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第18話

*性的な描写があります、苦手な方はご注意ください。

昼前に目を覚ましたミルミラの第一声は。


「赤ちゃんできたっ!」


 だった。


「へ?」


 なんとか無事に初めてを終えたものの、俺とミルミラでは体格と体力に差があり過ぎた。

 疲れきって眠ってしまったミルミラを腕に抱き、込み上げる幸せと止めなく溢れる劣情との板ばさみ状態の中、一睡もせずその寝顔を眺めていた俺は、自分の耳を疑った。


「赤ちゃん? ……も……もうできたのか!?」


 蜜月期の雄竜になった俺は心配していたような……薬にやられちまったような状態にはならなかった。

 確かに身体からは強い繁殖への欲求が生まれ、1分、1秒もミルミラの肌から手が離せなかったが、ミルミラを想う心のほうが肉欲に勝り、無茶な行為も自己本位な交尾続行も強いることは無かった。


「うん! 私、赤ちゃんできたわ!」


 ミルミラは頬を染め、俺の腕から抜け出てぺたりと座り……うっとりとした表情で、自分の下腹部を撫でた。

 情交の痕が残る肌を薄紅色の爪が愛撫するかのように動く。

 それは幼さの残る顔立ちと相反し、俺は強い色香を感じてしまう。


「俺達の子供……できたんだ」


 見惚れる俺の頭を占めるのは、子供が出来たということでは無く。

 触れたいという欲望。 


「そうよ、できたの! 早くできて良かった~、セレががんばってくれたからよね!? ありがとう!」

「え、うん……いや、まだそんなにがんばってないっつーか……」 


 ちょっと待て。

 どんだけ『優秀』なんだよ、俺!?

 普通は1週間とか……1ヶ月かかることもあるってのに!


「えっと、だな。……うん、俺はしたいから、しよう!」

「だめぇええっ!!」 

「っ!?」


 目の前にある俺の手から溢れるほど豊かな胸にのばした手は、容赦なく叩き落とされた。

 叩かれた手の痛みではなく、拒否されたことのほうが痛かった。

 ほんの数時間前まではその手で俺を引き寄せ、その唇で俺を求めてくれたのに。 


「なんでだよ!?」


 脱ぎ捨ててあった(俺が脱がした)シャツに手を伸ばし、胸を隠したミルミラに叫ぶように言った俺への返事は。


「もう私のおっぱいは赤ちゃんのなのっ! だから、にぎにぎもちゅうちゅうもかみかみもダメ!!」


 突っ込みどころ満載なセリフだが、俺はそれどころじゃなかった。

 寝ているミルミラの顔を数時間も見続け、触りたい撫でたい舐めたい等々を耐えた俺に対してのあまりの仕打ちに……張ってたなにかが、ぶつんと切れた。

 

「くっ…………じゃあ、こっちならいいのか?」

「え? きゃっ!? ……あっ、あ!」


 逃げぬようにと抱えた脚に舌を這わせ。

 つけた痕の上からまた口付け、意図を持って強く吸う。


「あ! やぁっ……ふあっ……んんっ!」

 

 反り返る身体、震える唇を眺めながら指先を滑らせる。

 

「……ミルミラ、フェルティエール……」

「セレ、セレッ! あ、あっ……イザ。んっ、んん……あ、あぁ……やぁん、やだやだぁ~! そこっ、そこ、はっ、も…っ…もう、もうダメなのにっ!!」


 俺をどかそうとしてるのか、それとも追い立てられるような感覚を逃がさぬように縋っているのか。

 髪を掴む震える手に、力がこもる。

 その手を包み込むようにして髪から外し、指先に口付けた。


「セレスティス……イザ。もう無理なの……だって、だって」


 潤んで蕩ける瞳が、乞うように俺を見た。


「愛してる、フェルティエール」

「私も……私も。イザが大好き」


 数秒間、俺達は視線だけで交わった。


「大好きだけど、ダメ……ダメなの」

「駄目じゃない」

「でも……だって……」


 先に視線を外したのは、ミルミラ。

 そっと、ゆっくりと……蜂蜜色の眼が動く。

 なんとなくつられて、俺の視線もそれを追い……その視線の行き着く場所は。


「ん? ……どこ見て……うっ!?」


 あぁ。

 俺よ。


「う……う、そだろ?」


 なんでしょんぼり状態なんだぁああ!

 

「………………………………」

「ね、無理でしょう? 私がダメなんじゃなくて、セレがダメなのよ?」


 俺が。

 ダメ。


 細い脚の間でがっくりとうなだれる俺に、愛しい妻が追い討ちをかける。


「えっとね、雌が‘赤ちゃんできました宣言‘したら、雄の頭にあるなんとか器官ってとこにびびびーって連絡がいって、それ(・・)がへにゅ~んってなって交尾できなくなるって母様が言ってたよ?」

「……へ、へにゅ~ん!?」


 俺の下半身を指差して、ミルミラは繰り返し言った。


「ほら、へにゅ~んってなってるでしょ?」

「……へにゅ~ん……」


 そういや、クソババア陛下もそんなようなこと言ってたような……。

 俺がミルミラを孕ませたら、生殖機能が止まるって。

 雌が妊娠中、雄は生殖機能が止まってできなくなるってことくらい授業中に寝てた俺だって知ってるさ。

 でもな、こんなに早く雄の身体にストップがかかるなんて思わねぇだろうがぁあああ~っ!!


「だって、あんなことしたらお腹にいる赤ちゃんがびっくりしちゃうでしょ? だから、出来ないようにへにゅ~んになるんだと思うの」


 ショックのあまり動けない俺の腕から脚を自分で抜き、ミルミラはベッドの上にぺたりと座った。


「そ、そんな……い、いや。俺は特殊個体なんだし……あ、でも俺の身体を調べまくったクソババアが……いや、でも、解剖されたわけじゃねぇし、間違いの可能性だって……でも、でもだな、それでも……でもっ!」


 目の前(正しくは股間か?)の現実を認めることが出来ない俺を置き去りに、ミルミラはシャツを着てベッドから降りていた。


「でもでもうるさぁああ~い! ……とうっ!!」


 ぽこん。

  

「…………」

「どう? 気合が入った!? 団長さんが言ってたわ、竜騎士の人達はこうやって気合をいれるんだって!」


 お得意のぽこん拳を俺の顎に食らわせ、ベッドの上で呆けたように自分を見る俺の右頬に手を伸ばし。


「……セレ、赤ちゃんができたこと……嬉しくないの?」


 小さな声で、そう言った。

 俺は、息が出来なくなった。

 俺は、俺がこんな自分が心底嫌になった。


「赤ちゃん……私とあなたの赤ちゃん……」


 小さな小さな声で、ミルミラは言った。

 

「……ミルミラ」


 諦めてた『世界』を手に入れて、浮かれていた。

 幸せ過ぎて、一人ではしゃいで。

 一番大切な人を不安にさせた。


「俺、嬉しい。すごく嬉しくて……ごめん。ごめん、ミルミラ」


 変わりたい。

 俺は変わりたい。


「セレ……」


 子と共に、俺は生まれ変われる。

 お姫様に相応しい、王子様になろう。


「ありがとう。フェルティエール」

「イザ。あなたの……私達の赤ちゃんをありがとう」


 柔らかな唇が俺の顎に触れ、ちゅっと音をたてて離れた。


「あごパンチ、泣くほど痛かったのね? ごめんなさい」 


 どうやら俺は、また泣いちまったらしい。


「当代最強・性格最悪って城で評判の<青の竜騎士>の俺を拳で泣かせられるのは、世界中でお前だけだぜ? お姫様……もぎょっ!?」

「当代最強……性格最悪!? 訂正しな~さぁああいっ、私のセレは最悪なんかじゃないわ! そんなこと言うお口はこうよっ!」


 口の両端に指をかけ、ひっぱって。

 ふきだすように笑いながら言った。


「ぶふふふ~、変な顔!」


 今日も明日も明後日も、その先も。

 ずっと俺の隣で、君が笑顔でいられるように。


「こえ、へっほういひゃいぞ、ミウミア(これ、けっこう痛いぞ、ミルミラ)」


 俺は。

 僕は。

 君と生きていく。



 



 ミルミラとつがいになって1週間後。

 俺はスキッテルの店にミルミラを連れていくため、街に出かけた。

 休日の街は活気に溢れていた。

 商店の前で足を止め談笑する竜族や、石畳の路地を駆けていく幼竜達。

 紅茶が美味しいと評判の店からは客の出入りと共に、自慢の香りが通りへ流れる。

 興味深々で周りを見回すミルミラの手をひき、まず四花亭へと向かった。


「なんて書いてあるの?」

「……当分休業するらしい」


 店は施錠され、閉まっていた。

 4種の花が鮮やかに描かれている真っ白な木製の四花亭のドアには、またもや張り紙。

  

 『蜜月期中により、しばらくお休みとさとせていただきます。店主』


「カッツェが……そっか、あいつも父親になるんだな」


 父親……。

 美女顔親父か。

 あのカッコンツェルが惚れた雌って、どんな……まさか俺の顔の雌を見つけ……そ、そんなことないよな!?

 

「え!? カッコンツェルさん、お嫁さん見つけたの!?」


 ミルミラは大きな瞳をきらきらと輝かせ、両手を頬の下でぎゅっと握ってぴょんぴょん跳ね、興奮気味気味に言った。

 今日のミルミラは淡いピンク色のデカリボンがふわりとした栗色の髪を飾り、襟と袖に真っ白なファーがあしらわれたリボンと同色のワンピースを着ていた。

 足元はレースのリボンで作られた花がくるぶしについている、白い皮製のブーツだ。

 肩掛けのポシェットは兎の頭部を模したぬいぐるみのような……実用性皆無のもの。

 俺はといえば青い騎士服で、腰には愛用の刀。

 <青の竜騎士>であることが丸分かりな……ある意味派手な格好の俺と、お人形のようなミルミラというの組み合わせに、街を歩く竜族も人間も好奇心と疑問の混ざった視線を向けて通り過ぎていく。

 そんな視線も、ミルミラは全く気にしていない。

 気づいてないという事ではなく……。


 ---ねぇセレ。みんな、このポシェットを見てるわ。無理ないわよね、アンデヴァリッド帝国の王女様方お気に入りの有名デザイナーさんの作品だもの!


 ーーーまあ、そうだな。珍しいもんな、うん。


 否定する必要性を感じなかったので、俺はとりあえずうなずいておいた。

 

「きゃあ、素敵! カッコンツェルさんも赤ちゃんができるのね!? 学習院で私達のカイユと同期になれるかも~っ!」


 カッコンツェルも赤ちゃんができるんじゃなく。

 カッコンツェルの嫁にできるんだ、ミルミラ。

 確かにあいつは孕めそうなを顔してるけど、無理って本人が言って……と思いつつ、これまた頷いておいた。


「カッツェの子なら、達のカイユの良い友人になってくれるさ」


 俺はこの1週間で口では‘僕’と言えるようになり、口調もかなり改善……変えられた。

 自分のお姫様修行よりも俺の王子様特訓を優先したミルミラのせい、じゃなく、おかげだ。

 特訓のおかげで、内面はともかく外面は形になってきた。

 俺の変わりように対して、城の奴等は生温い笑顔を無言で向けるだけだった。

 雄がつがい持ちになると相手の好みに合わせて変わろうとすることは良くあることで、珍しいことじゃない。

 連中もそれが分かっているので、特に何も言ってはこなかった。


 竜族の習性でつがいが妊娠中、雄は雌至上主義になる。

 この期間だけは竜帝よりも雌が雄の主導権を握る。

 もっとも、<青の竜帝>不在の今はそれを確かめる術は無い。

 分かっていることは、俺が“僕”として王子様に変わりつつあるということ。

 子を宿した愛しいつがいの願いは最優先だと、身をもって実感した。

 ……かぼちゃのパンツも白いタイツも着なくてていいとミルミラが言ってくれた時の安堵感は、筆舌に尽くしがたいものだった。


「カッコンツェルの子か……雄でも雌でも、綺麗なんだろうな」


 俺はミルミラの小さな身体を後ろから抱きしめ。

 腕の中のミルミラは、命の宿るそこを慈しむように撫でた。


「そうね! きっとすごく美人さんだわ。良かったわね、カイユ」


 カイユ。

 お腹の子の名前はカイユに決まった。

 性別なんか関係なく、雄でも雌でもこの子は<カイユ>。

 俺達の、僕達の<カイユ>だ。

 

「ミルミラ、スキッテルの店まで近道しないか?」

「近道? ……うきゃああああ~っ!?」


 返事を聞く前に“お姫様抱っこ”をし、カッコンツェルの店の壁を駆け上がり、反動をつけて向かいの建物の屋根に跳んだ。

 カッコンツェルの店がある一角は他と比べると高台に位置し、屋根に上がれば眼下に街が見渡せる。


「ああぁ、びっくりした……わあ~っ!」


 青というより水色といったほうが合っている澄んだ空。

 赤と朱色が自然に重なり合った屋根瓦に、石畳の道。


「ミルミラに見せたかった」


 彼方には薄青に白をまとう山脈が連なり、その山々を越えていく同族達。

 城の発着所に向かってひときわ大きな竜が急降下をはじめて……あれは団長だな。


「僕はね、ここから……帝都から出たことが無い。陛下に禁じられていたんだ……ははっ、信用されてなかったってことだ」


 草の香りをまとう春の風が俺の髪を後方へ流し、ミルミラのワンピースの裾を舞わせた。


「セレ……」


 栗色の髪に飾られた大きなリボンが、翼のように大気を捕まえる。


「ミルミラは海を見たことがある?」

「あるわ。気象観測官のお仕事をしている父様と母様と、大陸中をまわったもの」


 海。

 帝都で一番高い時計塔の上からでも、見ることは出来ない。


「海、ずっと……ずっと前から、餓鬼の頃から見てみたかったんだ」


 昔、バイロイト兄が言っていた。

 俺の着ているこの制服のような、青い海を知っているのだと。


「俺。君と、海を見に行きたいんだ」


 その青さは。

 <青の竜帝>の色だと言っていた。


「……うん、一緒に行こう!」 


 蜂蜜色に映るのは。

 見せたかった景色じゃなく、俺の顔。


 俺と言ってしまった、僕の腕の中で。

 お姫様が、微笑む。

 隣より近い距離で、君が微笑む。


 俺でも僕でも。

 化け物でも、王子様でも。

 君はセレスティスを、イザを愛してくれている。

 王子様にこだわってるのは、君にもっともっと好きになって欲しい俺自身。


 <主>。

 クソババア陛下。

 あんたがなぜあんなにも滅びを恐れたのか。

 このお姫様と腹でまどろむカイユが、毎日少しずつ俺に教えてくているような気がする。


「ああ、一緒に行こう」


 幸せな明日が、未来が目の前にあるからこそ。

 それを。

 なにをしても、どんなことをしても。

 守りたいと。

 俺も。

 そう思えるようになったんだ、義母さん。

 




 来るものを拒むような、商店としてこれでいいのかと苦情を言いたくなるほど重い鋳物製のドアを開けると、薄暗い店内の奥から店主の声がした。


「おや、珍しいお客様だ……久しぶりだな、セレスティス」

「暗いな、灯りを付けてくれスキッテル。おいで、ミルミラ」

「うん、ありがとうセレ」

 

 押えていないと閉まってしまうドアを片腕で固定し、ミルミラを店内に招き入れた。


「お!? これはまた、ずいぶんと可愛らしいお嬢さんじゃないか!」 


 スキッテルはルーペから暗褐色の目を離し、右手のピンセットを作業台に置いた。

 立ち上がりながら綿の手袋をはずし、ルーペをそれで来るんで前掛けのポケットへ入れて……こちらへと歩きながら、壁にあるスイッチを押す。

 数秒遅れて天井にある螺旋状に埋め込まれた変わった形をした照明器具が、まるで陽のように室内を照らした。

 灯り必要としない俺が、灯りを要求した。

 それはつまり『必要』だからだろうとスキッテルは察し、光度を最大にしてくれていた。


「よく僕だと分かったね、スキッテル。元気そうで良かった」

「分かるに決まってるだろう?」


 奥からのっそりと現れたのは、紺色のレカサに鹿革の作業用エプロンをした壮年の雄竜。

 スキッテルは独身時代、学習院の寮で短期間だが寮官として勤務していた。

  

「石屋は目が命だからな、髪型くらいじゃごまかされない。あ、奥様。そこのソファーに座ってください。リラックスして、当店の石達との出会いを楽しんでください」

「はい、ありがとうございます。……奥様? 私がセレの奥さんだって知っているの?」


 店内……といっても陳列棚等も無く、通りに向かって右手に商談用の応接セットがあるだけだった。

 奥の方にある硝子で区切られた一角に、貴金属を加工する作業台とその脇の壁一面に木製の整理棚。

 作業スペースから細長い木箱を抱えて出てきたスキッテルは、ミルミラがソファーに座ると頷きながら言った。


「セレスティスの眼を見れば一目瞭然ですから。彼からは貴女が大好きで大事だって気持ちが、かけ流しの温泉状態です」

「……スキッテル、石を見せてくれ」

「お前が客か~、時の流れを感じるな。さぁ、奥様。ご覧ください」


 言いながらローテーブルに箱を置き、ミルミラから良く見えるように蓋を開けた。

 スキッテルの横に立つ俺からはその中身は蓋が邪魔で見えなかったが、ミルミラの表情でその中身が想像できた。


「わぁ~! 綺麗……」


 蜂蜜色の大きな瞳に色とりどりの輝きが足され、華やかさを増した。

 その瞳の美しさに、俺は見蕩れてしまった。

 木箱の中はその質素な外見とは逆に、光沢のある絹布が幾重にもしかれてさまざまな貴石が整然と並べられていた。


「奥様。当店はお客様がお気に召した石を使った装飾品を、納めさせていただいております。……ほら、セレスティス、ぽけっとしとらんでここに座って可愛い奥様に似合う石を選びなさい。今日はお客様なんだろう?」


 スキッテルは俺の背を押し、ミルミラの隣へ座るように言い。

 俺がミルミラの隣に座ると。

  

「セレスティス」


 太い眉毛を下げて、俺に言った。

 

「おめでとう」


 スキッテルがそうすると。


「……ありがとう、スキッテル」


 少しだけ、ほんの少しだけ父さんに似ていた。 






「セレスティス、お前はいつ蜜月期が終わったんだ? ……なるほど、これが竜騎士の使う刀か。石とはまた違った美しさがあるな」


 スキッテルは俺の刀を手に取り、鞘から半分ほど刃を出して丹念に眺めていた。

 竜騎士が使う刀は稀少品だ。

 普通の竜族であるスキッテルにとって珍しいのは分かるが……。


「美しさ? 考えたこともない。蜜月期は1週間前に終わったんだ」


 石を選ぶのはミルミラに任せ、俺はスキッテルの淹れた茶を飲んでいた。

 珍しい黄緑色の茶は、紅茶に慣れた口にも違和感無く美味く感じられた。

 俺が初めて口にしたそれは、緑茶というものだとミルミラが教えてくれた。

 帝都に専門店が出来たのだとスキッテルに聞き、帰りにそこに寄って購入することにした。


「ならもっと早く来れば良かったのに。売れちまったが、ミルミラさんの瞳みたいな最高の琥珀があったんだぞ?」


 スキッテルは石を灯りにかざしたり、なぜか匂いを嗅いだりしているミルミラを目を細め、穏やかな表情で眺めながら言った。

 

「ずっと、仕事だった。<青の竜帝>が死んだのは知ってるだろう? だから城の中がばたばたしてるんだよ」


 俺だって早く来たかったが、無理だった。

 あいつ(・・・)のせいで。


「陛下が亡くなったのは、皆知ってるさ。半旗が城門に掲げられてたからな……次の<青の竜帝>が1日でも早く現れてくれるといいな……今はバイロイトが仕切ってるんだろう?」

「あぁ、そうだ。……お兄が代行だから、余計に忙しいんだよ」

  

 ミルミラが異例の速さで妊娠を宣言した日、俺はミルミラとつがいになったこと、子が出来たことを竜帝代行として執務室で山積みの書類と格闘しているバイロイト兄に報告に行った。

 そして、俺はおにぃに強制的に道連れにされてしまった。

 今までの俺だったらバイロイト兄に一発食らわせて逃げただろうが、相手はあの(・・)バイロイトだ。

 俺と手を繋いでにこにこ笑う上機嫌のミルミラに、心底悲しげな顔を作って言いやがった。


 ---母のためにも、次の<青の竜帝>が現れるまでがんばらないと……。セレスティスが力不足の私を全力で支え、助けてくれるって言ってくれて……私はとても嬉しく感謝しているんだよ、ミルミラ。


 んなこと言ってねぇ。

 が!


 ---バイロイトさん……。セレ、がんばってね!


 ミルミラはころっと騙された。

 冗談じゃないと咽喉まで出かかったが。


 ---ミルミラ、君には秘書として働いて欲しい。夫であるセレスティスと私をその愛らしい笑顔と豊かな胸で癒すことは、君にしかできない重要な任務なんだ。


 セクハラ臭濃厚なセリフもインテリ系のバイロイト兄が愁いを帯びた顔で言うと、まったくそんな風には聞こえないのがお兄のすごい所だった。


 ---はい! 私、秘書のお仕事を喜んでお受けいたします!


 なぜかびしっと敬礼して言うミルミラに、俺はかける言葉が見つからず。


 ---セレと一緒にお仕事できるなんて、すごく嬉しい!

 ---セレスティス、お兄も嬉しいよ。こんな可愛らしい秘書さん……いろいろ楽しみだね、ふふっ。

 ---…………(怒)。


 で、俺は代行補佐としてバイロイト兄のパシリ……手足となって働くことになった。


「……はぁ」

「セレ、セレスティス」


 あの時のことを思い出し、思わずため息をついた俺の腕を小さな手がひいた。


「ミルミラ?」 

「セレ、私はこの石がいいわ! スキッテルさん、絵を描いてきたんです。こんな感じのがいいなぁ~って……あんまり上手じゃないけど、見てくれますか?」

「喜んで」

「ありがとうございます! えっと、これなんです」


 いそいそとご自慢のうさぎポシェットから一枚の紙を取り出し、ミルミラは丁寧に両手を使って折りたたまれた紙を広げ、ローテーブルに置いた。

 身を屈めてそれを見たスキッテルは、太い眉を指で撫でながら言った。


「これは……ティアラ? うん、上手に描けてる。奥様、デザインは少しアレンジさせてください。可憐で愛らしい貴女にふさわしいものを、必ずご満足いただけるティアラをこのスキッテルが作ってみせます」

「ありがとうございます! あのっ、それでこれは……まわりは銀色で、石はここもここも……ここも全部この色のものでお願いしたいんです」


 今にも踊りだしそうなミルミラは、描いた絵を指でなぞりながら自分の希望を伝えた。

 そして、絵の中央に石をひとつ置いた。

 青系のその石がなんという宝石なのか、疎い俺にはさっぱり分からない。


「これだけで、ですか? この色味のブルーダイヤですか……石を集めるのに長期間かかるかもしれません。もっと濃い色のブルーダイヤなら在庫もいくつかありますし、ブルートパーズやアクアマリンを組み合わせてよければ半年程でお渡しできますが……」


 スキッテルは宝石が並べられた木箱の中から数個取り出し、ミルミラの前に並べた。

 俺にはどれがブルーダイヤかアクアマリンかトパーズなんだか、全く分からなかった。

 分かったのは、どれも青い……空色の石だってことだ。


「ミルミラ、どうする?」


 訊いた俺に返ってきたのは、迷いの無い弾んだ声。


「何年だって待てるわ! 私はこの色がいいんだもの!」


 たくさんの宝石の中からミルミラが選んだ、たった1つの宝石。


「だって、大好きなあなたの色だから」


 ミルミラは隣に座る俺を見上げ、大きな眼を細めて言った。





 スキッテルの言ったように、ミルミラのティアラは出来上がるまで長い時間がかかった。

 これが出来上がる間に、いろんなことがあった。

 生まれた者がいて、それ以上に死んでいった者達がいた。





「カイユ!」

 

 屋外鍛錬場の中央に立ち、右手に木刀を下げて足元の物体……プロンシェンの頭部を容赦なく地面へと踏みつけているは、僕の娘。

 竜族の中でも長身なプロンシェンは縦に長いだけでなく、横幅もある。

 その雄竜をブーツで踏みつけ、冷めた眼で見下ろすカイユに声をかけた。


「僕は先に上がらせてもらうよ。これからスキッテルの店に行ってくるから、後を頼める?」


 お腹にいたあの子は、強さと美しさを兼ね備えた自慢の娘に成長した。

 青い騎士服の背に流れる長い銀髪、僕へと向けられた瞳は冬の空の色。

 この大陸で最も有名な<青の竜騎士>。

 僕の娘が必要以上に名が知れてしまったのは、<青の竜帝>の側近として陛下が謁見する時も外遊する時も、傍らに必ずその姿があるからだ。

   

「父様、スキッテルって……もしかして、母様の!?」

「うん。内緒だからね? ふふっ、ミルミラをびっくりさせよう!」

「はい!」


 気を失ったふりをして『降参』を示しているプロンシェンを放置して、カイユは僕の元へ駆けてきた。

 彼がふり(・・)をしていることは、カイユも承知している。

 毎回のことなので大人気無いその態度に呆れ、どうしても視線が冷たいものとなってしまうらしい。 

 でも父親である僕へ向けられた表情は、先程とは違って柔らかなものだった。

  

「お~い、プロンシェン! 今日はカイユも早めに帰れるようにしてくれない? 今夜は家で家族揃って食事をしたいんだ」


 地面につっぷしていた身体がむくりと起き上がり、プロンシェンはひよこのような黄色い髪をぼりぼりと掻きながら僕達の方へとゆっくりと歩いてきた。

 

「はいはい、団長。俺が手伝って、昼過ぎにはカイユを帰れるようにするよ」


 新しい<青の竜帝>が生まれた年に団長が死んでから、僕が団長として<青の竜騎士>を仕切ってきた。

 僕の次の団長は、多分カイユだろう。

 カイユは容姿だけじゃなく、身体能力も……僕の【血】が強く出た個体だからだ。

 実力至上主義の竜騎士団では、誰も口にはしなくともカイユが次の団長だってことは決定事項だろう。  

「ありがとう、プロンシェン」

「……お前のその王子様的笑顔にキャーキャー言う若い雌達の気持ちが、最近少し分かるような気がする自分が嫌だぁあああああ~っ!」


 嫌だと言いつつ、プロンシェンはどことなく嬉しそうだった。

 

「ふふっ……僕もう行くから。じゃあ、また明日」

「おう! お姫様によろしくな」 


 僕はカイユ達とは此処で別れ、本部にはもどらずそのまま街へと向かった。

 南街へ続く橋を歩ながら、初めて手を繋いで歩いた日のことを思い出した。

 悪い魔法使いを怖がっていたミルミラだけど、今ではちっとも怖がらない。

 僕とカイユがいるから怖くなんかないって、笑って言えるようになっていた。


「……ミルミラ」


 冬の空を映し光り輝く湖面に、僕は愛する人の笑顔を重ねた。





「スキッテル、ありがとう」


 受け取ったそれを緋色の絹布に包に、僕はスキッテルに頭を下げた。

 僕は頭を下げるということを、カイユが生まれるまでの間で学んでいた。


「またせてすまなかった。でも待っててくれたおかげで最高の仕事が出来た……こっちこそ礼を言う、セレスティス。カイユちゃんが結婚する時にはぜひ、何か作らせてくれ」

「カイユが結婚かぁ~。ふふっ、僕より強い奴じゃなきゃ認めたくないな」

「無茶を言う……じゃあ、陛下にでも嫁に出すんだな」


 特徴的な形をした太い眉は、すっかり白くなっていた。

 スキッテルは老いたがまだまだ現役で、南街の店を一人で続けていた。

 昨年無くなった彼のつがいの牙と鱗で作った首飾りが、その胸を飾っていた。


「陛下か……もしカイユが陛下とつがいになったら、カッツェはなんて言うかな?」 

「喜ぶさ。あいつ、本当にお前の顔……お前が好きだったからな」


 そっくりな美女顔の息子を遺し、カッコンツェルは最愛の伴侶と共に逝った。

 各国の新しい菓子を見に行き、帝都へと帰る途中のことだった。


「僕も好きだったよ。今でもずっと、僕はカッツェが大好きだよ」


 互いを愛しむように重なり合った竜の遺体を見た僕が感じたのは悲しみと安堵、そして羨望。

 雄竜として、カッコンツェルは最高の最期を迎えられたのだから。

 

「カイユが結婚するまで生きててね、スキッテル」

「年寄り扱いするな。……今度ゆっくり茶を飲みに来い」

「うん、そうさせてもらうね」


 年相応に老けた店主とは違い、変わらない黒く重い鋳物製のドアを開けて店を後にした。

 僕は絹布で包まれたティアラが入った箱を持ち、冬の街を歩いてミルミラの待つ家へと向かった。

 数日降り続いた雪はそのままにしておいたら数ミテの高さに積もっただろうが、帝都は城の庶務課の若手により日に2回は除雪される。 

 彼等の作業は主に屋根の上に積もった雪と、軒下から落下すると危険な氷柱の撤去だ。

 帝都の道は専門の術士が練成した固形燃料が、一定の間隔で埋め込まれいる。

 それが石畳の雪を溶かし路面の凍結も防いでくれるので、子供や老人でも安心して歩ける。

 僕が城に引き取られる前は、毎朝家の周囲の雪かきから一日が始まっていた……あの頃とはすっかり変わった。

 傾くどころか沈没寸前の泥舟ようだった財政も、若き<青の竜帝>が見事に立て直した。

 昔……人間に里を追われた青の竜族が一から作り上げた竜族の棲家であり故郷、帝都。

 今では人間の観光客が来るまでになり、商業も盛んでかつてないほど活気に溢れている。


「こんな好い天気、久しぶりだ……」

 

 見上げた冬の空は、自慢の愛娘の瞳の色。

 ミルミラは冬が大好きだ。

 カイユが生れた季節だから。

 街から城へと続く橋を、君と手を繋いで歩きながら僕は誓った。 

 悪い魔法使いから、君を守ると。

 あの絵本の王子様のように、長い外套を優雅にはらって君に跪き。

 その手をとって、指にキスして。

 このティアラを愛しい君に捧げよう。


 




「最近忙しかったから、3人で夕食を食べるのは1週間ぶりかな? ……カイユが怒るから、口移しは我慢しなきゃだね」


 僕達の家は、城の西側の木立の中にある。

 普通は街に家を持つけれど、僕等家族は特例として城の敷地内に住まいを得た。

 僕が新しい<青の竜帝>の補佐官と団長を兼任する事になり、多忙のため城下から通うのは難しかったからだ。

 親子3人で、ずっと此処で暮らしてきた。

 成竜になった今も、カイユは竜騎士団の宿舎には入らず僕達と暮らしている。

 年頃になると親から離れていく子も多い。

 でも、僕とミルミラはカイユがお嫁に行くまでは、ずっと一緒に暮らしていたいと思っている。


「カイユが結婚したら、僕はおじいちゃんになるのか……孫か、楽しみだなぁ。そうしたら僕は引退してミルミラと世界中をのんびり観光して、お土産をいっぱい孫に買ってあげよう」


 あれこれ想像すると、自然と笑みが浮かんでくる。 

 僕が未来を思う時、いつだってそこは温かなもので満ち、ミルミラが笑っている。


「そうだ、明日はティアラに合うドレスをミルミラと買いに行こ……え?」


 家へと続く小道を、弾む気持ちで歩いていたら。


「……これ……」


 匂いがした。

 ありえない匂いだ。


 血。

 血液の、匂い。


 これが誰のものか。

 僕には分かる。

 愛しいつがいの体液に、雄竜は敏感だ。


「…………ミルミラ?」


 一昨日みたいに、料理中に指先を切った!?

 違う。

 そんな程度じゃ、ここまで……。


「ミルミラ!!」


 行けと脳が指示を出す前に、僕は駆け出した。

 城内に竜族を傷つける危険な存在はいない。

 僕等<青の竜騎士>が24時間体制で警備し、街に入り込んだゴミ共(・・)は定期的に掃除(・・)をしている。

 外敵がいない城の敷地内でミルミラが大量に血を……まさか今度は指先じゃなくて、間違えて手首をっ!?


「ミルミラッ! 大丈夫っ!? 酷い怪我をしたのかいっ!?」


 ミルミラの作った花のリースを飾った扉を開けると。


「カイユ?」


 僕と同じ騎士服を着たカイユが床に倒れこむようにして、何かしていた。


「……カイユ。なにしてるの?」


 カイユは僕を振り向きもせず、必死で何かを掻き集めて……元に戻そうとしていた(・・・・・・・・・)

 

 カイユに近づきたいのに、僕の足は動いてくれなかった。

 ブーツの爪先に、真っ赤なものが触れたから。


「ねぇ、カイユ……これ、なに?」

「……ぁ……ぁあ……っ」


 ゼンマイ仕掛けの人形のように。

 きしむような動きで、僕の娘が振り向く。

 僕によく似ていると誰もが認めるカイユの整った顔がぐしゃぐしゃに歪み、崩れていた。


 僕のカイユは。

 本当に美しい竜だ。

 僕とミルミラの、愛しい娘。

 美麗な<青の竜帝>の傍に立つのに相応しい、強く美しい最高の竜騎士。


 今、目の前にいるカイユは。

 見たことが無い顔を、表情をしていた。


 知らない。

 僕は知らない。

 こんな顔のカイユは、知らない。


 でも、カイユだってことは分かる。

 だって、どんな姿になったって。

 カイユは僕の子だから。

 僕とミルミラの、大切な娘だから。


「と……さま。か……かっ、かあさまがっ……なんで? なんでよっ!? どうして……かあさっ……いやぁああああああ! 母様ぁあああっ!!」


 狂ったような声を上げ。

 すがって泣くのは、カイユよりずっと小さな塊。

 真っ赤に染まったカイユの手が、栗色の髪を掴んで震えている。

 床に広がる赤はカイユの影を覆い、先を求めて流れ行く。


「かあ……さま?」


 僕は竜騎士だ。

 屍の上を歩き、怨嗟の声を笑いながら蹴散らしてきた。


 死を知る(・・)僕は。

 扉を開けた瞬間に、理解していた。


 でも。

 認めたくなくて。

 認めるなんて、できなくて。

 

 

「……ミルミラ?」



 その日。

 僕は知った。

 首を落としても、死ねないって事を。



 そして僕の『世界』は。

 色を失った。


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