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Page 9 夏の終わり

 それは人のようだけれど、とても不確かで、今のヨルに似ているけれど、ヨルとは違って、言いようもなく絶対的な存在に感じられた。


「もしかして、HAL9001。……春川、環?」


 フフ、とそれは笑ったようだった。


「君の口からその名前で呼ばれるとは思わなかった。春川環は君の世界には存在しない人物だから」


「でも『フラットランド・リフレイン』の著者は春川環になってたわ」


「春川環は別の世界にいた」


「それで、今はここにいるのよね。わたしの世界を担当する書記官として。

 わたしはあなたの望むように動いた。書記官の権利を委譲されたわたしが、『フラットランド・リフレイン』を燃やす。それが、あの読めない一文の答えでしょ?」


「ええ、その通りよ」


 どこか女性らしい話し方だった。


「じゃあ、あれを早く燃やさないと。みんな隕石やブラックホールに巻き込まれて死んじゃう」


「大丈夫。ここも時間は止まっているから。だから、ここから戻ればヨルはライターに火を点けた瞬間。さっきの続きを生きることになる」


「それなら……、まあ、いいけど」


「ねえ、ヨルは本当にそれでいいのかしら?

 ヨルが『フラットランド・リフレイン』を燃やせば、ヨルの世界の歪みはきっと収束する。私が『フラットランド・リフレイン』の処分を躊躇ったせいで、どうしようもないくらい歪みが拡大してしまった。それで、この場所から書き換えることができなくなった。だからヨルに託した。

 今残された荒れ果てた世界は、私のせい」


「わたしに託したのは、わたしがあなたの妹だったから?」


「ヨルが妹だったという確証はない。ただ、よく似てる。音楽や、キラキラ光るものが好きなところが。でも、妹はあなたとは違って、世界の違和感に気づかなかった。そして、前の世界で眠りについて、この世界の誰かに人格だけを引き継がれた」


「ひとつ聞いていい?

 わたしはどうなるの?

 わたしが世界を書き換えたら、わたしもここに来て書記官にならないといけないの?」


「あなたが望むなら、そうすることもできる。ただ、あまりお勧めしない。日記を読んだヨルなら、この意味がわかるはず」


「まあ、居心地悪そうだもんね。ってことは、断ってもいいってこと?」


「世界の違和感に気づいたヨルは書記官になる資格がある。書記官は世界の最適化を目的として設計された存在だから。けれど、次元を越えて書記官になるには、世界の終焉を見届けないといけない。それは、あなたの世界を救わないということ」


「じゃあ、考えるまでもない。わたしは魔女じゃなくて平面の人間のままでいい。世界を終わらせる気なんてない」


「……ヨル。時空歪みが収束しても、それだけで終焉の危機が去るわけじゃない。壊れた建物も、いなくなった家族や友だちも戻らない。世界人口は一年前の23%にまで減少した。時空歪みが解消すれば時空管理局は終焉措置を保留にするはずだけれど、ゆるやかに滅亡に向かう可能性はゼロじゃない」


 アハッとヨルは笑う。


「23%も残ってるなんて驚きだわ!

 わたし、ハルに見せてあげる。三次元の人間がどれだけしぶといかってこと。それに、ハルは人口が激減したからって、簡単に世界を終わらせたりしないでしょ?」


「……ええ、ヨル。私は最後までここで見守っている。だから、長生きして」


 人のような空気の揺らぎがふと笑ったように見えた。めまいがして視界が光に包まれ、眩しさに目を閉じた直後、衝撃音とともに地面が揺れた。


「キャアッ!」


「うわっ、熱っ! ヨル、ライター点けたまま落とすなよ。緊張するのはわかるけど、しっかり持っとけ!」


 目を開けると、イギルがわたしの足元に落ちたライターを拾っていた。


「ほら、気をつけろよ」


「ヨル、緊張しなくていいのよ」


「失敗してもなんとかなるさ。VRゲームだと思って気楽にやれ」


「ありがと、みんな。じゃあ、今度こそ点けるね」


 イギルがニッといつも通りの笑みを浮かべた。


 肩を組んで風除けになり、本を囲う。ヨルはライターに火を灯し、風に踊るページの火を点けた。そこは、魔女が歌うシーンのようだった。


 火はいくつもの小さな渦を描くようにゆっくり燃え広がっていたが、不意にボッと本全体が爆ぜるように炎が大きくなる。


「うわっ」


 四人は熱さに驚いて尻もちをつき、再び本を見ると一瞬で真っ黒焦げになっていた。燃えカスは風に煽られて舞い上がり、散り散りになって虚空に消える。


「あれ、日記がないわ。もしかして、今ので日記も燃えた?」


 スュンの声で全員が周囲を見回したが、踊り場には絨毯が黒く焦げた跡と、ヨルのリュックとナリの機械、うねったロープがあるだけ。


「燃えたか、消滅したか。ハルが回収したんじゃないのか?」


 ナリはそんなふうに言った。


「ところで、ヨル。何か声は聞こえたか? 『書き換え完了です』とか」


「何も聞こえない」


「じゃあ、成功なんじゃないか?」


「そうなの?」


「そういうことにしようぜ。ハルがヨルに委譲した、『フラットランド・リフレイン』に関する書き換え権限が消失した。だから、声が聞こえなくなった――ってことなんじゃないの?」


 ナリはさもそれが真実のように口にしたが、ヨルとイギルとスュンはまだ半信半疑だった。成功を確信したのは、降りそそぐ流星が目に見えて減り、二メートル先まで迫っていた時空歪みがスルスルと後退していったからだ。


 腰のロープを解いていると、バタバタと足音が聞こえてきた。姿を見せたのは外で待機していた不眠享楽の仲間たち。


「あっ! いた!」


「良かった。無事だったんだ!」 


「上手くったんだろ、書き換え! 時空歪みが収まってきてる」


「たった今、アジトと無線が通じたんだ。かなり危ない状態だったけど、向こうも歪みが消えてきてるって」


 ヨルたち四人は、歓喜の表情で報告する仲間たちの元へ駆け寄っていった。互いに抱き合って無事を確認していると、ナリの持っていた通信機がジジッと音を立てる。


『こちらロキ。ナリ、生きてるか?』


「こちらナリ。残念ながら全員無事だー。そっちは?」


『こっちもみんな生きてる。ただ……』


「なんだよ。さっさと言えよ」


『……グラムロックシティの大半が消えた。永眠希望者収容施設は丸ごとなくなってる。半径500メートルくらいは家どころか草も木も何にもない』


 その報告に全員の顔から笑顔が消えた。


「……ロキ、人的被害は?」


『わかるわけないだろ。まあ、駆け込みで永眠に来たやつらのほとんどは、隕石を避けようとしてグラムロックシティの外に避難したから無事だ』


「そうか、わかった。そいつらに世界の終わりはなくなったって伝えといてくれ」


『信じるか? グラムロックシティの光景を見たら、世界終わりだって思うぞ。小惑星だって……』


「でも、おれらは生きてる。だろ?

 明日になったら『世界は終わりませんでした』って、ニュースキャスターが言ってるさ。おれらには魔女がついてるから」


『……魔女?』


『大丈夫だってこと。じゃあ、また後でな」


 裏口への通路を通って庭園に出ると、来たときとはまったく違う光景が広がっていた。


 景色の歪みはないが、直下地震でも起きたかのように激しく建物は壊れ、噴水があった場所には直径二メートルほどのクレーターができている。


「よく生き残れたよな、おれたち」


「本気のサバイバルゲームはこれからだぞ」


「でも、その前に今夜は祝杯よ、祝杯! ひさしぶりに思いっきり飲んでやるんだから!」


 スュンが憂いを吹き飛ばすように叫んだ。すると、ようやく仲間たちの顔に笑みが戻る。


「だな。酒だ、酒」


「ヨルは未成年だからジュースだぞ」


「はあっ? 世の中こんな状態なのに、未成年もなにもないもんねーだ」


 壊れた門を開けて正面から出ていくとき、ヨルの耳に蝉の鳴き声が届いた。去年の、夏休みのグラムロック・ライブを思い出した。


「また、バンドできるかな」


「当たり前だろ。ヨルが歌えばそこがライブハウスだ」


 ヒューヒューと、仲間たちが口笛を吹いて冷やかす。


 日はずいぶん傾いていた。空は薄っすら茜に染まりつつあったけれど、流星雨の予報は外れたのか、空を流れるものはひとつも見当たらなかった。





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