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僕の、特異点 ──この未来に、僕はいない。  作者: 木村色吹 @yolu


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第12話

『わたしの観測者ソラ、ようやく来てくれた』


 腕を広げて歓迎されるが、相手は半透明の外国人だ。

 僕はどう反応していいか困ってしまう。

 彼は数秒考えてから、少しだけ肩をすくめ、眉を上げると、腕を畳んでくれた。


 僕は頬をかきながら、おずおずと進んでいく。

 初めて出会ったときと変わらないのに、どこか懐かしい気分だ。


 ただ、ニシダさんの透明度が落ちた気がする。

 いや、色が濃くなったと言った方がいいのか。


 西陽が若干理科室に入っているせいもあるかもしれない。

 僕は彼の目の前に立って、軽くお辞儀をした。


「覚えていてくれて嬉しいです、ニシダさん。……ニシダ博士、と言うべきでしょうか」

『どちらでも構わないよ』


 僕は白衣姿に鎌をかけてみたのだが、普通に当たってしまって拍子抜けだ。

 医者だ、とか、教授と呼べ、というように、否定されると思っていたからだ。

 だが、博士と分かったことは、大きな収穫になる。彼を掘り下げるポイントができた。


「あの、ニシダ博士、今日はお話がしたくて。みんなも博士の話が聞きたいので、後ろの空いたスペースまで動けますか?」

『構わないよ』


 音もなく歩きだすニシダさんを追うように僕も歩いていく。

 ちょうど棚が並ぶ壁の前は、2メートルぐらいのスペースがあり、ここでいいかと指をさされた。


「はい、ここで。ありがとうございます」


 きっと授業を参観しやすいように作られたスペースなのだろう。

 微妙な隙間にイスが並んでいくが、1つだけ、でっぱったイスがある。


「水野くん、そこに座って」


 いつの間にかスマホで動画撮影を始めた内海さんに指示を出され、僕はイスを引っ張り、ニシダさんの前に置くと、大人しくそこに座った。

 ニシダさんは立ったまま、僕と対峙する。


『で、話って?』


 スピリットボックスからも音が出ているため、情報の齟齬は今のところない。

 僕は内海さんを見た。

 内海さんは、小さく頷いて、手を差し出してくる。

 そのまま、どうぞ。ということらしい。


「えっと、まず、合わせ鏡の怪談話は知っていますか?」

『怪談話……?』

「音楽室へ行く階段の途中で、ドッペルゲンガーに会うというような怪談話で……あ、登る階段の話、ではなく、ホラー的な怪談話です」


 日本語は難しい。

 同じ音でちがう意味をもつものの説明は、特にだ。


『……あそこは、あぁ、そうだね、線がゆるいから、滲みやすいかもしれないね。……ここの学校全体がそうだけど。特にあの階段のところと、この理科室の辺りは線がゆるい場所だと思う』


 透明な世界が何枚も重なって、端が少しずつズレているようなイメージだろうか。

 さも当たり前のように話す博士に、僕は尋ねた。


「《《線がゆるい》》とは、どんな意味ですか?」

『君は、マルチバース、わかるだろ?』


 映画の題材にも使われる並行世界を意味する言葉だ。

 僕は「はい、知ってます」そう答えると、博士は顔色を変えず、つらりと言った。


『世界線の、線。それがゆるいんだ。他の線と重なりやすい。ここは始まりの場所だからね。観測がここから始まったんだ』

「それは、どういう……?」


 眉をひそめる僕に対し、博士は少し驚いた顔をする。

 なぜ、訊くのか? という顔つきだ。

 だが博士はそのまま説明をつなげてくれた。


『……その、言葉の通りだよ。ここで、世界の観測が始まったんだ。観測する前には、いくつもの世界が存在している。たった今この時間が、この世界に定着しているだけで、無数の選択肢があった。だが線がゆるい廃校(ここ)では、選ばれなかった選択肢が侵食して、重なって、また元に戻る、あるいは、別な選択肢として世界が繋がってしまう、ということだね』


 話しながら、博士は何か思い出したようだ。

 今まで、少し怪訝そうな顔で話していたのだが、どこか納得したように見える。


『そうか。……君は、3年後を知らないんだな』


 博士は悠々と大股で歩き、ぐるりと一周すると『簡潔に言おうか』自分自身に言い聞かせるように声を出した。

 白衣をなびかせ、僕に向いた顔は、わくわくした幼い子どものようだ。

 きらきらと目を輝かせながら、博士はゆっくりと言い切った。


『──ソラ・ミズノ、君は、僕の時代では、神と同義なんだ。宗教的な意味じゃなく、“未来を選んだ者”という比喩だよ』


 もったいぶった雰囲気で放たれた言葉は、現実味がない。かけ離れ過ぎている。

 これも階段と怪談のように、同じ言葉で別な意味、とか……?


「……えっと……?」


 僕は神に対するいい質問が浮かばず、言葉を濁した。

 軽く後ろの方を見ても、みんな、スピリットボックスを見つめて、黙ったままだ。

 僕らのドン引いた雰囲気をものともせず、ニシダ博士は大きく腕を振りあげ、手を天井へ掲げる。

 まるで後光でも浴びているかのように目を細めた。


『君は、AIを使って観測者になる。そして、世界が選ばれていくんだ……!』


 なんか、突拍子もないことを言い出した。

 僕はとんでもない変人、それこそ博士と思い込んでいる幽霊と会話しているんじゃなかろうか。

 いや、間違いない。


「……なにを、言ってるんです? 本当に、博士、ですか、あなたは」


 不機嫌を包んで話してみたが、興奮気味に話すニシダ博士の目は輝いたままだ。

 僕を宝石のように、うっとりとした視線がかかり、ぞわりと鳥肌が走った。

 博士は息を整えると、座る僕に視線を合わせ、中腰のまま続けた。


『君が創ったプログラム、その当時は“量子観測AI”と呼んでいたそうだよ。占いのような簡易的なシステムだったそうだが、そのプログラムは瞬く間に広がり、学習し、人々を観測。そして、世界で生かされる人が選ばれていったんだ……!』


 もう一度、天を仰いで、僕を見下ろした。

 大きく見開いた目は、素晴らしい功績を讃えるかのように、潤んでいる。


『それが始まるのは、今から3年後だよ』


 ひと呼吸して、息を止めたニシダ博士は一気に吐き出した。


『それにより、人類の7割が消える。その始まりは── 君だよ、ソラ……!』


 僕は言葉を返せない。

 どこまでが本当の未来で、どこまで信じればいいのか……。

 半透明のニシダ博士が、本当に未来の死人なのかも怪しいのに、さらに僕の未来が、世界の未来が語られることに、僕の意識がついていけない。

 振り返ったみんなの顔もそうだ。

 言葉を選べないでいる。

 ただ不気味に響くノイズまみれの声にじっと耳を澄ましている。


『選ばれたわたしの先祖たちは、世界に多く貢献した。それこそ、選ばれた人間は全て、この世界を、地球を豊かにしたんだ。観測者として、ソラは本当に素晴らしいんだっ!』 


 讃えてくれているのはわかる。

 だが、それは、選ばれた人間の優越感に近い。

 僕は、興奮気味のニシダ博士に、どうにか声をかけた。


「……あの、仮にそうだとして、まだそうなっていない僕にその話をするのは危険では?」

『ああ……』


 ニシダ博士は眉を上げる。


『未来が変わる、と?』


 頷いた僕に、博士は鼻で笑った。


『親殺しのパラドクスって知ってるかな』


 親殺しのパラドクス。

 仮に、自分が過去に遡り、両親を殺すとする。すると自分が生まれなくなる。だけど、それは両親を殺す自分が生まれないということになり、結果、両親を殺すことができない。

 ……という、思考実験のことだ。


「……知ってます、けど」

『さっき伝えたパラレルワールドといっしょだよ。過去に何が起こったとしても、わたしの人生の流れには影響がない。それを選択しなかった未来だからね。……しかし、線がゆるいここなら、バタフライエフェクトが起こるかもしれないね』


 ニシダ博士は楽しそうに微笑んで、腕を組んだ。

 スマートな顎をつまみ、なでながら、


『仮に起こったとしても、もう私は死んでいる身だ。どう変化が起きても変わりはないな。……うん。どうなるか、楽しみだね』


 悪気のない純粋な気持ちが読み取れる。

 これが100年後の未来人の姿なのか?

 選民思想にどっぷり浸からなければ心が保てない世界なのかもしれない。

 【残されたから】ではなく、【選ばれたのだ】と言い換えて、世界を動かしていたのなら、博士の世代がこういう思想となってもおかしくはない。

 そこで納得ができても、3年後、自分が観測者になる意味がわからない上に、人類の7割が消える、その意味もわからない。


 だが、ひとつだけ、解決策がある。


「でも、今、僕は、話を聞きました。だから僕は、絶対に量子観測AIをつくらなければいい」

『その選択をしてもいいと思う。それでも、君は最初の観測者になるのは決まっているんだ』

「それは、あり得ないっ」

『仮に量子観測AIという名前でなくなっても、君が観測者になる未来は変わらないよ。なぜなら、わたしは君と出会ってしまった。お互い、こうなる未来を観測したことになるんだ。そして、確定されてしまったんだよ……!』


 博士は嬉しそうに笑って、また『ああ』とつぶやいた。


『ひとつ、博士らしいことをしようじゃないか』


 言いながら僕らのまわりをぐるぐると歩きだす。

 博士は満足げに息をついたあと、少し声色を変えた。


『君の時代に合わせて、時間そのものについても話しておこう。これはパラレルとは別の視点だよ』


 長い人差し指が一本立てられる。

 彼は自身の腕時計を指差した。


『時間はね、流れるものじゃないんだ。映画ってあるだろう? あれは1枚1枚の“止まった絵”が並んでいるだけだ。でもぼくたちは、それを連続で見るから『動いている』と感じる。時間も同じなんだよ。過去の一瞬、今の一瞬、未来の一瞬……全部が“コマみたいに”並んで、ただそこにあるだけなんだ』

「でも“今”があるじゃないですかっ」


 博士は優しく諭すように語る。


『“今”というのはね、君の意識が“どのコマを見ているか”。君が次のコマへ進んでいるように感じているだけだよ。つまりね、ソラくん、時間は流れない。流れているのは、君の“観測”なんだよ。でも、普通の人間はそうじゃない。時間の一方向性、つまり“時間の矢印”は、エントロピーというものが決めている。エントロピーとは、無秩序の度合い。――例えば、コーヒーが冷める、部屋が散らかるみたいにね。いったん散らかったものは、自然には元に戻らない。だから過去から未来へしか進めないように感じる。でも君は、それを飛び越えられる“観測者”なんだよ』


 元の位置に戻ったニシダ博士は、ポケットから手を出して、僕にプレゼントでも渡すように手のひらを向けた。


『だから、特別なんだ。君は“どの時間のコマを見てしまうか”を決められる。決して、それが望んでいないものでも。しかし、それが君の、特異点(シンギュラリティ)なんだよ』


 講義を終えた博士は満足したのか、気持ちよさそうな顔で佇んでいる。

 そして、ゆっくりと僕に諭すような優しい声音は、現実味がまるでない内容を羅列していく。

 僕に触れそうなほど興奮したニシダ博士は、一歩、身を引いた。

 大げさな深呼吸を数回繰り返し、唖然とスピリットボックスを見つめるみんなに語りかける。


『とてもすばらしいじゃないか! そうだろ、みんな?』


 その声かけは、僕以外の内海さん、陽真理さん、裕真に対してだ。

 音でしか判別できないはずなのに、それが僕宛でないことがわかるのか、不安そうに顔が暗い。

 僕も声がのどにつまったように、なにも話せない。

 理解が、追いつかない。


「……ねえ、これ、本当にニシダさんが言ってるのー?」


 裕真だ。

 彼は不機嫌そうに頬を膨らませている。


「なんで宙が、なんか始祖で、人類の大半が消えちゃうのさ。何か仕込んだの、宙?」

「僕、そんなこと……」


 スピリットボックスの音が割れる。

 キーンとつんざく音に顔をしかめていると、少し怒気をはらんだ声が流れた。


『……なら、あの階段に行ってみたらいい。君らがいう怪異がいるのは確かだ。そして、』


 博士の感情のブレが、音になって跳ね返る。


『──絶対に観測できる。ソラならね』


 断言された言葉は、重みがある。

 裕真は即座に立ち上がると、不機嫌なまま理科室のドアに手をかけた。


「いこうよ、階段!」


 怒鳴り気味の裕真を追うように陽真理さんが立ち、内海さんもついていく。


『……ソラ、すでに、始まっているのかもね』


 ニシダ博士の声に、僕は、もう取り残されたんだと思った。

 腕を組んで微笑んでいる博士は、僕に僕の未来を伝えられて満足なのだろう。

 だけど、僕の心はぐちゃぐちゃだ。

 おかげで耳鳴りが激しい。

 今、まさに僕の知らない世界が蠢いている。

 息が苦しい。意味がわからない。

 僕が世界を壊すのか……? なんで?

 冷や汗と疑問で吐き気がする。


「なんなんだよっ」


 僕の膝は力なく床についた。

 冷たい床の感触はリアルで、だけど少し色の濃い博士の爪先がそばにある。

 現実が虚像と混ざって、頭がおかしくなりそうだ。


「ほら、行こう、水野くんっ!」


 内海さんが僕の肩を叩いた。


「確かめに行こう。で、未来を変えよう」


 しっかりと向いた目は力強く、手首をひっぱる力も華奢な腕の力と思えないほどに強い。

 同時に蘇ったのは、僕は内海さんを助けるって言ったあの時の気持ちだ。

 僕は今、内海さんに助けられている。


「……ごめん」

「謝んないでよ。そのときは、そのときなんでしょ?」

「ここで使わないでよ……」


 僕はどうにか膝に力を込めて立ち上がったとき、本当に小さな声で博士が言った。


『──君の未来は、もう観測済みだよ』


 スピリットボックスすら拾えなかった声だが、僕は聞き流した。

 信じない、いや、観測しない。


 僕は、僕の未来を選ぶんだ。

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