第五十七話 ヒーローの予行演習
翌朝、午前十時からマンションへの家具などの搬入が始まる。
「那覇店の子たちがもう、掃除を始めてくれてるのよ。千鶴と一八は邪魔にならないようにしてなさいね。搬入が始まったら、位置を教えてあげないと駄目だからね。家具って重たいの」
「はい、お母さん」
「うん、お母さん」
「それじゃ、今のうちにごはんを食べてきましょ。ここのホテルのビュッフェ、美味しいのよ」
「うんっ」
「やーくん、いこ」
一八の両方の肩甲骨から肩にかけて、阿形と吽形が姿を隠していてくれている。千鶴は阿形の分を、一八は吽形の分を取ってきている。
阿形の分は、サラダ用の蒸し海老。それをそれなりにたっぷりとってきた。吽形のはたまたまエビマヨがあったからそれなりにとってきた。
「二人とも朝から食べるわね。お母さんはちょっと昨日飲み過ぎちゃって、まだ本調子じゃないのよね……」
それでもバランス良くとってきている。味噌汁を飲みながら少々辛そうな表情をしている。
(はい、吽形さん。結構美味しいよ、このエビマヨ)
一八がちょっと味見をしてから、スプーンですくって目の前に持ち上げる。すると、エビマヨが一瞬で消える。なぜなら『隠形の術』を使っている場合、その手や触手に触ったものも術の効果が出ることが、先日の夜の買い物でわかっていたからである。
『そうなんで――あららら、本当です。いい海老を使っていますね。ソースの味も、濃くていいです』
(阿形さん、これ、食べていいですよ)
蒸し海老に塩をぱらぱらと振っただけ。千鶴はその海老を箸でつまんで持ち上げる。するとささっと海老は消えてしまう。
もちろん、こんな会話が可能なのは、千鶴と一八が向かい合って座っているのと、指先だけ触れあっているからであった。
『すまないな、千鶴君。ほら、薄味が至高ではないか? そんなジャンクな味つけは身体を壊すぞ? 吽形』
『いいえ、地球の方々が作り出したこの複雑な味わいを、千年もの間知らなかったのは悲しいことだと悟ったんです。だからこうして遠慮なく』
(あははは)
(よかったね、やーくんとわたし、味付けの好きなのが似ていて)
(そだね)
「それじゃ、わたしはマンションにいるから、やーくんは散歩でしょ?」
「うん、いってくるね。お姉ちゃん、お母さん」
「はい。気をつけるんだよ」
「うんっ」
「いってらっしゃい、やーくん」
←↙↓↘→
「――うっは、ひょわわーっ。これ、懸垂じゃなくて壁、登ってるからー」
『隠形の術』で姿を消して、二人で顕現させた腕にある吸盤を吸い付かせて、ぺたりぺたりとビルの壁を登っていた。
「はやいはやいすっごいはやい。まるで壁を歩いてるみたい」
一八たちがこれから住むマンション隣りにある、美容室碧の入ったタワーマンションの屋上まであっさり到着してしまった。
「これが昨日言ってた、外ならできるってやつ?」
『いいや、これからだよ。吽形』
『はい、あなた』
阿形から何かが広がって、一八の上半身を包み込んだ。そのあとすぐに、昨日のように彼の身体が持ち上がるような浮遊感があったかと思うと、上にむかって景色が揺れた。
「え? ジャンプしたの? すごいすごい――あれれ? 落ちない、あれれ? 飛んでない? これ?」
『はい。現在、那覇市上空を飛行していますね』
「え? やっぱり飛んでたの?」
『そうだな。我々は大気中の水分を水に換えて放出する。その力を利用して短い時間だが、空を飛ぶすることができるんだ』
『短い時間というのは、ワタシたちの魔力の限界。ですが、一八さんから常時少しずついただいていますので、魔力が途切れる心配はありません』
「それならこのまま東京まで――」
『現在、時速に換算すると二百キロほどです。このままですと、おおよそ九時間はかかるかと思われます』
『いくら一八君からもらっているからといって、途中の海に落ちるだろうな。あははは』




