第五十八話 引っ越し
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
マンションに荷物の搬入も終わり、美容室碧のスタッフ一同は隣のタワーマンションへ戻っていく。
「それじゃ私もお店に行ってるわね。そのあとあっちに帰るから、隆二さんが泣いちゃう前にね」
隆二は自宅でひとり、留守番をしている状態なのである。
「うん。お父さんによろしくね。お母さん」
「はい。お父さんにごめんなさいね、と伝えてね、お母さん」
「明日から、また東京でしょ? 気をつけて行くのよ」
「はい。お母さん」
「うん。僕がお姉ちゃんを守るから」
「任せたわ。小さなナイトさん」
「うんっ」
日登美は隣のタワーマンションにあるお店へ出勤。昨日のうちにネット回線が繋がっている。無線LANにタブレットを繋いで、ビデオ通話ソフトを立ち上げる。
『はいはい。一八くんだね?』
「うん。お父さん、やっと引っ越し終わったよ。午後からお母さん、そっち戻るってさ」
「お父さん、明日から東京に行ってきます。やーくんがいるから、心配ないですよ」
『うんうん。千鶴ちゃんも元気そうだね。月曜から新しい学校なんだよね? 慣れない環境だけど、頑張って。一八くん、千鶴ちゃん』
「うん」
「はい」
『あ、はいはい。今お持ちします。それじゃ、またね』
隆二との通話は終わった。これで離れていても、話をすることが可能だ。
「お姉ちゃん、晩ごはんどうしよっか?」
「そうね。明日東京だから、ごはん焚くのもちょっとよね」
「うん。あ、それならさ、メインプレイスの一階にあるあそこのピザ、持ち帰りで買ってこよっか?」
「いいの?」
「うん」
「それじゃ、阿形さんの海老、解凍しておくわ」
「うん、ありがとう。それじゃ行ってきます」
一八は走って出て行く。
『大丈夫じゃないか? 吽形も一緒だからな』
リビングのソファーに座っている千鶴と、阿形像の姿になってテーブルの上に座り、手を繋ぐようにして話をしてくれる。
こうして一八が近くにいられないときは、阿形が残って千鶴を守ることに決めていた。守りの吽形と攻撃の阿形。少なくとも彼が残っていたら、安心だから。
「東京でね、あの、ヒビキ・エージェンシーのことだけど」
『うん』
「もしやーちゃんが無理しそうになったら、止めてあげてね?」
『わかっている。教育上よろしくないと判断した場合は、我々が変わって誅するつもりだ』
「阿形さん、あなた最近、時代劇ばかり見ているでしょ? それ、危ない言葉なんだけど」
『あれ? 成敗するという意味ではなかったのか?』
「それね『罪人や罪を重ねたものを殺す』って意味があるのよ。知らなかった?」
『そ、それは教育上よろしくない、な……』
インターフォンが鳴る。
「はいはい。あ、やーくんどしたの?」
『鍵わすれちゃった。開けてくれる?』
千鶴は阿形を見る。
『大丈夫、あれは本物だ。ほら、右側に吽形がうっすらと見えるだろう?』
「あ、ほんとだ。あーちゃん、今開けるからね」
三人から、何かあったらまずは疑えと、言われた。先日の撮影時に起きた事件。有名になればなるほど、千鶴の身に何が起きるかわからない。だから自分も、なるべく気をつけるように教えられたのだった。
一八が入ってきた途端、ふわっとチーズの良い香りがしてくる。
「ピザ、きたーっ」
千鶴は大喜び。あちらの家で隆二が作る料理は、バランスが取れていて、実に美味しいものばかり。だが、こういったジャンク感があるものは滅多に食べない。こちらへ引っ越した後、食べたい食事のひとつがこのピザだったのである。
「食べてていいからさ、僕ちょっと阿形さんのごはん作っちゃうから」
「待ってるよ。ほら、吽形さんだって我慢してるんだもん」
『が、我慢は身体に悪そうですね』
「あははは」
『何が美味しそうなんだろうか? あんなに味が濃そうなのに……』




