第8話
朝飯を食った後。
薄紅色のレカサに着替えたカッツェが俺を引っ張ってきたのは、東街の外れにある一軒家だった。
「ここだよ、セレ。僕はいつもここで切ってるの」
カッコンツェルは強引に此処へ店から俺の右手をひいて、連行したのだ。
この俺が成竜の雄に手を握られるなんざ……ったく。
住人達が動き出した早朝の市街を、この状態で15分も歩いちまった。
相手がカッツェじゃなきゃ、指もいで腕引っこ抜いてついでに頭も地面に転がしちまうのによ。
「おい、着いたんだから手ぇ離せ」
「え? あ、うん」
見た目より硬い皮膚を持つ手の平が、あたたかな体温とともに離れた。
菓子職人のカッツェは女神の顔で、職人の手をしている。
カッツェの手は毎日毎日働いてる雄の手だ。
「カッツェ。そのレカサ、最近買ったのか?」
「うん。どう? 似合うかな?」
普通の雄ならとても着こなせないであろう薄紅色のレカサ。
それをカッコンツェルは違和感無く……いや、似合いすぎて逆に違和感があるような気もする。
ま。
こいつは綺麗だから許す。
「似合う」
「ふふ、ありがとう」
俺はカッツェに甘い、カッツェが俺に甘いように。
俺自身、その自覚がある。
竜騎士団の奴等が俺とこいつはできている、と疑うのも無理は無い。
カッコンツェルは普通の竜族なのに。
俺の頭に拳骨を落とそうが、腹にひじをいれようが五体満足で……生き残っているのだから。
「ここがお前が頭切ってる店?」
それはこじんまりした瀟洒な建物で、真っ白な漆喰の壁には通りに面して楕円形の窓が4つ並んでいた。
大輪の花が彫刻された木製の扉には、真鍮でできた小鳥のノッカー。
扉の脇の壁にはタイルで作られた可愛らしい看板が掲げられていた。
「頭じゃなくて、髪」
なんとも可愛らしい看板には、孔雀石の粒で文字が……。
「‘美の伝道師ガルデウッドの店‘?」
美の伝道師ってなんなんだよ?
インチキくさい名前の店だな。
「ふふっ。セレの顔、怖くなってる。顔に出しすぎ!」
カッコンツェルが少々乱暴に小鳥のノッカーで来店を知らせると、扉が内側へ引かれて店主らしき人物が現れた。
同時にぷ~んと、香水の匂い。
きつい。
鼻の奥が‘匂いの元をぶっ飛ばせ‘って、もぞもぞいってるぞ。
「ちょっと、まだ開店前よ……あら、カッコンツェルじゃない」
「おはようガルデウッド。急で悪いんだけど、僕の友達をお願いできるかな?」
「あんたの友達? ん……あらまぁ!」
俺より頭一個分でかく、フリルと造花で飾られたで斬新過ぎる伝統衣装レカサを着た雄竜は首をかしげた。
俺もつられて首をかしげてしまった。
この俺がつられてしまうほどのインパクトが、この雄竜にはあった。
レカサの上半身は紫色のレースを素材にしてあり、厚い胸板のもじゃ毛までもが透けて見えていたからだ。
あ。
乳首。
「…………」
あ。
ここにももじゃ毛。
なんか、こう……ちょっと怖ぇかも。
「あなた良い体ね~。服の上からだって、あたしには分るのよ! うふふっ。ソフトマッチョ、最高だわぁ」
「相変わらずの透視能力だね、ガルデウッド」
「やん! 褒めないで、照れてしまうわ!」
透視能力!?
いや、透視ってより視姦じゃねぇのか!?
「あのね、褒めてないよ。僕は呆れてるの。あぁ、君のその目……飢えた肉食獣みたいだ! そんないやらしい目でセレを見るなんてっ」
「誰が肉食獣よ! せめて愛欲の狩人とかにしてちょうだいな」
巨大な泡玉みたいな虹色のド派手な髪とは対照的な、棒切れみたい細い地味な作りの目が俺を上から下へゆっくと眺め。
「んふっ、あたしはガルデウッドよ。いらっしゃ~いませぇ~ん♪」
だみ声で言い。
自称愛欲の狩人の左手が、俺の右上腕部を掴んだ。
その手は感触を確認するかのように、何度も俺の腕をぎゅっぎゅと握った。
「……カ」
愛欲の狩人?
意味不明だ。
おい、その虹色泡玉頭は自毛じゃありえん色だからズラだよな!?
なぜにそんなズラを選んだんだ!?
俺には理解不能だ。
「カ……カッ……カッコンツェル!」
この斬新極まりない奴と、普通に会話できるお前はすげぇよカッツェ。
俺、ちょっとびびっちまってる自分に驚いてるぜっ!
「俺、帰っていいか?」
「駄目」
「……じゃ、せめて違うとこで切……」
「だぁ~め!」
「おほほほ~! あなた、果報者ねぇ。両手に花状態じゃない!」
あ? こういうのも、両手に花って言うのか!?
右腕に乳首透けてるもじゃ毛の雄。
左腕に絶世の美女顔の雄。
ふざけんなっ!
足して2で割れば平均値とでもいうつもりかっ!?
「……なあ、カッツェ」
「大丈夫! 僕がついてるからね」
俺の左腕に両腕を回してにこにこと……妙に機嫌良く笑うカッツェの様子から、ここで逃げたら非常にまずい気がしたので、俺の右腕をゆっくりと擦り始めた物体を蹴り倒すのは我慢した。
春の野を思わせる華やかなモザイク模様の床が目を引く店内に、俺はカッコンツェルに背を押され足を踏み入れた。
美の伝道師だか愛欲の狩人だかよくわからんガルデウッドに指示され、俺は店内に一つしかない革張りの椅子に座った。
座ると目の前には大きな鏡。
客はこの鏡で頭……美容師が髪を切るようすを監視するのか?
「王子様にしてくれ」
うざってぇ前髪を両手で上げて、顔を出して言った。
鏡の中に<俺>がいた。
久しぶりに‘会った‘な。
鏡、持ってねぇし。
「あなたを王子様に?」
座った俺に光沢のある大きな布をかけながら、ガルデウッドは鏡に映った俺の顔をまじまじと見た。
棒切れみたいな目が、2倍ほど大きくなっていた。
俺はガルデウッドの動き、表情を鏡越しで見ていた。
「そうだ、王子様だ」
母親似のこの顔が、俺は嫌いだ。
以前、自分の顔が嫌いだと言った俺にカッツェは言った。
ー--ふ~ん……じゃあ、君の分も僕が好きになって問題なしだねっ!
ほんのちょっと頬を染め、はにかみながらそう言ったカッコンツェルはその美貌を見慣れている俺からみても。
ー--あぁ、そうだな。問題なしだ。
綺麗だった。
とても。
なぁ、カッコンツェル。
これ以上、綺麗にならないでくれ。
幼竜の時、母さんが読んでくれた本に書いてあったんだ。
地の底に住んでいた怪物は、その醜い姿形を恥じてさらに奥へ……世界の底へと隠れてしまった。
光も音も何も無いそこはとんでもなく寂しい場所で。
その怪物は200年に一度、月の無い夜に世界の底から這い出てきて‘つがい‘を探しているんだって……自分が醜いから、美しい存在を攫っていく。
女神のように美しく、誰より俺に優しいお前。
これ以上綺麗になったら。
いつかその怪物が、お前を攫ってしまうかもしれない。
「見た目だけでも王子様っぽくならなくちゃなんねぇんだ。俺、こんな面なんだけど……なんとかならないか?」
ん?
……良く考えたら。
今は若く綺麗なカッツェだってこれから歳をとって、加齢臭漂うオヤジになるんだよな?
「なるわ!」
そっか。
やっぱり、なるのか。
この麗しいカッコンツェルも、加齢臭漂う禿げ上がったオヤジになっちまうのか……。
「あなたなら、王子様になれるわ!」
あ、そっちか。
「ねぇ、なんで王子様なのかしら?」
「……俺が求婚した雌は、絵本に出てくる王子様が好きなんだ」
内面は無理だから。
外側だけ。
とりあえず見た目だけでもミルミラの好きな王子様っぽくするってのが、カッコンツェルのたてた珍妙生物ミルミラ捕獲(?)作戦だ。
「まぁ、まぁあああ~、そういうこと! なんて可愛いこという子なのかしらん。うふふっ」
茹でた腸詰めみたいにぷりっとしたもじゃ毛の生えた指が、背後から伸びて俺の頭を撫で回した。
「うふふっ……王子様……いいわぁ、すごくいいわ!」
うへっ!?
こいつ、耳たぶこねくりまわしてるぞ!
「カ……カカ、カッコンツェル」
なんか。
なんか、この触り方って変じゃねぇか?
髪を切るのにこんなに執拗に撫で回す必用があんのか!?
気色悪りぃなと思いつつも床屋に……じゃなく、美容院か。
今まで床屋すら行った事が無い俺は、美容院とはこういうものなのかと考えていたらカッツェが怒った。
「ちょっと! 必要以上にセレに触んないで、ガルデウッド」
カッツェの抗議に、泡玉虹色ズラは鼻息荒く言った。
「これは必要なことの! あんただって、素材確認徹底派じゃないのよ」
素材って、俺?
「は? 一緒にしないでくれる!? 君のその目には邪心が、欲望がある! セレはちょっと世間知らずなんだから、セクハラされたって自分じゃ分かんないもの。僕が見張ってなきゃ、君に弄くりまわされちゃうでしょ!?」
おい。
誰が世間知ら……ま、確かにそうかもな。
俺、帝都から出たことねぇし。
大陸中を回ったこいつからみりゃ、世間知らずなんだろう。
「あたしはお客様に手を出したりしないわっ! あんた、自分がちょっとばかり綺麗だからって……この性格ブス!」
「ちょっとじゃないよ。僕は大陸一の美人だって、プロンシェンさんが言ってくれたもの」
プロンシェンの奴、何時の間に……あいつ、美人が好きだからな。
もっと殴っとくべきだった。
「ふん、あの好色親父は誰にだってそう言うのよっ!」
いや、言わねぇよ。
あいつは本物の美人にしか、言わない。
「ふ~ん、じゃあ君も言われたってこと?」
「あ、あたしはっ」
「ふふっ……哀れだね」
「なんですってぇえええ~! ああもう! あんた、ほんとにむかつくわっ!」
青筋立てた、鬼面で。
ガルデウッドが。
腰に下げていたポーチから鋏を取り出し。
よく手入れされて白銀色に光るその先を、俺の右に立っていたカッコンツェルに向けた。
「あんた、仕事の邪魔! 奥に引っ込んで衣装を選んでなさい!」
カッツェに。
刃を。
「……おい、もじゃ毛」
この俺の前で。
「刃をカッツェに向けるな。こいつが怪我したら、俺はてめぇのその腕を千切るぜ?」
「ひっ!?」
俺は<主>に命じられればカッコンツェルを殺せる。
でもな、そうなったらたぶん……いつもみたいに笑いながらなんて、できない。
だが、カッコンツェルを傷つける奴は笑いながら殺せる。
「セレ!? 違うよ、ガルデはちょっとふざけただけでっ……僕達はいつもこんな感じなんだ!」
「……だとしても。俺の前じゃすんな」
殺る気もねぇのに、簡単に刃を向けるもんじゃねぇ。
たとえおふざけにしたって、俺の前ではまずいんだ。
クソババアは俺に『同族殺し』を禁じていない。
それができる者がババアには必要だから。
俺は、クソババアの剣。
青の竜騎士を監視し、殺すのも仕事だから。
「あ・あああぁ~あんっ! いいわんっ、ぞくぞくしちゃう! お代はいらないから、ううん、私がお金を払うから、貴方の髪と体のお手入れはこれからもずっ~とあたしに任せてちょうだい!!」
もじゃ毛は内股をすり合わせる様にして、くねくね体を揺らした。
こいつは、すげぇな……見た目もすげぇが、中もなかなかだ。
この場から、俺から逃げなかった。
「……おい、もじゃ毛」
髪はともかく、体はごめんだな。
第一、雄である俺の体のどこにお手入れが必要なんだ?
「じゃなく、ガルデウッド。金はきちんととれ。職人は技術を安売りすんじゃねぇ」
俺は懐から財布を出し、ガルデウッドに渡した。
「足りなければ言え。俺は今のクソババア陛下より、多分金持ちだぜ?」
「まあ、冗談がお上手ね! じゃ、遠慮無くもらっとくわ」
俺は足元に視線を落とした。
これは俺の父親の『仕事』だと、一目で分かった。
親父はめったにしゃべらない寡黙な性質だったが、仕事では明るい色を使うのを好んでいた。
「お前の『仕事』』、始めてくれ」
「はい、お客様」
虹色の頭が、優雅に礼をした。
長かった髪はあっという間に切り落とされ、わけのわからない美容液だか保湿剤だかを髪に塗りたくられて数十分も放置された。
身動きがとれない俺の背後では車輪の付いた大きな衣装ダンスが開けられて、中から色が溢れ出した。
美容師ガルデウッドは髪だけじゃなく化粧や爪の手入れ、そして衣装までも見繕い、客を‘変身‘させるのだという。
色の大洪水の中にはふりふりがあり、びらびらがあり……きらきらもあった。
ガルデウッドは眉間に皺を寄せ、恐ろしいほど真剣な顔で服を選んでいた。
いくつか選び、それをカッコンツェルに手渡した。
「さあ。美の伝道師ガルデウッド風王子様ヘアーの仕上げといくわよぉおおお~んっ!」
もじゃ毛は両手に鋏を持ち、蟹のような横歩きで俺に寄ってきて奇声をあげた。
髪を切り終わると、奥にある更衣室に引きずるように連れて行かれた。
俺の服を脱がそうと伸ばされたもじゃ毛の指を叩き落とし、ガルデウッドを更衣室から蹴り出したカッコンツェルは勢いよく間仕切りのカーテンをひいて言った。
「セレ、これに着替えて」
俺に差し出された衣装箱の中には濃紺に銀糸で刺繍が施された長めのチュニックに、落ち着いた緋色のサッシュ。
サッシュには銀細工の飾りが縫い付けられてた。
白いタイツもかぼちゃパンツもそこには無かった。
びらびらも、ふりふりもしてないけどよ。
少々きらきらしてねぇか?
これ、ちょっと派手じゃねか?
俺、制服以外はシャツとかしか着ないし……装飾品も嫌いだしよ。
「レカサを出されるのかと思ってた」
レカサは竜族の伝統衣装で装飾の派手さや色合いで使い分け、冠婚葬祭から普段着としても重宝されている。
「あのね~、セレ。あの子の絵本は人間の王子様だったんでしょ? 王子様って生き物は、絶対にレカサじゃないの! これ、黙って着なさい……白タイツはきたい?」
「いや、こっちがいい」
着慣れぬ服に戸惑う俺にサッシュを巻き、裾を整えてくれたのは結局カッツェだった。
俺にはどうしても、銀細工がいい位置に現れるようには出来なかったのだ。
着替えてからも全身にカッツェの細かなチェックが入り、俺はいい加減うんざりしてきた。
やっとカッツェの許可がおり更衣室の間仕切りを開けると、ガルデウッドが何故か茶のブーツを胸に抱き、跪いて俺を待っていた。
「あたしの胸で温めておいたわ、王子様」
「…………」
ああ、なんか俺。
どっと、疲れが……。
無言でブーツを履き踵を合わせる俺の背中に、カッコンツェルがぴたっとくっついて言った。
「ふふっ……どうだった? 初めての‘美容院‘の感想は?」
「疲れた」
本当に、疲れた。
大型鬼獣を素手でぶっ飛ばすほうが、数倍楽だ。
美容院って、すげぇとこなんだな。
「セレらしいね。でも、そのかいあって予想以上の出来だと思うよ?」
そうだろうか?
鏡で見たけど、俺にはいつもより小奇麗になったかもな……って感じだった。
「さあ、元気を出してお姫様を迎えにいっておいで‘王子様‘!」
「健闘を祈るわっ、あたしの王子様~!!」
女神の祝福を左右の頬に、もじゃ毛の声援を背に受けて。
俺は城へと駆け出した。
あ?
本物の王子様は白馬に乗って行くのか?
ま、いいさ。
馬より俺のほうが走るの速いしな!
湖の中央にある小島に建てられた城へ続く橋を駆けながら、俺はふと……思った。
王子様ってやつが白馬に乗るのは速さの問題ではなく、実は受けねらいなんじゃないだろうか?
だってよ、白馬の必要性皆無じゃねぇの?
俺に同意するかのように、陽に輝く水面を鯰が跳ねた。




