第16話
図書館に入り、僕らはどうにか空いているテーブル席を確保したが、この前よりも小さいサイズだ。
二人掛けの丸テーブルは、お互いノートをおけるかおけないかぐらいの広さしかない。
内海さんは荷物を椅子に置くと、カウンターに指をさした。パソコンを借りにいくのだ。
僕は席につき、ぐるりと館内を見回してみる。
小学生と中学生が場所の取り合いで忙しそうだ。
リュックを胸に抱えて、僕はノートを取り出そうとしたとき、強い耳鳴りが起こり、思わず頭を丸め込んだ。リュックのなかに頭を突っ込んだ格好だが、むしろ吐き気がするほどの痛みに、驚きと恐怖がわいてくる。
リュックの中にコンビニのナイロン袋があり、安堵していると、背中をさすられる。
「水野くん、本当に大丈夫?」
パソコンを置いた内海さんが心配そうに横に立っている。
僕はしかめっ面のまま、手を振った。
「……大丈夫。すぐ治る、と思う。なんか多いんだよね、最近」
すぐそばで誰かが横切っていく。
空いている席を探しているのだろう。
どうにかひいた痛みに安堵しつつ、だらしなく椅子の背もたれに僕は体重をあずけた。
「びっくりした。今日のはすごく痛かった」
「治った?」
「うん」
僕の返事を聞いて、向かいに腰を下ろした内海さんは、パソコンを開いた。
電源ボタンが押され、スタートを示す電子音が立ち上がる。
「……ね、病院、行ったほうがいいんじゃない?」
渡されたパスワードを入力しているようだ。
視線はこちらに向かない。
「これって何科なのかな」
「耳鼻科? 脳外科とかかな?」
内海さんはさっそくパソコンを数回操作してから僕を見る。
小さく肩をすくめた動作に、僕は頷いた。
「やっぱ、何にもなしか」
「前もなかったしねぇ」
次に内海さんは、司書の方からもらったコピーを取り出した。
「やっぱ、変わるわけないか」
小さなテーブル中央に広げられた学級新聞が、僕の視界でぐにゃりと歪む。
また耳鳴りがし、僕はこれは脳外科だろうかと、考えてみる。
何度か瞬きを繰り返し、歪んでいた文字がはっきりしだした。
ただの目の不具合か。
そう思ったのに、
「……内容、変わってる……」
内海さんが視線をなん度も上下に揺らしながらつぶやいた。
【しばらくは、ひとりで下校しないようにしてください】
こう書かれていた先生からのお願いが変わっている。
僕が見た内容は、
【階段で、七不思議を試すのは危険です。ケガをするかもしれません。絶対に、やめましょう】
そう、はっきりと書かれていた。
「どういうこと……? 私が見る前は変わってなかったのに」
そう言って、僕を見る。
僕はつい視線を外した。それは恥ずかしいから、じゃない。
信じたくない事実につながるからだ。
「……僕が、観測したから……?」
可能性がないわけじゃない。
なぜなら、内海さんが見ていた時には変化がなかったからだ。
だが、そうなると昨日の博士が言った言葉に、真実が付与されてしまう。
「いや、ないない! 絶対にないっ」
つい、大きな声に、カウンターから立ち上がる司書さんが見える。
僕は肩を丸めて、すまなそうに会釈をしてみるが、僕よりも大きな声で内海さんが言った。
「そうかもっ!」
口元に手を当てるが遅い。
僕らは顔を見合わせ、お互いに人差し指を立てて、“静かにポーズ”で誤魔化した。
一瞬注目を集めたが、すぐに小学生のほうが騒ぎだし、司書さんが注意に駆け寄っていく。
「やば……!」
内海さんの耳の先が赤い。
興奮している。
座ったままで、足踏みを数回した。叫び声を逃がしているようだ。
「そんなに興奮すること?」
「……あたりまえじゃんっ」
小声の叫びは、やはり大きい。
僕はまた人差し指を立て、静かにと、唇だけで伝えるが、内海さんの興奮はおさまらないようだ。
「ねね、司書のお兄さんの記憶もどうなってるか、気にならない?」
身悶えするように、ふるふる頭を揺すり、鼻息も荒い。
「内海さん、その、怖いとか、そういうのないの……?」
「え? なんで? ……じゃ、ちょっと行ってくるっ」
まるでドッキリでも仕掛けに行きそうな足運びで、カウンター方向に歩いていく。
辺りをきょろきょろしながら進んでいく姿は、隠れながら敵を索敵する歩兵に似ている。
それほどに鋭い視線で司書さんを探しているのだが、僕も見たところ近くにはいそうにない。
「あの、すみません、いいですか?」
内海さんのていねいな言葉づかいが聞こえる。
僕はひとり机に残り、変更された学級新聞に目を落とした。
僕が見たから変更したのだ、とすると、過去はどう変わったのだろう。
吾妻さんがやはり戻ったのだろうか?
詳細まではわからない。だが、何かしらの変化があったのは間違いない。
しかし、もし僕が見たことで変化が起きたと仮定すると、僕はどうしたらいいのか。
誰も、僕のせいで、消えたい人なんかいるわけがない。
それは僕が一番知っている。
「書庫整理なのかな? 出勤らしいんだけど、近くにいないみたい」
残念そうに腰を下ろした内海さんの背後に近づく影がある。
僕は気づいた瞬間、椅子を転がしながら、立ち上がっていた。
「ちょ……どうしたの、水野くん?」
「い、あ、」
声にならないまま、内海さんの横につくが、なんだこれ。
怪異が、すぐそばにいる──!
叫びたかったが、叫んだところで視えているのは僕しかいない。
しかし、とっさに動けた自分に驚いた。
でも、動いて正解だ。
僕らを、いや、内海さんをじっと見つめて歩いてくる怪異は、異様でしかない。
恐怖で体が強張っている。
それでも歯を食いしばり、どうにか壁になろうと努力する。
何か、する気なのか……?
なんで、近づいてくるんだよ!
冷や汗が額を伝い、首へと落ちてくる。
心のなかで悪態をついても、怪異には聞こえない。
じりじりと詰め寄ってくる黒い大きな影に、僕は内海さんを隠すように立っていることしかできない。
「ちょっと、水野くんっ?」
怒り混じりの声がする。
耳鳴りに顔を歪めながら、僕はようやく声にした。
「……そこに、怪異が」
指をさして、振り返ったとき、怪異と目が合った。
ただ灰色のながひょろい人型と思っていたが、ちがう。
見覚えのある顔だ。
「え……?」
司書のお兄さんだ。
間違いない、お兄さんだ。
だが、子どもの姿と重なり、残像のようなひとつの物体になっている。
『『みえるの?』』
声を発したことに驚いた。
だが、その声に棘はなく、悪意も感じない。
攻撃的な雰囲気もないため、僕は素直に頷いた。
影となったお兄さんが、一歩踏み出してくる。
僕は半歩前に出る。
『『子どものときの、おれがいたんだ』』
聞いて、僕は思う。
本人の過去は、本人だけ観測できるのかもしれない。
階段の灰色のあの子も、子どもと大人が重なっていた。
きっと灰色の子は、大人の自分を見て、ああなった。
なら、司書のお兄さんは子どもの自分を見て、重なった、のか。
『『そしたら、なんか、くっついたっていうか』』
僕は無言のまま、対峙する。
また踏み出した足を止めるため、僕は両手を広げた。
これ以上は行かないようにと、視線と表情で伝えるが、お兄さんの輪郭がぶるぶる震える。
『『ねえ、おれ、どうなるの?』』
僕は首を横に振った。
今の存在が消えたお兄さんの存在がどこにいくのかなんて、わかるわけがない。
怪異となったお兄さんは、首を傾げながら、音も立てずに離れていく。
「水野くん、何が、視えてるの……?」
まだ、おぼろげに揺れる影が見える。
返事をせずに立ちすくんでいると、Tシャツの背中がひっぱられた。
「ね、言ってくれないとっ」
少しイラついた声の内海さんをちらりと見て、また視線を怪異に戻した。
怪異は奥の棚へと進んでいく。
僕はいつの間にか止めていた息を吸い込こんだ。
頭の中が割れそうな気分だ。
いつの間にか治った耳鳴りだが、こめかみを揉みながら椅子にかけなおすと、僕はそのままを口にした。
「……その、昨日の廊下で見た人と、同じような人があの司書さんで、今」
「ストップ」
内海さんの冷静な声がする。
「一つ一つ、整理しよう」
内海さんはノートにペンを添えて尋ねてくる。
「……で、今、視たのは?」
僕は内海さんから視線をずらさない。
他に視界を広げることで、これ以上の怪異を引き当てたくない僕は、深呼吸をしてから、なるだけ小さな声で説明をはじめた。
「司書のお兄さん」
「あの人が、怪異に……?」
震え声だ。
僕だって驚いている。
もっと身近に感じていた彼女が驚かないわけがない。
内海さんはふっと息を吐き、続けた。
「どんな見た目だった? 博士と似てる?」
「ううん。……なんか、子どものときのお兄さんもいて、今のお兄さんもいてって感じ」
「2人、いたってこと?」
「厳密には、ちょっと違う」
僕もノートを引っ張り出し、ペンを取る。
そこに、縦長の長方形を書きこんだ。
「これが、今のお兄さんだとして……」
縦長の長方形の中に、幾つもの長方形を書き込んでいく。
「マトリョーシカの中身が見えてる感じ。たくさんの年齢のお兄さんが重なってるように視えた。でも一番はっきり視えたのは、今のお兄さんと、多分小学生の頃のお兄さんだと思う」
内海さんはメモを増やし、マトリョーシカと書き込んでから顔を上げた。
「じゃあ、昨日のは? 昨日は2人分の声が聞こえたよ?」
「……うん。昨日のも、似た感じ。大人と子どもの姿がはっきり見えたけど、他の年齢も重なってた。でも、もっと色がなくって、目と口が黒く抜けてて。怨みが込められてて……ひどく、怖かった……」
僕は真横に顔がありそうで、ぎゅっと目を瞑る。
何度か瞬きをするが、天気があまりよくないのもあり、館内が薄暗い。
そのせいで、あの怪異の目が本棚の隙間から覗いていそうで、僕は首を縮める。
「なにそれ」
息を呑む音がする。
「……すごすぎっ!」
「しっ!」
小声で怒鳴ると、内海さんは両手で口を押さえる。
この年齢でさすがに怒られることはしたくない。
内海さんは失礼とでもいうように手を掲げ、カバンからテッシュを取り出し、鼻をかんだ。
「私、興奮すると、鼻でちゃって」
犬とか猫みたい。かわいいな。
思わず笑ってしまったけれど、もしや昨夜の鼻をすすっていた音も、これ、なのか……?
「今、司書のお兄さん、どこにいるの?」
興味津々の顔で聞いてくる内海さんに、さすがの僕も引き気味になる。
僕はテーブルに乗せた手で指をさした。
「あそこ、後ろの棚の、左奥」
僕の視界の端っこにいる。
見ないようするが、内海さんはあの車内のときのように、じっと見て、目を細めている。
「……本当にいるの?」
視界の端で、影は微動だにしていないが、僕は改めて視線を向けた。
視界にとらえた途端に、蜃気楼のように揺らいでいる。
まるで僕が視たことに反応しているようだ。
「い、いる。いるよ」
「……そっか」
内海さんは目をこする。もう一度よく見てみようとしているのだろう。
軽くこすった目の下に、うっすらクマが現れた。
青黒いクマが、しっかりとある。ナチュラルな化粧で隠されていたようだ。
僕は見なかったことにした。
隠したものに気づいてしまうのは、どうにも失礼な気がする。
「……ね、このこと、2人に報告しない?」
振り返った内海さんが楽しそうに僕に話してきたので、僕は素直に頷いてしまった。




