第四十七話 あらら
吽形が皿にあるソースを舐めとってしまったがために、阿形が試食できなかった。かといって阿形はお腹いっぱい二人分をひとりで食べてしまったので、文句が言えない。
お腹いっぱいで動けない吽形と、ぐぬぬ状態の阿形。やりとりが実に楽しかった。
ドアがノックされる。すると外から隆二の声が聞こえてきた。表には着替え中の札が外してあるからノックしてきたのだろう。もちろん、千鶴の部屋も同じである。
『一八くん、晩ごはんできたからリビングにおいで。千鶴ちゃんもいたら伝えてあげてね』
おそらくは隣からノックして返事がなかったのだろう。
「お姉ちゃん、いこっか?」
「そうね」
「それじゃ、吽形さん、阿形さんもほら、僕行ってくるから」
『あ、あぁ、行っておいで』
『ごちそうさまでした。一八さん』
実に面白いことがわかった。阿形さんまたは吽形さん。または二人ともを通じて、頭の中どうしで千鶴と一八が内緒話ができたということだ。
二階に降りてくると、何やら雰囲気がいつもと違うことに気づいた。テーブルの上に並ぶ料理も、いつもよりいくらか豪華だったりする。考えて見ると、おそらくいや間違いなく千鶴の合格祝いだろう。
一八はいつも千鶴が座っている椅子を引いてあげる。
「やーくん、そこまでしてくれなくても、ね」
千鶴は照れていたが、実のところは違う意味で慣れてしまっていたのだ。
(半分寝てるお姉ちゃんはさ、こうしないと座れないんだよね。だから慣れててつい、やってしまいましたとさ)
一八の向かいには隆二が、千鶴の向かいには日登美が。これがいつもの席順である。
(ハンバーグ、とんかつ、シーザーサラダに、オニオングラタンスープ。全部お姉ちゃんの好物だね)
「それじゃいいかしら? 千鶴、女性なら一度は耳にしたことがある江田島貿易薬品工業のイメージキャラクター、昔で言うならキャンペーンガールだったかしらね? 合格おめでとう」
「おめでとう、千鶴ちゃん」
「お姉ちゃん、おめでとう」
「あ、ありがとう」
「あのね千鶴。私の店もね、エダボウの特約店なのよ。知ってた?」
「……あ、そうだったかも」
「だからね、そのうちあなたのポスターが貼られるの。そしたらね、『この子、私の娘なの』って自慢できるのよね」
「それだったら俺のところだってほら、美容スペースにも貼るでしょ? 同じ同じ」
千鶴のことは、小学校ではそれほど噂にはなっていない。中学校ではもう、噂でいっぱいになっているだろう。町で見かけたら声をかけられるようになるだろう。ただでさえ、千鶴は目立つ見た目をしているのだ。
「ほら、お父さん、お母さん、食べられないじゃない?」
「あら、忘れてたわ。それじゃおめでとう、乾杯」
「おめでとう、いただきます」
「おめでとう、乾杯」
「いただきます――うわ、おいしっ」
千鶴はこう見えて小食ではない。かなり食べるほうだ。沖縄でありがちな普通盛りで超大盛りなチャーハン、ラーメンなどなども、平気でたいらげてしまうほどに。
千鶴は運動全般が得意で、体育祭でもヒロインになれる走力を持っている。父隆二と母日登美の、祖母静江の手伝いをするからと、運動部からの誘いを全て断り、帰宅部となっている。
だが、それは単なる隠れ蓑。実のところ、ガチのオタクでコンテンツの消費に深夜までかかってしまう。だから朝、一八のお世話になってしまっているのだ。
食べ過ぎたなと思ったときは、次の日の朝、こっそり起きて、この島の一周六キロ強を二周くらい走ってくる。それもほぼ全力、中学校記録が出そうな勢いでだ。
(これ、朝走ってこなきゃ、駄目かも……)
明日の朝、走るのが確定になるほど、沢山食べる覚悟をするのだった。




