Page 6 二回目のチャンス
すっかり夜型人間になっていたヨルは、廃図書館から戻ってすぐに持ち帰った本を広げた。ナリは盗んだデータの検証をすると言って別室に行ったが、イギルとスュンはヨルと一緒に本の歪み具合を確認することになった。
時空歪みについては、文字や周辺空間の歪みとして視覚的に確認できるため、それぞれが数冊ずつ、ページをめくって確認していく。
廃図書館からリュックに詰め込んできたのは全部で十冊。歪みの大きさだけでスュンが選んだのが次の五冊だ。
『量子もつれと時空の構造』
『ブラックホール・エントロピーと情報パラドックス』
『11次元の世界を探る』
『ホログラフィック宇宙論』
『シミュレーション仮説入門 〜私たちはプログラムの中にいるのか?〜』
見るからに歪んでいるけれど、シンクロ・リーディング・システムに対応していそうな本はない。スュンは「わたしが選んだんだから、わたしが確認するわよ」と、内容は完全無視でページだけめくっていった。専門書は可能性が低いとわかっているのだ。
そして、ヨルが選んで持ってきたのは次の五冊。どれもシンクロ・リーディング・システムで読んだ記憶があるが、中には内容がうろ覚えのものもあった。
まず一冊目、『量子猫の見る夢は』。
量子実験の事故により、主人公は観測されるまで存在が確定しない状態になってしまう。そして生と死の狭間を彷徨いながら、量子世界の「猫」と対話し、自分が生きるのが夢か現実か考えるSFサスペンスだ。
二冊目は、『果てなる幻影世界』。
宇宙が巨大なホログラムであり、主人公がその真実を解き明かす物語。
三冊目、『時空探偵ハイナールの鞄』。
時空犯罪を追う探偵ハイナールは、別の時空の証拠を収納できる特殊な鞄を持っている。ある日、鞄の中にまだ起きていない殺人事件の証拠が現れ、時間の矛盾に巻き込まれる。時空を渡り歩き、真実を追うSFミステリー。
四冊目、『シミュレーション・エラー』。
ある日、主人公が世界の「バグ」を発見し、シミュレーションの管理者と対峙する。ヨルは、この話が自分とHAL9001の関係に重なる気がしていた。けれど、『次元』という言葉が使われていないせいか、歪みはそれほど大きくない。
そして五冊目、『フラットランド・リフレイン』。
盗んだ十冊の中で歪みが最も少ないのがこの薄っぺらい文庫本だった。シンクロ・リーディング・システムを利用した記憶はあるが、あまり面白くなかったのか、ヨルはタイトルを見ても内容が思い出せない。
読書の苦手なイギルは読みやすそうな『フラットランド・リフレイン』真っ先に手にとり、ヨルは小説の中で最も歪みが大きい『時空探偵ハイナールの鞄』から読み始めた。その次が『量子猫の見る夢は』。ただ、可能性は低いと思いつつも、内容をほとんど覚えていない『フラットランド・リフレイン』がなんとなく気になっていた。
その薄っぺらな本でさえ途中で読み疲れたイギルが、「気晴らしにナリのところに遊びに行ってくる」と部屋を出ていった。そして、しばらくしてナリを連れて戻ってきた。
「ナリがなんか見つけたみたい」
ヨルとスュンは本から顔をあげ、ナリが持ってきた書類を受け取った。が、「説明して」とすぐに差し戻す。数字の羅列で読む気にもならなかったのだ。
「意味を理解できないコードをいくつか発見したんだけど、ここの部分、エンコーディングやフォーマットが崩れてるのかもしれない」
そう言ってナリが指差した文字は、ほんの少しだけ歪んでいた。
「もしかしたら、ハルによる書き換えの痕跡かもしれない。コードの意味は不明だけど、このコードに含まれてる座標は、おそらく永眠希望者収容施設の位置情報だと思う。
それから――、ここらへんには廃図書館内の座標が集中してる。おれの測定器が反応した座標とほぼ重なるから、鏡のあったあたりだ。
こっちの、アクセス記録にあるこの座標はミーミル図書館」
座標はそれぞれ以下のように記述されていた。
ミーミル図書館`X=102.45 / Y=76.21 / Z=0.00 `
廃図書館` X=89.12 / Y=54.77 / Z=2.31 `
永遠の眠りの永眠希望者収容施設` X=58.74 / Y=32.19 / Z=4.88 `
「通常、座標データはこのフォーマットでは記述されないんだけど、おれのデータと照らし合わせるとピッタリ一致する。ミーミル図書館のZ値が0.00になってるのは、あそこが何かしらの基準点になってるってとこじゃないかな。
――で、このXYZ座標に対応した記録。こっちが重要なんだ」
ナリが下の方から別の紙を引っ張り出した。そこにもずらっと数字が並んでいて、スュンとヨルは思わずウッと唸る。
「そう、数字を嫌ってやるなよ」とナリが笑った。
「この表のQ値は量子もつれ指数だと思う。最近のものはおれの計測とほぼ一致してるから。
こっちのT値は、たぶんTだから時間が関係してるんだろう。数値だけ見ると、時空の歪みが大きいほど数値も大きいってかんじかな」
その表の、2089/03/31とある最後の記録は次のようになっていた。
(ミーミル図書館と推定される場所)
`X=102.45 / Y=76.21 / Z=0.00/ T=-3.87 / Q=0.92`
(廃図書館と推定される場所)
`X=89.12 / Y=54.77 / Z=2.31/ T=-1.25 / Q=0.45`
(永遠の眠りの永眠希望者収容施設と推定される場所)
`X=58.74 / Y=32.19 / Z=4.88 / T=??? /Q=∞`
「廃図書館のデータをみる限り、廃館後もミーミル図書館とは繋がっていたんだと思う。ハルは廃図書館を通じて、グラムロックシティの観測をしてたのかもしれない」
ナリは、ヨルたちが話についてきているかどうか確認するように顔を見回し、先を続けた。
「ミーミル図書館と廃図書館については、T値とQ値が時間の経過とともに大きくなってる。つまり、歪みがどんどん拡大したってこと。
永眠希望者収容施設に関しては、去年まで0だったT値とQ値が、今年に入って急上昇してる。一月末の時点でT値がエラー、Q値は∞。
この∞っていうのは、おれの測定器では出ないんだ。量子もつれの計測値は0のまま、時空歪みの測定にはエラーが出るようになった」
「どういうこと?」
「ハルの測定方法とは精度が違うってこと。まあ、おれの測定器がポンコツって言うなら、それも仕方ないけどさ。まさに次元の違いってやつだよ。
おれの測定器は何らかの方法で計測が阻害されて、量子もつれは検出できない。前にも言ったろ。高次元フィールドみたいなものが張られた可能性があるって。
でも、その遮断をすり抜けて時空歪みは計測できたからエラーになってる。0じゃなくてね。
何にせよ、あの収容施設が相当危険な場所だってのは間違いない。ハルの日記にあった『G』はグラムロックシティのことだったのかもしれないな」
「えっ?」
ヨルの脳裏に、日記の記述がよみがえった。
『G区内図書館において書き換えによるケーブル破断。』
G区という文字は他にも何回か登場したはず――と、ヨルは日記に手をかけた。
「チャンスはあと二回です」
頭の中に響いた声を無視し、日記をめくっていく。ナリとスュンとイギルも一緒に日記を囲んだ。
「あっ、あった。ここ。えっと――『ヴァルホルの選定が終了し、恐れていた通りGに決定した。私がもっとも愛した街。愛したがためにGが人々の墓場となるとは、なんたる皮肉だろう』――?
ヴァルホルって何?」
ヨルが首をかしげる横で、ナリがハンディ端末で『ヴァルホル』を調べる。
「北欧神話の死者の国がヴァルハラっていうらしい。発音違いがヴァルホル。
ハルはそこのことを『墓場』って書いてるわけだし、まさに永眠希望者収容施設のことだろ」
ナリの手の中の端末画面に『ラグナロク』の文字があるのをヨルは見つけた。それが終末意味する言葉だということはヨルも知っていたから、少し不安になる。
「チャンスはあと二回です」
再び声が聞こえ、時計を見るとちょうど午前零時だった。
「8月28日になったか。世界の終わりまで、あと四日だな。
――で、ヨル。お目当ての本は見つかりそうか?」
ナリに問われ、全員が読みかけで伏せられた本に目をやった。ヨルは二冊を手にとって表紙を見せる。
「『時空探偵ハイナールの鞄』と『量子猫の見る夢』が歪みも大きいし有力だと思うんだけど」
「わたしが読んだのは可能性ゼロってことね」とスュン。
「だって、あんな難しそうな本読んだことないし、手に取った記憶もない」
「じゃあ、その二冊のうちどっちか?」
「そうだと思うんだけど……」
ヨルは確信を持てずに言い淀んだ。スュンはイギル前に伏せてあった薄っぺらな本に手を伸ばし、「そんなに歪んでないわね」と言いつつパラパラとめくる。
「その『フラットランド・リフレイン』って本、絶対シンクロ・リーディング・システムで読んだはずなんだけど、内容が思い出せないんだよね。
イギルが読んでたから後で読み返そうと思って、まだ読んでないの」
「まあ、まだ四日あるんだから、読んでから決めたらいいんじゃ――」
スュンは途中で何かに気づいたのか、バンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「ねえねえ。いっそ、ここにある本を全部まとめて燃やしちゃえばいいんじゃない?
別に一冊を選ばなくても」
その場にいた三人は、まさに目から鱗が落ちた状態だった。真夜中にも関わらずさっそくリュックを背負って地下を出て、バイク二台で三十分ほどかけて河川敷に到着する。風に飛ばされないよう気をつけながら手分けして本を破り、仕上げに灯油を上からかけた。
「じゃあ、準備オッケーね。ヨル、危ないから火を点けたらすぐに離れて」
スュンの忠告うなずき、ヨルは日記開いた。
『書き換えますか?』
「書き換えるわ」
『では、%&$#!&%による修正を行うか、%&#!%&により住人に当該行為を行わせてください』
ヨルは火バサミで掴んだ紙にライターで火を点けた。それを、元は十冊の本だった紙の山の上に置いた。すると、やはり歪みの影響で火は渦を巻き、一気に全体に燃え広がる。
「キャンプファイヤーだな。みんなで踊るか?」
ナリが腰を振って奇妙なダンスをするのを、スュンが白い目で見る。こんな時間にも出歩く人がいるらしく、橋の上ではふたつの人影が河川敷の炎をながめていた。火が消える頃には、ヨルが数えただけでも周囲に十人くらいの影。その影がひとつひとつ遠ざかっていくのを見送っていると――。
『焼却対象の絞り込みにおいてエラーが生じました。書き換えが一部しか完了していません』
「えっ?」
『%&$#!&%による追加修正を行うか、%&#!%&により住人に当該行為を行わせてください。チャンスは残りあと一回です』
「一部しか完了してないって、どういうことよ」
『%&$#!&%による追加修正は、権限所持者の位置情報から不可能と確認しました。権限所持者は当該行為を行ってください』
それ以上聞いても無駄だと悟り、ヨルはその場にへたり込んだ。スュンが心配そうな顔で「何て?」と聞いてくる。
「焼却対象の絞り込みにエラーが生じたって。チャンスが残り一回になっちゃった」
「ヨル、なんで落ち込んでんの?」
ナリは相変わらずあっけらかんとしている。
「だって、失敗しちゃったじゃん」
「でも、収穫はあっただろ。一部しか完了してないってことは、少しは書き換えられたってことだ。今燃やした本の中に、確実にその本があるってこと」
「そうだけど、本はもう燃えちゃったのに、どうやってもう一回燃やすの?」
「他の図書館に行けばいいだろ。本屋にあるかもしれないけど、歪みが生じてるのは図書館ばかりだから図書館を漁った方が無難かな。
でもって、おれたちが知ってる歪んだ図書館は、廃図書館以外だと――」
「ミーミル図書館? たしかにあそこならあるはずだけど」
「あそこがハルの本拠地なんだろ?」
ナリのその言葉で、今後の予定は決定したも同然だった。フゥ、と気合を入れるようにスュンが息を吐く。
「計画はわたしたちで立てるから、ヨルは電子書籍で五冊読み返して、どれを燃やすか考えておいて」
「電子書籍でも読めるの?」
「シンクロ・リーディング・システムに対応してる書籍は、基本的にはネットで読めるわ。もちろんシンクロはできないけど。
……そう言えば、この世界がこの状態でネットに繋がってるのも、もしかしたらハルのおかげかもね」
話し合いの結果、ミーミル図書館潜入は終末の日の8月31日に決まった。それまでにできる限りの準備をして、もし書き換えに失敗したら、みんなで酒盛りして9月1日を迎えようという話になった。
9月1日が来るのかどうかは、その時にならないとわからないけれど。