第6話
恐怖。
それは、どこから生まれるんだろう?
恐怖。
俺が知っていたそれは。
竜帝陛下。
俺より強い、俺の<主>。
でも、あの時。
あそこに陛下は居なかった。
なのに、俺は逃げた。
逃げ出したんだ。
怖かったから。
逃げた。
俺の感じたあの恐怖は。
この恐怖は、どこから来たんだろう?
「は? 何言ってるの。白いタイツにかぼちゃパンツの自分を、想像したからなんじゃないの?」
東街の中央広場にある愛の女神像みてぇな顔したカッコンツェルが、俺の前に珈琲を置きながら言った。
此処に来たのは早朝だった。
開店前の店は鍵がかかっていた。
俺はいつも通り腕力にものをいわせて開け、鍵をぶっ壊したので奴はちょっと怒っている。
「白いタイツとかぼちゃのパンツを怖いって感じたのは、それを着る決心をした強い愛情の裏返し的な感情というか……」
顔は笑っているが、出された珈琲がいつもと違った。
あ、珈琲自体は同じか。
違うのは器。
カップはカップだが、目盛りのついた軽量カップだった。
「着ねぇよ! おい、カッコンツェル。てめぇは俺を馬鹿にしてんのかっ!? それに俺が怖かったのはタイツとかぼちゃパンツじゃねぇ! そうじゃなくってっ」
「こら。他に言うべき事があるんじゃないの?」
「うっ、そのっ……カッツェの店の鍵、また壊して悪かった。そんなに怒るな」
帝都一と賞賛される『美女』の微笑が、不自然なまでに深まった。
「怒ってない。……そう。まずは、謝らなくちゃ。今回で7回目なんだから。次は怒るからね?」
けっ!
怒ってたじゃねえかよ。
なんだよ、この軽量カップ珈琲は!
そう言いかけ、飲み込んだ。
「朝食、食べるでしょ? ワッフルを焼くから、それ飲んでちょっと待っててね」
カッコンツェル……カッツェのワッフルは美味い。
店には出さないから、金を出せば食えるというもんじゃない。
「わかった」
俺は生きてる。
だから、腹が減るんだ。
「おい、カッツェ。ワッフルには蜂蜜をかけてくれ」
今日も明日も。
生きなきゃなんねぇから。
三食きちんと食わないとなんだ。
「セレが蜂蜜?」
生きる理由。
生きる意味。
それが、もう少しで掴めそうな気がする。
なぁ、カッコンツェル。
ワッフルに、蜂蜜をたっぷりかけてくれ。
あいつの目玉みたいな。
琥珀色の、甘い蜂蜜を。
「珍しいね。うん、いいよ。とっておきのを出してあげる」
あの眼を舐めたら。
どんな味がするんだろうか?
昨日の夕方に此処に来るつもりだった。
だが、来れなかった。
腹に穴が開いてしまったからだ。
穴はへそから背中まで、綺麗に貫通していた。
俺としては腹に穴が開いたことより、シャツが修復不可能になったことのほうが痛手だな。
自分でも異常だなと思う強い再生能力のおかげで、腹はほっときゃ元に戻る。
だがな、破れたシャツは戻らねぇんだ。
色褪せていた綿のパンツも血で染まってしまい、さすがに捨てなきゃなんなかった。
この俺が。
四大陸の竜騎士ん中で一番強いらしいこの俺が、腹に穴を開けてしまったのは。
あの謎の珍妙生物ミルミラのせいだった。
俺は食堂で遭遇した珍妙生物に、求婚してしまったうえに断られるという事態に少々混乱したらしく。
混乱、というか。
恐怖を感じたんだと思う。
ミルミラの返答に、俺は恐怖したのだ。
『求婚』という行為は竜の雄にとっては特別のことで、本能と精神が……身体と心がごちゃ混ぜになるっつうか。
一種のトランス状態……簡単に言うなら‘ぶっとんでる‘って感じか?
詳しいことは、俺には分からない。
学習院時代に生殖・繁殖、雄の求愛行動について講義を受けたはずなんだが、居眠りをしていたのか内容をよく覚えてない。
あんまり、そういう事に興味無かったしな。
とにかく、珍妙生物デカリボンから……‘望まぬ答え‘から逃げ出した俺は、食堂から竜騎士団の鍛錬場に移動したらしい。
そんで、そこに居たあいつ等を荒れ狂う感情のままに。
同僚の竜騎士ニングブックとプロンシェンを、半殺しにした。
食堂に刀は持っていかなかったから、2人の頭を斬り落とさなくてすんだ。
理性がぶっとんだ俺を止める事は、団長にはできない。
俺のほうが強いからな。
実力至上主義の竜騎士団で一番強い俺だが、【頭】じゃない。
俺のこの性格では【頭】は無理だと、陛下が判断したからだ。
団長が呼んで来た陛下は、俺の腹にでっかい穴を開けた。
そこに鉄柱を突っ込まれて、俺は地面に縫い付けられた。
動けなくなって、俺はやっと正気に戻った。
ババア陛下は、俺を怒った。
団長がニングブック達を担いで、医療部に走り去った後。
俺は久々に、クソババア陛下に‘お仕置き‘をされた。
今思うと、なんであんなにクソババア陛下は怒ったんだろう?
あいつ等が弱いから、ああなったのに。
竜騎士は自分の身を自分で守るもんだって、俺にそう教えたのはあんたなのに。
俺は強くて、あいつ等が弱かっただけなのに。
昔は俺の‘強さ‘を褒めてくれたのに。
最近のクソババア陛下は怒ってばっかりだ。
「……なぁ、カッツェ」
焼きたてのワッフルをカッコンツェルと向かい合って、頬張った。
くどさの無い上質な蜂蜜の甘味が、再生して数時間しか経っていない胃に染み入った。
「なに? セレスティス」
特殊個体の俺と違って、ニングブックとプロンシェンは今週いっぱいは溶液から出れねぇらしい。
だから、陛下は怒ったんだろうか?
人手不足になるから、怒ったのか?
俺にはよく分からないな。
「お前なら俺の子、孕めるんじゃねぇか? 朝飯食ったら、試さねぇ?」
「う~ん。君になら抱かれても良いけど、孕むのはさすがに無理」
俺が見てきた竜族の雌も、人間の女も。
目の前にいるこの『美女』の美しさには敵わない。
バターイエローのシャツに、部屋着のコットンパンツ。
簡素な格好なのに、この『美女』の美しさは全く損なわれていない。
左の肩で一つに結われた髪は、日の光でできたような白金。
長い睫毛に飾られた青灰色の瞳。
化粧なんかしていないのに、紅を刷いたような艶やかな唇。
「万が一ってこと……」
伝説の美の女神が、生きて動いているようだ。
「無い。無理」
クソババア陛下が言うように。
「だって僕」
神とは、残酷な存在だ。
「雄だから」
この『美女』の股間には、俺と同じモノがついているのだ。




