真があくびをころしながら答えると、内海さんは腕組みをした。
「ならさ、水野くんみたいに、視えた人がいるってこと、じゃないかなって……」
確かに、そうだ。
そう言うことになる。
誰かが視たから、怪談話になるのだ。ただ、それが勘違いであってもだけど。
「……視えた人かぁ。会ってみたいな、僕」
僕がぼそりと言うと、少しアクセルが吹かされた。
ぐんと背中がシートに押される。大した衝撃ではないが、思わず座り直す。
同時に裕真が運転シートの背中を拳で叩いた。
「ヒマちゃん、ちょっと乱暴なんだけどー!」
「ごめ……その、思い出したの!」
声に反して、ゆっくりと交差点を曲がり、なぜか無造作にコンビニに入っていく。
ぴたりと停車した車の中で陽真理さんが叫んだ。
興奮しているのだ。
「……先輩が、視たって言ってたの、思い出したの!」




