Page 3 不眠享楽
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。まるで天気予報を読み上げるかのような、淡々とした口調だった。
「はぁ? 何その言い方。世界の終わりにあいさつすんなよ」
ヨルは胡散臭そうな目つきでキャスターに悪態をつき、リモコンを放り投げた。
テレビ画面の左下には2089年8月25日の文字と、『残り7日』というカウントダウン表示。ソファーで布団に包まったままのイギルは、まだ気持ち良さそうにイビキをかいていた。
「起きろ、イギル。今日はグラムロックシティに行くんだから」
イギルが頭に布団をかぶり、寝ぼけたように唸る。
「あと五分……」
「世界が終わるまで七日しかないのに?」
「あと五分……」
「はいはい、じゃあ置いてくからね」
ヨルはイギルの足を軽く蹴り、部屋の隅に置いてある荷物をまとめ始めた。
グラムロックシティまではバイクを飛ばしても半日かかる。廃図書館に潜入することを考えると、当然ながら今日中に戻って来ることは叶わない。かと言って、大荷物で潜入するわけにもいかない。
水とわずかな食料、そしてミーミル図書館で手に入れたHAL9001の日記をリュックに詰め込んだ。メイクを済ませたヨルがリュックを背負った頃になって、イギルはようやく布団から這い出してくる。
「イギル、一緒に行くの?」
「うん。残り七日なのに、そのうち二日をここで一人で過ごすのはイヤだろ? おれのバイク持っていかれたら、行ける場所も限られるし」
「じゃあ、早くして」
「ヨル〜、終末だからって生き急いでどうすんのさ。ケ・セラ・セラ。音楽を愛するものは常に心に自由と余裕が必要だぞ〜」
鼻歌まじりで支度するイギルに、ヨルは苦笑した。確かに、イギルみたいな生き方のほうが、死んでから後悔しないかもしれない。
廃ビルから出てみると、空は少し曇っていて、遠くで雷の音が聞こえる。
「雨、降るかもな」
そう言いながら、イギルはバイクにまたがりヘルメットを被る。ヨルは後部座席に乗って彼の細い腰の腕をまわした。
「降るなら、降る前に着きたいね」
「安全運転、安全運転。ケ・セラ・セラ〜」
歌いながらエンジンをふかし、二人を乗せたバイクは寂れたオフィス街を後にした。目指すはグラムロックシティ。そこは、――「永遠の眠り」の本拠地。
バイクを走らせ、いくつかの町を通り過ぎた。一見すると何も変わらないように見える町もあれば、窓ガラスが粉々に砕け、廃墟のように荒れ果てた場所もあった。
幹線道路から外れてグラムロックシティへと続く市道を走っていると、道端には放棄された車が目立ち始める。人影は少なく、グラムロックシティの周辺はすでに「永眠」に飲み込まれつつあるのだとヨルは思った。
日が暮れかかる頃には、テレビの予報通り空に流星雨が降り注ぐ。赤く燃える尾を引く無数の流星が、大気の中へと消えていく。
「一年前はライブで来たのに」
ヨルがヘルメットを脱ぎ、空を見上げながら呟いた。イギルは放置車の陰にバイクを停めながら、「ああ」と懐かしそうにうなずく。
「あの頃は、ギター抱えて騒いでたのにな。ライブ終わった後も路上で音鳴らしてさ」
「イギル。なんでギター持ってこなかったの?」
「バカか?」
「バカだもーん!」ヨルは笑い、そして懐かしい歌を口ずさんだ。
眠らない街で、叫んでやるよ
本物が欲しいなら、自分で創れよ
境界なんて、破り捨てちまえ
ここにいる、それが証明なんだ
青く染まった夜、きらめく街の夢
自由のリズムで心を塗り替えろ
この瞬間がすべて、過去も未来もいらない
ただ、音の中で踊り続けよう
ここじゃルールなんて意味を持たない
心のリズムだけを頼りに進めばいい
誰にも止められない、夜は終わらない
この歌で世界を彩れ
一年前の、グラムロックシティでのライブイベントで披露したものだった。ヨルが歌詞を書き、イギルが作曲した、グラムロック・ライブのために書き下ろした曲。まさにこの街のための曲だった。
あの時はたくさんの観客が叫び、跳びはね、拳を突き上げた。でも今は誰もいない。この街も、世界も、終末へと歩みを進めている。
「今となっては『青く染まった夜、きらめく街の夢』じゃなくて、『赤く燃えた空、きらめく流星雨』——だな」
イギルはヨルのリュックを肩にかけ、空を見上げた。やがて、二人はゆっくりと歩き始める。目指すは、グラムロックシティの検問所——廃図書館へ続く道の入り口だ。
*
検問所はただの関門ではなく、都市を囲う巨大な塀の一部だった。高さ十メートルほどの防壁が周囲を取り囲み、門の前には厳重な警備が敷かれている。
「これ、普通に考えて突破するの無理だろ」
イギルが苦笑しつつ呆れたように言う。ヨルは塀の構造をじっと観察しながら、何か突破口がないか探った。
「これ、どうやって中に入ろう?」
「どうしよっかね……」
二人から数十メートル離れたあたりで、白い服をまとった人々が静かに列を作っていた。検問所の前に並び、受付で紙に署名し、渡された赤色の錠剤を受け取ると、門の向こうへと消えていく。誰も抵抗することなく、淡々と列は防壁の中へと吸い込まれていく。
ヨルは眉をひそめた。
「絶対狂ってるよね。見て、この塀の異常な高さ。外から中の様子がまったく見えないように作られてる。怪しいじゃん」
「まあ、人が死に行く場所だからな」と、イギルは肩をすくめる。
「でも、それにしたって妙じゃない? 去年はこんなのなかったじゃん。たった数ヶ月で作れる? そもそもこんな壁いる?」
「じゃあ、『書き換えた』んじゃないの? 昨日見せてくれたHAL9001(ハル)の日記に書いてあった、書き換え」
イギルは友だちみたいにHAL9001を「ハル」と呼ぶ。「エイチエーなんちゃらなんて、長いのは面倒だから」と。
「書き換えでそこまでできるのかな」
「できるんじゃないの? パラッとめくって見ただけだけど、図書館の本棚の並びを変えたとか、配線切ったとか書いてあったじゃん」
「でも、ハルは終末宣言に反対なんだよ」
「じゃあ、終末を決めたやつの仕業じゃない? なんとか管理局」
「じゃあ、この壁も、『永遠の眠り』も、日記にあった終末シナリオの一部なのかな」
「ありえそう。でも、ハルがこの世界を終わらせたくないなら、抜け道を書き換えで用意してくれてたりしないかな?
廃図書館のうわさが広まってるってことは、グラムロックシティの中に入って出てきたやつがいるってことじゃん?」
「たしかにそうかも。とにかく、どっか入れるとこ探して――」
ヨルが移動しようと腰を浮かせたその瞬間——。
「ねえ」
すぐ近くで女性の声がした。振り向くと数人の男女が立っている。全体的に二十代前半が多そうだが、一人年齢不詳の男性がいた。その男は黒いベストにゴーグルをかけ、手に持ったノートパソコンみたいな機械を操作していた。
最初は警備兵かと警戒したが、彼らはどこかヨルたちに友好的に見える。
「あんたら、誰?」
イギルが聞くと、真ん中の、リーダーらしいポニーテールの女性が一歩前に出た。
「簡単に言うと、終末を阻止しようとしてる秘密結社みたいなもの」
「スュン、秘密結社って言い方はやめろって言っただろ」
ゴーグルの男がからかうように茶々を入れた。が、スュンと呼ばれた女性は無視して話を続ける。
「あなた、何か本を持ってない?
彼の持ってる機械が、あなたに反応したの」
男はゴーグルを外し、手元の機械を軽く叩いた。おそらく年は三十代後半。機械は何かの測定器のようだ。
「おれはナリ。元は、まあ、研究者の端くれだったんだけど、今は秘密結社の技術部員?」
「ナリ、要点だけ話して」
ピシャリと女性が言うと、ナリは「はいはい」と肩をすくめる。
「これは、おれが作った時空歪み測定器。けっこう優秀でさ、この塀の内部も観測可能。だいたい半径50キロはいけるかな。余計な干渉が入らなければの話だけど」
「で、その機械があなたに反応してるってわけ。時空歪みが発生するのは、図書館、もしくは図書館の本なの。
あ、わたしの名前はスュン。秘密結社の正式名称は『不眠享楽』――Sleepless Revelryと言って、略称はSR。SRは、『永遠の眠り』のやつらがやってることを暴こうと思ってるの。だって、怪しいでしょ」
「不眠享楽って、なかなかイケてる名前じゃん」
イギルが言うと、スュンはどこか得意げな顔で胸をそらせた。
「それで、本は持ってるの?」
「持ってるわ。でも、図書館の本じゃない。日記よ」
「日記?」
ナリとスュンが怪訝そうに眉を寄せて顔を見合わせた。そして、ナリが口を開く。
「詳しく話を聞きたいんだけど、二人はここで何をしてたの?」
「グラムロックシティの廃図書館に用事があるの。あそこに、おかしな鏡があるって聞いたから」
「ああ、その鏡ならうちのアジトのあるよ」
「えっ?」
今度はヨルとイギルが顔を見合わせる番だった。
ナリの話によると、不眠享楽はすでに廃図書館の時空歪みを感知し、グラムロックシティを囲う塀を突破して、警備兵の目をすり抜け廃図書館に潜入したらしい。そして、うわさの鏡を盗んできたというのだ。
「不眠享楽、すげえ」
イギルは感嘆の吐息を漏らした。ヨルは彼らが敵ではないということが確信できてほっとしている。不眠享楽のアジトへの招待を断る理由はなかった。
*
寂れた廃ビルの地下に隠された不眠享楽のアジト。その場所には数十人のメンバーがいた。地図やデータ解析機器が並び、メンバーたちはそれぞれ都市の異変について分析をしている。ヨルとイギルは新メンバーと思われたらしく、「いらっしゃい」「同志よ」と好意的な態度で迎えられた。
スュンに案内されたのは奥にある会議室のような部屋。扉を閉めると、スュンは早速テーブルに書類を広げた。
「グラムロックシティでは、永眠希望者が毎日増えてる。なのに、死体処理の痕跡がほぼ見当たらないの」
「焼却施設があるんじゃないの?」
イギルが言うと、スュンは首を横に振る。
「火葬場はある。でも煙も排出も一切確認できない。それは他の町でも同じよ」
「やっぱり」とヨルの声が弾んだ。
「そうよね。わたしもおかしいと思ってた。死体回収人はどこに死体を持っていって、どうやって処理してるのか」
ヨルの言葉に、ナリが「さすが同志」と冗談めかして言う。スュンはグラムロックシティの地図を広げ、赤丸のついた場所を指差した。
「ここ。時空の歪みを測定できない施設がある場所。ここに永眠希望者を集めて——消してるんじゃないかって、わたしたちは考えてる」
「消してる?」
ヨルの脳裏に「図書館の壁にのみ込まれる」という、例のうわさが過った。まるでヨルの思考を読んだように、スュンが「ミーミル図書館のうわさでね」と、その話をする。
「壁に人が飲まれるなら、飲み込ませれば死体は消えてなくなるってことでしょ?
でも、ミーミル図書館に死体が持ち込まれてる形跡はない。ということは、別の場所に墓場があるってこと。で、一番怪しいのがここってわけ。グラムロックシティは死にたい人が集まる場所だから、余計に」
スュンの言葉を引き取るように、ナリがさらに続けた。
「ここ、調べたところによると、永眠希望者収容施設みたいなんだ。ここに入った人間が歩いて出てくるのは確認できてない。
これまでの永眠者数と、それに必要な土地の推計がこの表。物理的に埋めたり燃やしたりでは絶対に処理しきれない数なんだ。まるで、ブラックホールに飲み込ませているとしか思えない。
もしこの施設内部が極端な重力場を持つ構造――つまり、ミニブラックホールになっているのなら……」
「建物の中にブラックホールがあるの?」
「かもしれないってハナシ。おれの時空歪み測定器は量子もつれによる相関データを利用してるんだけど、時空歪みも、量子もつれも観測できない状態になってる。直接行って目で見ないことにはどうしようもない。かと言って、あそこは警備が厳重過ぎて接近不可能。
おれらみたいなのを警戒して、高度な技術で信号が遮断されているのかもしれない。おれとしては高次元フィールドの可能性もあると思うんだけど」
「高次元フィールド……」
ヨルはその響きに既視感を覚え、そして、次の瞬間には鞄をひっくり返していた。引っ張り出した日記を開くとまた「チャンスは……」と聞こえるが、無視してページをめくる。
ナリが計測器の数値を見て「おっ」と嬉しそうな声をあげた。どうやら日記に反応したようだった。
「ナリ。見て、ここ」
「何? どこどこ?」
「ここ」とヨルはページの真ん中を指さす。
『2089年6月28日/ミーミル図書館閲覧室に●●●フィールドによる情報遮断を試みる。T値減少が見られるも一時的』
「ここ、歪んで読めなくなってるけど、『高次元』じゃないかな」
そう言ったヨルの声も、わずかに歪んでいた。ヨルとイギルはその声の歪みに驚いたが、不眠享楽の二人は慣れっこといった様子で、まったく気にしない。ナリとスュンは日記に興味津々だ。
ヨルはミーミル図書館でのことを彼らに説明し、そして最後ページの8月23日の日記を見せる。
「ここの読めない部分に入る本を探してるんだ。それで、たぶん終末を回避できるはず。……たぶんだけど」
扉の隙間から盗み聞きしていた隣の部屋の仲間たちが、ヨルの言葉を聞いた瞬間歓喜に湧いた。スュンもナリも興奮しているようだが、手放しで喜んでいるわけじゃない。
ナリはやにわに椅子から立ち上がると、一冊の本を本棚から持って戻ってきた。タイトルは『シミュレーション仮説ーこの世界の正体ー』。
表紙の文字がわずかに歪み、ページをめくるとほとんど読めないページも存在する。ナリの話だと、約半年前からこのような状態の本を目にするようになったということだった。
「図書館の書物にある高次元に関する記述が、歪みを生じさせているみたいなんだ。この本、おれがいた研究所の図書館にあったやつだから。
それに、声も歪んでるだろ?
コォウジゲン、クォウジゲン、コォオジグゥエン――ほらね?
ついでに、これ」
ナリが棚から取ってテーブルに置いたのは縦30センチ、横20センチくらいの楕円形の鏡。
「廃図書館の鏡。今も多少歪んで見えるけど、それはこのシミュレーション仮説の本の影響で歪んでるだけ。本から離したら普通の鏡だよ」
「つまり、わたしたちは時空歪みの原因を盗んだつもりで、ただの鏡を盗んじゃったってわけ」
スュンが愛嬌たっぷりにウィンクした。なんとなく、ヨルは彼女がグラムロックシティ生まれのような気がしている。
「SRは廃図書館にもう一度潜入する予定。シャットダウンされた図書館システムを起動して、データを盗むつもりなの。
もしよかったら、ヨルも連れて行ってあげてもいいわよ」
「本当?」
「もちろん。だって、終末を回避する鍵はヨルでしょ?」
「じゃあ、一緒に行く。どうせ行くつもりだったし」
「決まりね。準備が整うまではここで過ごしてくれたらいいから」
扉の向こうから、また歓声があがった。ここにいる人たちは、まだ諦めていないのだと思うと、ヨルの胸は熱くなった。