第13話
走りだした裕真を引き留めたのは陽真理さんだった。
「なに怒ってんのよ」
「そりゃ怒るでしょ? あんな、終末思想みたいな話!」
なにもない廊下は、裕真の叫びをしっかり僕に届けてくれてる。
「だいたい、観測者ってなにっ」
追いついた僕と内海さんを、裕真は睨みつけた。
かきあげた髪がさらさらと戻っていくが、同じ場所には戻らない。
少し色落ちしはじめた髪を見ながら、僕は首を横に振る。
「わかんないよ」
「なんでだよ! だいたいさ、ほんとに視えてんの!?」
オンになったままのスピリットボックスが、ジジッと音を揺らした。
ハナから信じてなかったのに呼んだのか……?
僕は今までの優しさや、気遣いや、言葉、仕草が全て嘘だったと思いたくない。
思いたくないのに、瞬く間に信用がゼロになる。
嫌だ。本当に嫌だ!
もう、逃げたい……!
逃げたいのに、逃げるための方法は連れてこられた車しかないなんて……
崩れはじめた仲間意識を戻すことなんて、不可能だ。
僕は服越しに胃を握る。
食い込んでる指より、内臓が痛い。
そのときはそのとき、だ?
あの自分を消し去りたい。
もう、そんな話じゃない……!
廊下に視線がのみこまれるほどに俯いた僕の横で、凛とした声が響いた。
「……じゃあ、ずっと、嘘だと思ってたんだ」
内海さんの尖った声が響き渡る。
数拍おかれたが、裕真は答えようとしない。
視界の先に見えるのは、強く拳を作っている姿が見える。
「最初から、水野くんをからかうために、呼んだんだ」
核心なのだろう。
否定がないということは、肯定と同じだ。
「……陽真理さんも、ですか?」
顔を上げると、少し後ろにいた陽真理さんは腕を組んで、内海さんににこりと笑った。
「あたしは、半信半疑ってやつ。でも、視える人に会ってみたかったし、スピリットボックスでの会話は成立しているから、信じてる。でも、まだ信じられない気持ちも、もちろんあるよ」
もう一度、内海さんが裕真を見やった。
「悪いけど、実際の状況を鑑みても信じられないのなら、もう、ここには来ないでほしい」
内海さんは真剣だ。
全てを信じて、そして疑って、さらに信じられる事実をかき集めて、全てを知ろうとしている。
内海さんは、本当に怪談が、その検証が好きなんだ。
その熱量を、そして僕がそれに貢献できていた。
それだけでも救いなのに、胃の中で蛇がうねるような奇妙な感覚がして、吐きそうだ。
「オレは……! あんな、世界が終わるなんて信じない! だから、宙が視えるのも信じたくない! だって、視えるってことは、その未来が来るってことじゃんっ」
「でも、3年後だっていってたでしょ」
陽真理さんの声は、まるで駄々っ子をあやすお姉さんだ。
この場をどうにか綺麗におさめたい雰囲気が陽真理さんから出ている。
だが、裕真の感情はそれ以上に揺れている。
「たった3年だよ? 社会にも出れてないオレらが、なにできるんだよ!」
廊下に響いた声が、静けさを取り戻す。
廊下の電気は白く、掲示板の張り紙の跡がくっきりと残っていて、昨日見せてもらった司書さんの学級日誌の言葉も、ここに貼られていたのではないだろうか。
「オレは、先に車にいる! やってらんないっ」
走り抜けていった裕真を僕は引き止められなかった。
引き止める理由も見つけられなかった。
陽真理さんは、大きくて長いため息をもらしたあと、「ごめん」小さな声で謝ったあと、僕らの前に近づいた。
「あたしは、OGの親御さんに何かわかれば伝えなきゃいけないし、吾妻さんの件もあるから、検証に残る」
そう言って歩き出した背中はとても小さく見える。
いつも陽気で自信にあふれているように見えていたが、陽真理さんもまだ、子どもなのだと感じてしまう。
「ユーくん、昔からなんだよね。不安なことがあると、声を大きくしちゃうんだ……はずかしいよね……」
僕らは陽真理さんの声に、返事をしなかった。
その声は誰かにYESといってもらうための言葉ではない。
「でもね、ああやって言葉にしたのは、二人を少なからず信用しているから、だから。感情をぶつけても、平気だって思ってるからなんだ」
僕は、それはちがう、と言いたかった。
僕のことを初めから信じていなかった裕真は、存在したままだ。
それは信用ではなく、格下と思っているから、感情をぶつけてきたのではないのか?
僕がいいかけたとき、
「それは、信用と、少しちがうと思いますよ」
内海さんが言い切った。
陽真理さんは、乾いた笑いを立てて、肩を落とす。
「そっか……」
パタパタと音を立てて歩いていく廊下は、ただ黒塗りの世界になっていた。
廊下の角に突き当たるたびに、センサーライトが反応し、その近くにスイッチがある。
大げさな音を立てながら明かりが灯り、一気に白くかすんだ光りが満ちた。
音楽室までは、一度、正面玄関に寄らなければならないため、何度スイッチを持ち上げただろう。
歩いていくなか、学校にはガラスが多いことを知った。
黒いガラスの板は、僕らをくっきりと浮き立たせる。
その3人の影の隙間に誰かが紛れていそうで、僕は陽真理さんの背中を注視した。
だがその背中に何かがあるわけではない。
女子大生らしい少し肌色が多いピチッとした上着に、下着のラインが浮きでた背中があるだけだ。
着いた正面玄関は、街灯の灯りでぼんやりと暗かった。
無数の靴が入っていただろう箱は空なのもあり、黒い小さなトンネルが無数にあるように見える。
パチン。と音がして、また電気がついた。
「こっから奥に進むと、階段があって、そこから音楽室があるんだ」
気を取り直したのか、いつもより少し落ち着いた陽真理さんの声がする。
スピリットボックスを掲げて尋ねた内海さんを見て、陽真理さんは奥の暗い廊下に顎をしゃくった。
「あっち。あの教室の前を通って、さらに奥の階段から行くの」
「変わった間取り? っていうか、学校ですね」
僕が言うと、陽真理さんはいつものように笑顔を作る。
「なんかね、ここ、ツギハギで建てていったらしいよ。経緯は知らないけど、変だよね」
誰もいない教室を抜けていくのは、どこか怖い。
すでに日が沈み、教室内は真っ暗だ。
闇色の室内に何かが蠢いている。そう、想像するには容易い環境が揃っているせいで、僕が廊下に視界をしばりつけていると、突然、動きが止まった。
先頭を歩く陽真理さんの前に、2階に上がる階段が現れたせいだ。
見た目は普通の階段。踊り場の壁に鏡があるはずだが、電気が付いていないのもあり、下からはよく見えない。
僕は、階段の脇にあるスイッチを跳ね上げた。
白いライトが一斉に灯り、現れた階段だが、なんの変哲もない。
僕は拍子抜けだ、と思った反面、なにを期待していたのだろうとも思う。
「……じゃ、僕、行ってきますね」
しばらくワックスもされていない階段はツヤもなく、くすんだ灰色だった。
壁もくすんだ白なのもあり、古いセピアの世界に入り込んだ気分だ。
ところどころにセロテープの痕、そして画鋲がささっている。ここにはいろんなポスターが貼られていたのだろう。
踊り場にもポスターの貼った痕を見つけたが、もう一つ、痕を見つける。
鏡の痕だ。
貼り付けられていたのか、長方形に剥がされた痕だけが残っている。
僕は「鏡がない」と、振り返りながら言った。つもりだった。
『『ないよ』』
僕は、尻餅をついた。
『『鏡は、ない。私も元に戻らない』』
大人の女性と、小学生の女の子が重なっている……?
蜃気楼に重なった人間なら、こう見えるのかもしれない。
くねくねと歪み重なり、目と口だけが真っ黒い穴が空いている姿は、まさしく怪異だ。
『『戻れないの』』
ぼやけながら、人の形をかたどった何かが、黒い丸を上下左右に伸ばして縮めて、音を出した。それは上に伸びて縮んで、ぼやけて、まとまり、まるで形が定まらない。
目まぐるしい形の変化に、目も頭も、おかしくなりそうだ。
「……は? ……はぁ?」
言葉にできない。
怪異の存在が、本当に、怪異すぎる。
「ちょっと、水野くん、どうしたの? そこに誰がいるよね!? 元に戻らないって聞こえたけど、何が? 大丈夫!?」
駆けあがろうとする内海さんに手をかざす。来るなと言いたいのに、声が出ない。
空気を読み取ったのか、陽真理さんが内海さんの腕をつかんでくれた。
僕はなんとか怪異から距離を取ろうと、腰を滑らせるが、動けない。腰が抜けている。
目の前のそれは、畏怖の塊だと、皮膚と心が訴えてくる。
ガタガタと顎が揺れるも、背後を確認しようと一度視線を外し、素早く前を向いたとき、
『『なんで、私が、視えるの』』
息が止まる。
目の前に顔がある。
いや、穴がある。
モノクロの丸い輪郭に、大きな丸が2つ、小さな穴が中央に2つ、最後に大きな大きな丸が1つ。ぐらぐらと揺れながら、音が出る。
『『視えてるでしょ』』
スピリットボックスの不協和音が、より恐怖を掻き立てる。
奇妙な音の声に、陽真理さんが気づいたようだ。
「ウッチー、女の子と女の人の声がかぶってる……2人、いるのかも」
「2人? 2人、いるの?」
僕は首を縦に振ることしかできない。
だが、2人という人数で数えていいのだろうか。
合わせ鏡の残像のように幾重にも重なる影がある。
『『なんで、私が、視えるの』』
足に力が入らない。
ニシダ博士とは全く違う。
眼球は黒く落ち込み、肌も青い。
服装は灰色に染まり、声も地鳴りに聞こえだす。
『『私は、私にしか視えないのに!』』
鼓膜が破れた。
そう思ったほどの痛みが走る。
高音が脳内に突き刺さって、離れない。
僕は耳を塞ぎ、体を丸めてじっと痛みに耐えていたが、すぐそばで僕の顔を覗き込もうとしている気がして、体を起こせない。
スピリットボックスからの悲鳴にも聞こえる雑音が廊下に轟いてしばらく経つ。
僕にとっては果てしない時間続いていたように思うが、実際には30秒ぐらいに思う。
いつもの雑音に唐突に戻っていく。
砂嵐の音が少し流れたあと、ぷつりと切れた。
「水野くん、もう大丈夫! 消したから、もう大丈夫っ!」
内海さんの明るい声に安堵して、僕はゆっくり腕の隙間から目を開けた。
『『──お前を絶対、許さない』』
真っ黒な2つの丸が僕の視界いっぱいにある。
息をしているのに苦しい。
ぜんぜん、息ができない。
……いや、これは過呼吸だ。
わかっても、そのまま視野が狭く狭く、黒く蝕まれていく……
走馬灯のように、言葉だけが残る。
──許さない。
どう、許されないのだろう。
どうすれば、許されるんだろう………
──幼児向けのテレビ番組が流れている。
僕はカーテンの裏に隠れて、顔を隠す。
「なんで怖いんだ?」
父親の声がする。
「怖いの!」
僕は叫ぶが、父は笑う。
「大丈夫だって」
「怖いから、いやだ! ゆるしてって」
父はまた笑う。
「だいじょうぶだって」
「いやだ! もう、ゆるしてよっ」
『『許さない』』
歪んだ声と同時にカーテンがまくられた。
そこには灰色の肌に黒い穴が2つ空いた少女の顔が……──
……はっ! ……はぁ……は……」
目を開け、僕は混乱した。
薄暗い場所に、柔らかい枕……?
「起きた? 水野くん?」
僕の顔を覗き込んでいるのは、内海さんだ。
慌てて起き上がるが、見渡せば陽真理さんの車の中。後部座席だ。
……ということは、僕はまさかの、内海さんに膝枕を……!?
あまりの恥ずかしさに起き上がって、なるだけドア側に体を寄せる。
頭を抱えていると、横からペットボトルが差し出された。
「大丈夫、水野くん?」
「……あ、え…はい……はい……スミマセン」
僕は素直に受け取り、それを口に含んだ。
水だ。
味がないのはちょうどいい。
ねばついた口の中が潤い、喉の奥からわく鉄の味が消えていく。
「……宙、大丈夫ー?」
少し不貞腐れたような声で言ってきたのは裕真だ。
機嫌はよくなさそうだが、心配はしてくれていたようだ。裕真らしいと言えば、裕真らしい。
「うん。たぶん」
「めっちゃ重かったんだからさー。明日筋肉痛だわー」
「ごめん。……ありがと」
僕はもう一度、水を口に含んで考えていた。
電話で呼び出されただろう裕真は、学校に戻り、僕を連れて車に運んだのだ。
嫌なヤツなはずなのに、借りができて少し良い奴に変わってしまう。それが、なぜか悔しい。
「今ね、救急、向かってたんだ。でも、普通に大丈夫そうだね」
陽真理さんは心底ホッとした声でウンインカーを上げた。
すぐに車の方向が変更される。
反対車線に折り返した車内で、僕は何気なく外を見た。
黒い窓に映った自分に肩が震える。
もう一度見て、自分の顔を確認してから、息を整えるが、心臓に悪すぎる。
「……水野くん、あの、……何を、視たの?」
気になっているのはわかる。
声の正体だ。
だけど、言葉にしようとすると、あの視線が鼓膜に浮かび上がって、喉が締めつけられる。
恐怖が全身をしばりあげるのがわかる。
僕は残りの水を飲み干してから、内海さんの顔も見ずに言った。
「……ごめん。今はちょっと……」
足を置いている車内のマットに、あの視線が浮かび上がる気がして、僕は硬く目を瞑る。
早く陽が昇らないかとスマホを見たが、まだ20時にもなっていなかった。




