Page 8 世界の終わりの日に
8月31日——世界の終わりの日。
ヨルを含む十名が、ミーミル図書館の庭園の隅にいた。空には流星群が降り注いでいる。
先日来た時にいた警備兵たちは、「永遠の眠り」についたのだろうか。人影は見当たらなかった。ただ、ミーミル図書館の時空歪みはさらに進行し、うっかりすると別次元に飲まれてしまいそうなほどだ。
不眠享楽のメンバーは、それぞれの役割を果たすために動いていた。
ナリは時空歪み測定器を調整し、ミーミル図書館の内部にある「最も歪みの強い場所」を特定して、かつ、時空歪みが少なく安全なルートを見つけようとしている。スュンは警備ドローンの動きを監視し、イギルと他の肉体派メンバーは、図書館の裏口をこじ開けている真っ最中。持っているのはバールにハンマー、スクリュードライバーにボルトカッター。
「準備はいい?」
工具の音がおさまると、スュンが全員に問いかけた。
「ああ」
「成功したら祝杯だ」
「貴重な体験だよな」
明るく、それでいて重々しい口調で励まし、鼓舞し合う。
図書館内に入る四人――ヨル、イギル、スュン、ナリ――は、命綱となるロープを腰に括り付けていた。その端は一緒に来た不眠享楽のメンバーが裏口の外で握り、万が一時空歪みに飲まれたらロープを引っ張ることにしている。
「じゃあ、行ってくる」
相変わらず先頭はスュン。ボコボコに壊された裏口の扉を踏みつけて中に入ると、内部の歪みは想像していたほどではなかった。特に通路に関してはまったく以前のままと言っていい。
「通路はデータ計測できない作りになってるみたいだ」
ナリが測定器を確認しながら言う。
「高次元フィールドってやつ?」
「おっ、ヨル。わかるようになってきたじゃん。
たぶん、ここもハルが書き換えてそういう仕様にしたんだろうな。ヨルがここに来る時のために」
「ここがハルの本拠地だったら、最初から高次元フィールドが張られてたんじゃない?」
「もしそうなら、こんな裏口通路じゃなくて本やデータがあるとこに張るだろ」
ナリの目は手元の端末のモニターに向けられ、数値をチェックしている。T値は測定エラー、Q値は0。
「外で測定した数値をもとに動こう。これ以上測定を続けても意味はない。目的地はシンクロ・リーディング・システム対応書籍棚のある管理室。SRSルームのシステム受付カウンターの奥だ」
「了解」
スタッフ専用通路から出ると、トイレと自動販売機のある利用者用通路を進み、正面ロビーに出た。吹き抜けの広々としたロビーはガラス張りになっていて、外の様子がマーブル状に歪んで見えている。
書架のある一般閲覧室は、一階のガラス扉の奥。そこはまるで異次元の空間のようだった。壁は歪み、書架は溶けた飴のようにぐにゃりと曲がり、アナログ時計の針は狂ったようにグルグルと回り続けている。よく見れば、どこか見知らぬ砂漠のような景色がそこに紛れ込んでいるようにも見えた。
「イギル、開けるなよ!」
ふらふらと扉に近づいていたイギルは、ナリの声に「ヒャッ」と飛び上がった。スュンは呆れ顔だ。
「好奇心は二の次にして」
「ごめん」
一行はその扉をやり過ごし、ロビーから二階へと続く中央階段を上がった。窓から見える流星群は激しさを増し、空は燃えるように赤く染まっている。
「まさに終末だな」
「ウィークエンドの〝週末〟なら大歓迎なんだけど」
「似たようなもんよ」
軽口を交わしながら、シンクロ・リーディング・システム利用室(SRSルーム)にたどり着いた。そこは不気味なほど以前のままだ。
専用カプセルがずらりと並び、図書館らしさは微塵もない。だが、受付カウンター奥の管理室の扉は微妙に歪んでいた。
ヨルは腰のロープがちゃんと結んであるのを確認し、スュンの前に出た。
「みんな、ここで待ってて。ここから先は一人で行ってくる」
「ダメだ」と、イギルが腕を掴む。
「ヨル一人で行って、ゴキブリが出たらどうするんだ? おまえ、一歩も動けなくなるだろ」
そんなことはない。ヨルはスリッパ片手に余裕でゴキブリに立ち向かっていくタイプだが、イギルが真面目な顔で言ったせいでプッと吹き出した。
「イギル、ついてきたら時空歪みに飲まれるかもしれないよ」
「そんなのわかってるさ。この長〜いロープの端は外のやつらが持ってるけど、姿が見えないから正直不安だろ?
だから、スュンとナリがここでロープ持っててくれ。おれらが紐引っ張ったら、SOSのサイン。引きずっても何でもいいから引っ張り出して。
力仕事はおれよりスュンの方が向いてそうだし、おれはヨルが無茶しないように見張ってる」
スュンとナリは顔を見合わせ、「わかった」と諦め顔でうなずいた。念のためにロープは壁際の手すりにも紐で括りつけた上で、スュンがヨルの、ナリがイギルのロープを握る。
「よし、行くぞ。ヨル」
「イギル、張り切ってるな〜」
からかうようなナリの声を聞きながら、ヨルとイギルはカウンター奥にある書籍管理室の扉を押し開けた。その瞬間、床に置いたナリの測定器が大きく反応したが、誰もその表示には目もくれない。スュンとナリは食い入るように二人の背中を見つめていた。
*
管理室内は、一階の一般閲覧室に比べると歪みは大したことはなかった。おそらく、書籍が専用のケースに収められているせいだ。
ケースにはタイトルと著者名が書かれ、それはおおむね判読可能だったけれど、透明ケースに透けて見える内部の状態で、それぞれの書籍の歪み加減は一目瞭然だった。歪みの大きいものはケースに液体が入っているのかと思うほどだ。
「あ、ヨル。あったぞ。『フラットランド・リフレイン』」
イギルは管理棚の一番上の段に手を伸ばしてケースを抜き取った。予想していたが、歪みは小さく、表紙に書かれたタイトルも読むことができる。
「なあ、本当にこれで合ってるのか?」
イギルが不安そうな顔でケースをながめ、ヨルに手渡す。
「合ってると、思う。きっと合ってる」
ヨルが蓋を開けてみようとした時――、ガァン! と激しい衝突音が聞こえて建物が揺れた。
「うわっ」
「何?」
棚にあったケースが落ちて、いくつか蓋が開く。すると、足元の床が歪みはじめ、イギルがヨルの腕を掴んで引っ張った。
「歪みだ!」
「隕石よ!」
スュンの悲鳴のような声がイギルの声に重なる。
さらに続けて二度衝撃音がし、窓ガラスの割れる音が響いてきた。
「くっそ! とにかく出よう。閉じ込められたら終わりだ」
ヨルは『フラットランド・リフレイン』を抱え、イギルはヨルの手を引いて管理室から駆け出した。
「二人とも、早く!」
手すりにロープを括りつけていた紐を解き、四人はもつれたロープに転びそうになりながらSRSルームから走り出る。
「もう、ロープ切っちゃうか?」
「ダメよ。命綱なんだから」
たわんだロープを回収しながら急いで階段を駆け下りようとしたが、半分降りた踊り場で四人は足を止めた。天井を突き破った隕石のせいで、一階の一般閲覧室から時空歪みが広がり、中央階段の下の方はすでにそれが階段かどうかもわからない状態だ。
「クソっ!どうする?」
イギルが地団駄を踏んだ。
「歪みに落ちるの覚悟で、外の人たちに引っ張ってもらう?」とスュン。
「あれ見て!」
ヨルは割れた窓の向こうを指差した。明るく煌めく星のような火球が、歪んだ軌道を描いて町の向こうに落下する。いくつもの火球が飛来していたが、どれも一箇所に引き寄せられているようだった。さらに、その落下地点あるあたりの上空は空が歪んでいる。
「あっちはグラムロックシティの方角だ!」
ナリが叫んだ。
「何があったのか分かる?」
「さあね! でも、かなりまずい状態ってのは確かだ。もし、あそこに本当にブラックホールがあって、あの収容施設に隕石でも落ちたなら――、あんなふうになるかもね」
「『もし』とか『かも』ばかり言ってんじゃないわよ! どうするの? みんなブラックホールに吸い込まれちゃうんじゃないの? あそこにはSRの仲間もいるのに」
「あー、だから、だから今日が終末の日なのか……」
「ナリ! しっかりして。諦めないでよ。頭いいんだから、何か方法を見つけなさい!」
「アーーーッ!」
素っ頓狂な声をあげたのはイギルだった。彼はヨルを振り返ってその肩を掴む。その間にも、階段は一段ずつ歪みに飲まれていく。
「ヨル! 書き換えだよ、書き換え。最後のチャンス、今ここで使うんだよ!」
そう言ってイギルはポケットからライターを取り出した。ヨルは呆然とし、スュンとナリは顔を見合わせる。
「……ここで、燃やすの?」
ヨルは手の中のケースを見た。さっきより歪みが少し大きくなった気がする。周囲の影響を受けているのかもしれない。
「そうだよ! もう、それしかない」
「イギル〜。おまえ、本番に強いタイプだな」
「オッサン、余計なことはいいから、ヨルの鞄から日記出して。スュン、こっちに移動して。みんなで本を囲わないと風がすごい」
イギルの言う通り、割れた窓からゴウゴウと音を立てて風が吹き込んでいた。ナリが取り出した日記が、パラパラと風にめくれる。ヨルは片手で『フラットランド・リフレイン』を抱えたまま、慎重にその日記を受け取った。すると、あの歪で、楽しげな声が響く。
『書き換えますか?』
「書き換えるから、早く!」
『では、%&$#!&%による修正を行うか、%&#!%&により住人に当該行為を行わせてください』
四人で円陣を組んでしゃがみこんだ。床に日記を置き、ケースを開ける。
「破ると風に飛ばされて、全部燃やせないかもしれない。そのまま火を点けろ」
ナリの言葉にうなずき、ヨルは全体が燃えやすいように真ん中らへんのページを開いた。イギルからライターを受け取り、風で揺れる紙に近づけて点火した、――つもりだった。
その瞬間炎がぐにゃりと歪み、ヨルはめまいを起こした。床が抜けたような感覚があり、それが収まってようやく顔をあげる。
気づけばヨルは真っ白な空間に立っていた。いや、立っているのかどうかもわからなかった。自分はここにいるようで、違う場所にいるような、妙な感覚。
「何、ここ?」
白い床、遥か上空に白い天井、無数に並ぶ白い書架とそこに収められた無数の白い背表紙。そして、目の前に何かが立っている。