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第15話

 手を徹底的に洗い、風呂に入った。

 着ていた物を全て……制服もブーツもシャツもなにもかも捨てた。

 容量以上のゴミを無理やり俺に詰め込まれた金属製の屑篭は、妙な形に変形しちまったが見なかったことにした。

 真っ裸なうえにびしょぬれで、俺は部屋へと戻った。

 裸で刀を持って廊下を歩く俺の姿は、他人から見たらかなり間抜けだろう。

 どうせ誰にも見られやしねぇ。

 当分ここへは誰もこないはずだ。

 <青の竜帝>がぽっくり逝っちまったんだ、団長は俺なんかにかまってる暇は無い。

 <主>がいなくなったとしても、俺以外の<青の竜騎士>にはつがいがいる。

 根っこが凶暴な性質の竜騎士だって、しょせんは雄。

 つがいの雌のためにも、本性を隠して一族のために働くあいつらは問題行動をとったりしない。

 唯一『問題』……暴力行為や脱走を起こしそうな俺がミルミラに求婚中だってのは、団長は知っている。

 だから、安心して俺を放置するだろう。


「……補佐官をやってたバイロイト兄をしばらく代行にするしかねぇな」


 バイロイト兄ならうまくやるだろう。

 いつだって自分の母親を<青の竜帝>として敬い……あいつにとってセリアールという雌竜は<青の竜帝>であり、それ以上でも以下でもない。

 そうなるように教育され、育ったんだから……。


「おにい……孫、間に合わなかったな」


 俺よりかなり年上のバイロイト兄は、未だにつがいが見つかっていなかった。

 お兄の理想は顔がカッコンツェルで胸が美乳、そして色白の雌。

 カッコンツェルの顔って……そんな条件厳しい雌、四大陸全部探したっているわけねぇ。

 ん?

 まさかカッコンツェルの娘狙いか!?


「息子だったらどうすんだよ……だいたい、美乳ってどんな胸のことだ?」


 バイロイト兄が紅茶を片手に熱く語る美乳談は、俺にはいつも理解不能だった。

 

「……ん?」


 部屋の扉を開けるために真鍮のドアノブを掴んだ時、気が付いた。

 指先がむず痒いとは思っていたが、いつの間にか剥がれた爪が再生を始めていた。

 それはまだ硬くならず、脱皮したての蝉のように青白かった。





 部屋に入り、身体を拭くタオルを箪笥から出す前に明かりを点けた。


「……これ、まだ使えたんだな」


 床に置きっ放しになって埃を被っていた青銅製のオイルランプに火をつけ、窓辺に置いた。

 油に浸した灯芯の先端に、久しぶりに火が灯る。

 カッコンツェルが大陸の西域で買ったというこの油壺は、油を入れる部分の蓋が猫の顔に模られていて、蓮の葉を中心から折ったような妙な形の口の部分に火を点ける。

 油は鯨油で……竜族の俺が使うには、鯨油は少々臭う。

 だから普段はほとんど使わなかった。

 それに竜族である俺は人間と違い夜目がきくし、寝るだけのこの部屋では明かりの必要性も感じなかった。

 けど、なぜか。

 明かりを点けたいと感じた。


 揺らぐ灯りを見ていたら身体を拭くのがさらにおっくうになったので、そのままベッドに転がった。

 寝転んだまま両手を天井へと伸ばした。

 金属たわしで洗ってぼろぼろになっていた手……もう骨は肉に隠れていた。


「…………」


 他の竜騎士達と比べても、俺の持つ再生能力は強く……<色持ち>並みだとプロンシェンが言っていた。

 あいつは<主>の命で赤の大陸に行ったことがある。

 そこで<色持ち>の竜族と知り合ったようだった。

 <色持ち>……俺より強いんだろうか?

 俺を殺せるくらい、強いんだろうか?


「ま、誰かに頭下げて殺してもらう必要なんて、今の俺にはねぇからどうでもいっか……」


 <主>は此処にはいない。

 が目の前に現れるまで、俺は自由だ。


「……ミルミラ」


 起き上がり、クローゼットから予備の制服を引っ張り出した。

 ベットの下に押し込んであった箱からは、新しいブーツ。

 カッコンツェルが選んだあの服も視界に入ったが、自力で着る自信が無いので見なかったことにした。


「雨、止んだな」


 ランプの火を消しに窓へ近づいて、雨が止んでいることに気が付いた。

 あの雨はいつから降り出したんだろうか?

 ミルミラが来ない俺に呆れ、あそこから立ち去ってから降り始めた雨であって欲しかった。


「……行くか」

 

 待ち合わせの場所だったあそこに行く事にした。

 <監視者>の塔へ。


「まずは、タオルだな」


 身体は半乾きだったが、髪からはまだ雫が落ちていた。






 当然ながらミルミラはいなかった。

 <監視者>の塔の下での待ち合わせは、昼過ぎの約束だった。

 もう夜……そろそろ日付が変わる時間だ。

 ミルミラはとっくにべッドの中だろう。

 約束を破った俺のこと、あいつはどう思ったんだろうか?


「ははっ……完全に嫌われたよな」


 監視者の塔の近くにあるユニの大木の根元に、膝を抱えるをようにして座った。

 ミルミラが座っていた所だ。

 雨は上がったが雲が星を隠し、夜の濃度が増していた。


「…………」


 あの時。

 あいつから俺に手を。

 ミルミラが俺に、その小さな手を差し伸べてくれた。


「……」


 膝に押し付けた額の中で。

 絵本を大事そうに胸に抱えたミルミラが、蜂蜜色の眼を細めて笑っていた。

 俺はそのままじっと、その笑顔を頭に浮かべていた。



 20分くらい経った頃。

 居るはずのない気配が、近づいてきてることに気が付いた。

 ミルミラが此処へ、俺の所へ来るって近づいて来るのが……。


「セレ!!」


 俺はミルミラを見ようと上げそうになる頭を両腕で押さえ込み、膝へと押し付けた。


「ご……めんね、待った? 雨がっ、降ってきたからっ……傘を、取りに、行ってたの!」


 切れ切れになる言葉、弾む息。

 急いで走って来たんだろう。

 なぁ、ミルミラ。

 なんで、お前が謝るんだ?

 なんで、来たんだ?

 約束の時間はとっくに過ぎちまって、もうすぐ日付けも変わるってのに。

 

「……俺……ごめん」


 顔を上げず座り込んだままの俺の真正面にミルミラは膝を着き、持っていた傘を濡れた地面へと置いた。

 頭を押さえ込んだ腕の透き間から、俺はミルミラを見ていた。


「ううん。だって、お仕事だったんでしょ? だから、遅れちゃったんでしょ? 夕方まで待っても来なかったから、団長さんに訊きにいったの。そしたら、セレはお仕事が忙しいからだって言って……でも、終わったら来てくれると思って、ずっとここで待ってたの」


 ピンク色のドレスが汚れるのもかまわずに膝を着き、俺へと向けられたその顔は……。


「そしたらね、お空が暗くなって雨が降りそうだったから……。傘を取りに行ってる間に真っ暗になっちゃったの。それでお庭で迷っちゃって、戻ってくるのにいっぱい時間がかかって夜になっちゃった! えっと、その……暗いから足元とか見えなくて、転んじゃって……」


 泥で汚れてるのは、お姫様みてぇな洋服だけじゃない。

 お前の顔、かなり酷いことになってるんだぞ!?

 転んで泥がついて、それをさらに泥だらけの手でこすったろう?

 髪だって、ひどいもんだ。

 最初は焼きたてのロールパンみたいだっただろうに、今は焦げたうえにチョコレートをぶっ掛けたみたいになっちまってる。

 今夜は月の光も星の輝きも、空には無い。

 人間程度の視力しかないお前が、この闇の中を一人で走って……転ぶに決まってるじゃねぇか。

 城に不慣れなお前なんか、迷うに決まってんじゃねぇか……何時間、迷ってたんだよ?  


「お仕事、大変だった? どうしたの? ……喋ってくれないのは、疲れちゃったから?」

 

 仕事?

 ああ、俺しかできない仕事をしてたさ!

 屠殺場での、繁殖行為。

 それが。

 成竜になってからずっと、俺の仕事だった。


「私……私、セレを待ってたの。あのね、父様と母様はお仕事があるから西域に戻ったけど、私は帝都に残ることにしたの。……だって……だって……セレと……」


 父様と母様。

 <主>が選んだ、ミルミラの両親。

 

「……今からでも親を追え。夜間飛行が不安なら、団長に乗せてってもらえ。俺が頼んでやる」


 搾り出した言葉が震えてなかったことに、ほっとした。

 ほっとした俺を、間髪入れず驚きが襲う。


「セレスティスッ!?」

「お前!?」


 言った。

 ミルミラが、俺の名を。

 セレスティスと……言ってくれた。


「何でそんなこと言うの!? ねぇ、顔を上げてよ! ちゃんと私を見て……見てったら!」


 なのに、俺は見れないんだ。

 お前の顔を、直視できない。

 俺を見て欲しくないから。

 お前に俺のこんな顔、見せられねぇよ。


「私を見てよっ、セレスティス!!」


 ミルミラの両手が、俺の頭をぐっと掴んだ。

 上へとひっぱる力を感じ、緊張で心臓が跳ね上がる。


「や……やめっ……ろっ!」


 だって。

 俺、最低なんだ。


 人間の女に。

 お前を重ねたんだ。


「あのね、セレスティスって言えるようになったの。待ってる間に、練習したの」


 お前が俺を待ちながら、俺の名を言えるように練習してた時。

 俺はいかれちまった頭ん中で、お前をっ……!


「……さわ……な」


 だから陛下は。


「え?」


 俺の頭からミルミラを消すって、言ったんだろうか……求婚中の雄に薬を使ったら。

 ああなると、知っていたのかもしれない。


「触る……な」


 家畜以下の、血肉に狂う獣になると知っていたから。

 あれは、あんたなりの慈悲だったのか!?

 でもそれは、結果としてクソババア陛下の予想を越えたものだったらしい。

 効きすぎた薬は俺の中にあった何かを壊してしまい、異常な行動に焦ったババアが制止しても無駄だった。

 俺は片っ端から女達を壊し、殺し。

 肉塊となったそれに、狂気と狂喜を叩き付けていた。

 

「俺に触るなって言ったんだっ!」


 俺はミルミラを忘れたくなかった。

 もし理由を訊いていても、俺はミルミラの記憶を消されるのを拒んだろう。

 でもそれは俺の我侭で、ミルミラのことを想うなら記憶を差し出すべきだった。


お前は(・・・)俺に触るんじゃねぇっ!!」


 触って欲しい。

 触りたい。

 でも、駄目なんだ。

 ミルミラが、汚れちまう。

 やっぱり俺なんかに触ったら、駄目なんだよ。

 俺なんかがお前に触ったら、駄目だったんだよ。


「セ、セレ……セレスティス……?」

 

 俺。


「は、ははっ。俺、間違えてたんだ」

「え?」


 ミルミラのためなら、<主>の命令にだって逆らえるんじゃないかって思ってた。

 でも、無理だった。

 薬打たれるって分かってたのに、自分から腕を出した。

 繋がれるって分かってるのに、自分から脚を出した。

 それに、俺は。

 今まで、しなかったのに。

 絶対、しなかったのに。


  ---お口のキスは<つがい>としかしちゃいけないのよっ!?

 ---そこはつがいの為の場所だからね。僕にはキスする資格がないんだよ。唇へのキスは、特別だから。


 俺、女に。

 キスした。

 お前に唐揚げ食わせたこの口で。


 お前を想い、したんだ。


「お前に求婚したの、ちょっとした勘違いっつーか……ははっ、我ながら笑えるぜ」


 強いからお前を守るなんて言ったくせに、吐き気がするほど弱い俺。


「……かんちが……い?」


 こんな俺、駄目だ。

 お姫様の君に、ふさわしくない。


「俺、お前みたいな餓鬼っぽい雌、タイプじゃねぇし」


 ごめん。

 ごめん、ミルミラ。

 こんな俺、王子様にはなれねぇよ。


「あのな、デカリボン。俺の‘仕事’は毎回やばい『薬』を使ってた。そのせいでちょっと変になってたんだ」

「私に求婚したの、間違っちゃったんだって言いたいの? ……お仕事で薬? 怪我に使うの? やばい(・・・)ってなあに?」


 やばい薬……その言葉持つ意味を、ミルミラは理解できないんだろう。

 当然だ。

 お前はそれでいい。


「……お前には関係ねぇよ」


 話したくない、話せない。

 知られたくないんだ。

 俺の『仕事』……これだけは、絶対に知られたくないんだ。

 誰に知られても、ミルミラにだけはっ!


「俺、お前に求婚したあの時は、陛下の薬が抜けきってなくて副作用でおかしくなってたんだ。雌なら……伴侶無しの雌竜なら、誰でも良かったんだよ」

「だ……誰で……も?」

「そうだよ! だからもう、俺に近づくなっ!!」


 <主>が死んだ。

 <主>がいない今なら。

 俺は。

 その身も心も。

 手に入れたいと。


「お前のその舌足らずな喋り方も甘ったるい声も、うんざりだっつ」


 声。

 好きだった。


「その顔、二度と見たくねぇんだよっ!」 

 

 あのな、ミルミラ。

 俺はお前が心底欲しい。

 誰にも渡したくないって思ってる。

 <主>がいない今なら、俺は俺の自由に行動できる。

 お前をさらって、誰も追ってこれない地の果てに閉じ込めることだって出来るんだ。

 でも、そんなの長くは続かない。

 新しい<青の竜帝>が生まれ、成長して……先代の交配実験を引き継いだらどうなると思う!?

 <主>は言った。

 俺という特殊個体が実験に必要だったと。

 つまり、この先俺達が……俺とミルミラとつがいになっていても、子を持ったとしても。

 どんなに遠くにお前と逃げても、連れ戻される。

 <青の竜帝>からは逃げ切れない。

 俺はまたあの仕事へと戻らなきゃならない。

 

 そんなことになるくらいなら。

 そんなことになる前に。

 俺は。

 俺はお前を道連れに……。


「……俺、お前ともう会わない」


 なあ、ミルミラ。

 <主>が……クソババア陛下の言ってた‘悪い魔法使い’は、きっと俺のことだったんだ。

 

 約束通り、俺はお前を何者からも守ってみせる。

 だから。

 俺は。

 俺に出来ることをする。


 <主>がくれた、この刀は。

 良く斬れる、俺のお守り。

 この刀で、クソババアが遺してくれたこれで。


「ここでお前とは、さよならだ」


 この目にお前を焼き付けて。

 この脳をお前で埋め尽くして。


「さよな……ら? なに言ってるのよ!?」

「俺には大事な‘仕事’が残ってるんだよ」


 良く斬れるこの刀は。

 <主>からの、最初で最後の贈り物だった。


「俺しか出来ない、大事な……最後の仕事なんだ」


 俺、嬉しかった。

 お前の頭には、潰れて泥だらけのでっかいリボン。

 その髪飾りとピンクのドレスは、気合を入れたおめかしだって言ってたよな?

 俺のためだって、うぬぼれてもいいか?


「……セレ?」

 

 あの絵本の王子様のように。

 お姫様を<化け物>から、<悪い魔法使い>から救おう。


 俺が、俺を退治しよう。


「だから」


 顔を上げ、ミルミラのでっかい目としっかりと目線を合わせて言った。


「さよならだ。デカリボン」


 [僕]が、君を[俺]から守ってあげる。

 だって、君は俺の……僕のお姫様だから。


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