第三十二話 海老とエビチリとチリソース
『それも海老なのですか?』
(そうだよ。海老を下処理して、衣をつけて揚げるか炒めるかして。お父さんは炒めてたかな? 最後にケチャップと少しの豆板醤で味付けしたのが、普通の家で作るやつね。即席でできるパックのソースもあったかな? 父さんのエビチリとこのホテルの調理師さんが作ったエビチリはどう違うか、楽しみだねー)
父の隆二もプロの調理師である。だから彼の作ったエビチリもまた、もちろんお店で出せるレベルの味である。小さなころから、レストランレベルのごはんを食べて育った一八たちは、案外舌が肥えているのかもしれない。
ちなみに母、日登美は一切料理をしない。なぜなら、交際中すでに隆二の料理の腕にギブアップ。胃袋をつかまれてしまっていたからである。
『そうなんですね。ですがワタシは、これで満足していますので。ではいただきます』
「いただきます。うん、これも美味し――うわ、辛っ」
慌てて冷蔵庫に入っている、ペットボトルの水をあけて飲んで凌ぐ。口の中が一瞬だけ火事になったかのように辛いが、あとを引かない辛さだったため、水を飲んだらまた食べたくなってきていた。
『こちらの、熱を通した海老も、なかなか食感が良くて美味しいですね』
(あ、そうだ。これを試してほしかったんです)
『何をでしょう?』
スプーンでほんの少しだけソースをすくって、吽形のむき海老に垂らす。
(もし駄目だったら吐き出してもいいです。僕と同じ味覚をもっていると思うんで、あまり濃くない味なら大丈夫かなと思ったんです)
『大丈夫ですよ。もし何かあっても、内側も治りが早いですか――な、何ですこれは?』
いつもは白い系統の色だった吽形が、その瞬間だけ極彩色になったかのように感じるほど、どこかの器官が壊れてしまったかのように変化しているのだった。
『複雑でピリッとしていて、これがもしかして甘いという感じ? いえ、ちょっと違う味も感じます。一八さんっ』
「は、はいっ、あ……」
(大丈夫ですか?)
『いえ、その、そのソースをもう少しいただけないでしょうか?』
(どれくらいです?)
『はい。できたらなのですが、その、海老ひとつがかぶるくらいに……』
一八はスプーンでエビチリのソースをすくいとると、向かいにあるお皿に乗った、完全に熱の通っている海老の上にかける。その海老は大きさが丸まっている状態で二センチほど。それが満遍なくかぶるくらいにかけてあげた。
『あ、ありがとうございます。一八さんはご理解していただけているかと思いますが、ワタシたちには、この星の海に生息する似たような形態の蛸と違いまして、一八さんたち人間と同じように味を感じる舌があります。ですが、ワタシの星では味付け自体がとても淡泊というか、基本は無味無臭。刺激がある食べ物は嗜好品とされていたのですね』
(うん、ちょっとよくわからないけど、それって悲しいことだと思う……)
『多幸島に以前お備えされていたものは、お話した通り調理前のものしかありませんでした。それでですね、調理済みのものは一八さんが初めて食べさせてくれたのです。ですが、何らかの方法でもっと前に、食べる努力をしていたならと、今は思ってしまいます。……実に、もったいない千年を過ごしてしまいました』
(うん。僕にはその千年の長さはわからないけど、協力はできるから。ほら、食べて食べて)
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一方その頃八重寺島にて。
『隆二殿、聞こえないだろうが感謝の言葉を捧げよう。感謝している。ありがとう。……それにしても、この蒸し海老。うまい。とにかくうまい。独り占めは吽形には悪く、実に心苦しいがうまくて仕方がない』
吽形のいない水槽で阿形は、浮かんだボールに入った、隆二の下ごしらえをした蒸し海老を堪能しているのであった。




