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Page 1 ミーミル図書館のうわさ

 その図書館には、奇妙なうわさがあった。


「図書館の壁に飲み込まれた人がいる」


 そんな噂を聞いた瞬間、ヨルの好奇心は疼き、淡い期待が芽生えた。


 世界の終わりが近づくにつれ、街は無気力になっていく一方で、こうした奇妙な話が時折人々の間にささやかれる。終末宣言が出て以来、次々と消えていく人々。そして、消えた者たちの行方を誰も気に留めない。でも、ヨルはこの世界を諦められないでいる――。


 政府が終末宣言を出したのは3か月前の2089年6月1日。終末の日は8月31日。そして、今日は8月24日。


 夕暮れの空に、まるで夜へと沈みゆく太陽の断片がこぼれ落ちるように、流星雨が降り注いでいた。その光はかつては人々の目を奪ったけれど、すっかり慣れきった今は、その輝きに目を向ける者はほとんどいない。


 街は静寂に包まれ、人の姿がまばらで、かろうじて営業しているコンビニの光すら冷たく感じられた。終末がすぐそこに迫っていることを誰もが理解しながら、それを受け入れることしかできなかった。


 ヨルはバイクのサスペンションが軋む音を聞きながら、緩やかにアクセルを回した。黒革のブーツに巻きつくチェーンがわずかに揺れ、風が髪を散らし、かつてのオフィス街を抜ける。


「ミーミル図書館、終末宣言が出てから行ってなかったっけ?」


 ポツリとつぶやくと、ヨルは静かに歌を口ずさみ始めた。


 終わらない夜、光る街の隙間

 誰もが躍る、奇抜な影と音

 未来なんて誰も知らないまま

 それでも、笑い飛ばして生きていく


 ここじゃルールなんて意味を持たない

 心のリズムだけを頼りに進めばいい

 もしも世界が嘘だとしても

 本物の鼓動だけは奪えない


 去年の夏に参加したグラムロックシティでのライブイベントのことを思い出していた。ヨルはあの街が好きだった。音楽と反骨精神に溢れ、オフィスビルばかりのこの街と違って自由があった。しかし、そのグラムロックシティも今はどうなっているかわからない。


 ヨルの隠れ家周辺のビル街は閑散としていたけれど、駅前には人だかりができていた。電車も動かないのに、ここはいつもそうだ。仮面のような笑みを張り付けた人々がビラと錠剤を配り、人々はそれを求めてやってくる。


 終末宣言と前後して急速に広がった宗教団体「永遠の眠り」の信者と、救済を求める人々。


「永遠の眠り」は、終末の「救済」として人々に安楽死を勧めた。政府はそれを容認し、信者たちは街の至る所で白い服をまとい、静かに微笑みながら死へと誘う言葉を囁いている。


「平穏をあなたに」


「永遠の眠りは死ではありません。あなたを新しい世界へと導くための儀式なのです」


 以前なら胡散臭いと敬遠されていたに違いない。しかし、終末の訪れを悟った人々は、続々と彼らの元へと集った。永眠を選んだ者たちの家は次々と空になり、街は死体回収人によって整理されていく。


「あー、この道通るんじゃなかった。あの白服見るだけで吐き気がする」


 ヨルは顔をしかめ、視線を人だかりからそらした。


 終末宣言は異常な事態には違いないが、ヨルがこの状況に違和感を抱き始めたのは「永遠の眠り」が幅を利かせるようになってからだ。


 誰それが永眠したという話は毎日何度も耳にするが、死体回収人は死体をどうやって処理しているのか、火葬場から煙が立ち上ることはない。どこかに埋められている様子もない。葬儀場はどこもやっていないし、誰も死体の行き場を知らない。「永遠の眠り」の支部事務所とか居場所が各所にあり、そこに献花台があるだけ。


 ヨルと同じように違和感を口にする人は少なからずいたが、どうせみな死ぬのだからと、すぐに違和感から目をそらして「永遠の眠り」に救済を求め、この世界からいなくなる。


 でも、ヨルは自ら死のうとは思わなかった。むしろ「どうせなら、終末をもたらす小惑星をこの目で見てやる」くらいの気持ちだった。だから、ヨルは図書館のうわさを聞いたときこう思ったのだ。


 ——死体を壁に飲み込ませているのかも。


 そう考えたとき、ミーミル図書館へ向かう決意は揺るぎないものになった。


 もう政府は信用できないし、死体回収人もいったいどこから派遣されてきているのかわからない。


 同居人のイギルは、「テレビで喋ってるキャスターも政治家も、ニュース映像も、ぜ~んぶフェイクじゃないか?」なんて言っていた。報道があてにならないなら、最後は自分の目で確かめるしかない。


「終末がなによ。人類滅亡? あいつらが何やってるか、絶対暴いてやるんだから」


 ヨルはアクセルを開き、空に散る流星群の光の下、市の中心部にあるミーミル図書館へとバイクを走らせた。



*



 ミーミル図書館の周囲は厳重なバリケードで囲まれていた。黒い鉄製の柵が四方を閉じ、警備兵が無言で巡回している。彼らの動きに隙はなく、まるで機械のようだ。


「なんで、たかが図書館がこんな状態になってんのよ。明らかに怪しいじゃん」


 ヨルは少し離れた物陰から図書館の様子をうかがっていた。目の前の光景が、現実だということが信じられなかった。おかしいのはバリケードや警備兵のことだけじゃない。建物は確かにそこにあるはずなのに、それが奇妙に歪んでいるのだ。


 図書館の正面は全面ガラス張りの吹き抜けになっているが、景色を映すはずのミラーガラスはマーブリング絵のように奇妙な表情を見せ、どこか宇宙を思わせた。


 ――飲み込まれた人がいる。


 うわさが頭をよぎり、ゾクリと悪寒が走った。そして、その歪みがただの視覚的な錯覚ではないことを確かめるべく、ヨルは意を決して停めたバイクから離れる。警備兵の目を盗んで物陰から物陰へ移動し、正門から離れた場所にある、庭園へとつながる裏門の近くに身を潜めた。


「ハァ」


 思わず吐息をもらし、ふと空を見上げた。夏の終わりの夕暮れの風が、心地よく頬をなでる。


 流星雨に混じってひときわ大きな光――火球が空を過ぎる。視界の隅にいた警備兵が視線を逸らしたのが見え、ヨルは素早く動いた。身を低くしながら、外れた鉄柵の隙間から静かに忍び込む。たぶん、図書館のうわさを流した誰かも、図書館に飲まれたという誰かも、ここから侵入したのだろう。


 敷地内に警備兵の姿がないことにほっとしたのは一瞬。足を踏み入れた瞬間、異質な気配を体中で感じて鳥肌が立った。


 空気が違う。壁の質感、地面の温度、空に漂う流星群の残光すら、通常とは異なって見える。


『……ル。ヨル』


 ふと、声がした気がした。


 不確実な音だったが、確かに呼ばれたようだった。


「……誰かいるの?」


『……ヨル……』


 警備兵の声とは違う、歪んだ声。機械が故障したような、不明瞭で、それなのにどこかあたたかな。


 ヨルは導かれるように歩き出した。声のした方へと足を進め、庭園を奥へと回り込み、かつて噴水があった場所へとたどり着いた。しかし、噴水は止まり、溜まった水はすでに「普通の水」ではなくなっていた。水は空間そのものを巻き込みながら、ゆらゆらと生き物のように揺れているのだ。水の波紋が円を描くたびに、その奥に人の姿のようなものが映った。


 誰か、いる。


 そのとき水面がわずかに波打ち、水中からヨルに向けてヌルッと手が伸ばされた。


「キャアッ!」


 思わず後退ったが、胴体は出てこられないのか手はヨルには届かない。しかし、手のようでどこか輪郭が曖昧なそれは、一冊の本を持っていた。


『受け取りなさい』


 声は水中から響いてきた。


「……誰?」


『私は書キィ官——だ』


 聞き取りづらい声だったが、相手は「書記官」と名乗ったようだった。


「書記官?」


『そうだ。……君は、きっと、優シュゥな書記官になレる。ワ……たしの持つ、『書キ換えの権限』を、キミィに、委譲することにシィた』


「どういう意味?」


『君に、このセカイィが、終わるかどうかが、かかっている。見守ってイィ……』


 ピ―――――ッ!


 警笛の音が背後から響き、ヨルの心臓がドクンと激しく打った。歪んだ警告音が、水中からも共鳴するように鳴り響いている。水面の波紋が一層強まり、警備兵の足音が近づいていた。


「ねえ! これを受け取ればいいのよね!」


『……そゥダ』


「じゃあ、もらってくから!」


 ヨルが奪うように本を受け取る。その瞬間、グワンと大きく世界が揺れたように感じた。図書館の歪みはさらに強くなり、


 ――プリンが揺れてるみたい。


 ヨルは場違いなことを考える。


「とにかく、逃げなきゃ!」


 ヨルは本を抱えて身を翻した。背後で警備兵の叫びが聞こえたが、それも何かが邪魔するように歪んでいる。


 周囲の景色が波打つように崩れ、どこか遠い世界へと引き込まれそうになる恐怖を感じながら、ヨルはひたすら走った。幸い、雑なバリケードの向こうに見える景色はいつもと変わらない。プリンのように揺れてはいないし、流星雨は別にもう見慣れてしまった。


 ヨルはミーミル図書館から抜け出すと、渡された本のタイトルすら確認しないまま、バイクにまたがってエンジンをふかす。


 遠くから見る図書館は夜闇に紛れつつあった。さっきの出来事が夢だったのではという気すらしてくるけれど、全部現実だ。そして、持ち帰ったあの本が終末回避の鍵であることを、ヨルは確信している。


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