第10話
翌日。
僕は早めに待ち合わせ場所の駅前に行くことにした。
16時に家を出たが、まだ暑い。
熱が地面に溜まって、滞留している気がする。
天気は薄曇りだが、時折出現する太陽光はとても凶暴だ。
僕は日陰を伝うように歩き、地下のショッピングモールへそそくさと入った。
地上とシャットダウンされた世界はとても冷えていて、くしゃみが出そうになるのを無理やり止めて歩いていく。
途中、4歳くらいの子が、父親と手を繋ぎ、楽しそうに歩いていく。
通り過ぎる瞬間、
『お前、こんなこともわかんないの? 本当に?』
聞こえてきたのは、僕の父の声だ。
ただの算数だが、まだ4歳の頃の記憶だ。
なぜか、小学校1年生の算数のドリルをやらされていた。
そこには母はいない。
休日出勤で、父に面倒を見てもらっていたのかもしれない。
『父さんがお前ぐらいのとき、これぐらい解いてたぞ?』
『あー、なんでわかんないかなー、もー』
楽しい時間が起こった分を相殺するように、過去の嫌な記憶が同じだけ蘇る。
なぜ、自分で自分を苦しませるのだろう……
ただ陰陰滅々なまま、僕はいつものおにぎり屋さんに足を向けた。
雑貨店の隙間を埋めるようにあるおにぎり屋さんは、その名も『おにぎり屋』だ。
小学校の頃からあるこの店は、イートインのスペースが設けられていて、一人でご飯を食べなければならない日はよくここで食べていた。
今の時刻も中途半端、夏休みで学生がいないのもあり、店内は空いている。
「豚汁と、辛子明太マヨ、サイズは大で」
その場で握ってくれるのだが、おにぎりのサイズを大・普通・小と選べるのが、ここのお店のいいところだ。大は100円アップ、小は100円引きとなる金額システムも好きなポイントだ。
オーダーすぐに握られたおにぎりと、カップに注がれた豚汁を丁寧に運び、一番端の席を陣取った。
握りたてのおにぎりはホワホワほかほか。
だが、冷房の効いた店内は、瞬く間に乾かしてしまう。
僕は少し急ぎ足でおにぎりを口に運んだ。ふわりとほどけるご飯つぶが、とても美味しい。
もうひと口、もうひと口と頬張れば、すぐに嫌な気持ちは薄れ、ほっこりとおいしい気分に浸れる。
「んー……」
小さく唸りながら、僕はスマホのメモを立ち上げた。
今日は、どう検証をすべきか?
きっと内海さんなら詳細を決めているのは間違いない。けれど、僕が検証したいことも伝えてもいいと思う。
・吾妻さんの体験談
・体験談と思われる証言と、その差異
・OGの失踪
どれも、あの学校で起こったことだ。
共通点はそこだけで、23年前の体験と、OGの失踪がどう絡むのか。
そして、実験室の半透明のニシダさんは、これらに何か影響する人物なのか。
……などなど、疑問を出そうと思えば、いくらでも考えついてしまう。
だけど、今日は失踪されたOGをニシダさんが知っているかどうか、と、あの合わせ鏡の怪談を確認するのが一番いいと、僕は思う。
場所は同じでも、理由が同じとは限らない。
別個の問題として扱って考えていく方が、結果をまとめやすい。
僕は今考えついた内容をノートに書き込んでおいた。
あとから何をしようか考えるより、見て話す方がいい。説明もしやすくなる。
そう思いながらスマホの画面を落とした。
なぜなら、真横に座った人がいるからだ。
席はまだ空いているのに。
イラっとしながらチラ見すると、……そこには内海さんがいる。
「え、あ、」
「やっほ、水野くん。おにぎり、何味?」
一瞬固まったが、頭の中で質問を反芻する。
おにぎり、何味?
「ええっと、……辛子明太マヨ、です」
「それもおいしいよねっ」
うん。と答えて、続けてメモに書いたこともしゃべればよかったと、僕はおにぎりを口に含んだことを後悔した。
だが、内海さんもおにぎりを食べなければならない。
内海さんは、五目おにぎりのようだ。しかも、大。いいと思う。
今日はシンプルな半袖ブラウスに、パンツスタイルだ。
髪はゆるい三つ編みにまとめられていて、なぜか小麦畑を連想させる。
僕は相変わらずの変わり映えのないTシャツにジーンズ姿だが、内海さんはあまり気に留めていないのか、おいしそうに五目おにぎりを頬張って、味噌汁を啜っている。
「……えっと、内海さんは、五目おにぎり、好きなの?」
唐突な質問だ。
だが、内海さんは普通に返してくれた。
「なんか、期間限定なんだって。私、期間限定に弱いんだ」
「へぇ。なんか意外」
お互いに頬張りつつ、汁を飲みつつ、何気ない会話が続いている。
不思議だけれど、心地よい時間だ。
「意外? なんで?」
「なんだろ、内海さんって、雨の日はこれ、暑い日はこれ、みたいにルールがありそうだなって……」
「それなら、水野くんがじゃない? 結構、ルーティン、大事そうだし」
指についた五目ごはんを唇でつまみながら、内海さんは笑った。
確かにそうだ。
僕は変わり種は絶対頼まないし、期間限定にそそられない。
いつも同じ、いつも似たものを心がけている。
だからこそ、新しいことに挑戦する意欲が欠けているんだと、僕は思う。
「そうかも。だから、新しいこと始めるの、苦手なのかな」
「そうなの?」
心底驚いた声に、僕が驚いてしまう。
「なんで……?」
「だって、いろんな本読んでるじゃん。時代小説からノンフィクションの文庫も読んでたじゃん。あんなに幅広く読んでて、新しいのが苦手なんて意外すぎるし」
「え、え? み、見てたの?」
僕の質問に内海さんは水を飲みこんだ。
喉に詰まったのだろう。
しばらく小さく咳き込んだせいか、耳が赤い。
落ち着いてから、口直しにたくあんをぽりぽり噛み締めて、ぽそりと言った。
「読書仲間だなぁって思ってまして……」
「や、やめてよ。僕は内海さん、たくさん読んでるなって思って、読み始めて」
そう言って、僕はカッと耳が熱くなる。そのまま背中も首も熱い。
熱を下げるためにお冷を一気に飲み干したが、まだ熱い。
「……でも、決めてあるって、大事だよ、大事!」
内海さんは味噌汁を飲み干した。
それにつられて僕も豚汁を飲み干す。
「決めてあるって、変じゃない? 面白み、ないじゃん」
内海さんは大きく首を横に振った。
「ぜんぜん変じゃないよ。私も決めてあるんだ。期間限定は頼むって」
にしし。と笑った内海さんがとても可愛い。
いつもの凛とした雰囲気ではない。
少女らしいやわらかさがある。
クラスでは見ない顔だと、不意に思って、僕は目を背けた。
手持ち無沙汰を埋めるように、スマホの画面を叩いて時刻を見る。
まだ時間がありそうだ。
「ねえ、水野くん、」
「……ん?」
「私たち、大丈夫だよね」
質問の意図がつかめない。
「ん? な、何が?」
「……ううん。いいんだ」
内海さんがひと口大きく頬張った。
そしてそのまましゃべりだす。
「なんかさ、……新事実がいっぱいで、……その、心が追いついてないっていうか」
お互い壁を見ながら食べる形になるのだが、内海さんは壁のさらに奥を見ている。
動きが止まった。
口のなかは、空っぽなのに、手元にはまだおにぎりが残っている。
「……なんかさ、別な、新しい事実が出てきたら、どうしようね……って、不安がわいてきてさ」
あれだけ検証には前のめりだった内海さんの弱気な姿に、僕は驚いた。
反面、少し嬉しかった。本音を見せてもらえたと、感じたからだ。
だからか、僕は少し強気の声をだしてしまった。
「その時は、そのときっ」
少しは頼って欲しくて言った言葉だが、驚いた顔だ。
内海さんの目に疑問符が浮かんでいる。
「水野くんって、肝、座ってた方?」
「……んー、座っては、いないです……」
見抜かれていた僕の小ささに恥ずかしくなるが、頬をかきながら言葉をつづける。
「でもさ、心配しても、事実ならそれまでだし。大丈夫! 僕、ちゃんと内海さん、助けるよ。絶対」
「……うん。ありがとっ」
くるりと向いた内海さんは、にっこり笑っていた。
目を細めた顔いっぱいの笑顔は、今まで見たなかで一番、かわいかった。
再び椅子を正面に戻し、お冷を飲み干した内海さんは、トレイを持って立ち上がる。
「時間だね。行こう、水野くんっ」
「もう、そんな時間?」
はずむように歩きだした内海さんの横につくと、内海さんは嫌な顔をせず、微笑んでくれる。
「頼りにしてるよ、視える人!」
「……がんばります!」
──このときの僕は、すごくヤル気があったし、何か成果が出せるとすら思っていた。
けれど、それは間違いだった。
ニシダさんから得られた新事実は、事実として信じるには重く、受け入れ難い内容だったから。




