第二十四話 空の旅 本編
(はい。姉さんが必要なものはあちらで揃えるから、財布と鞄だけ持ってきたらいいって言うものですから)
だから一八のトランクには下着の類いすら入っておらず、ただ財布がぽつんと入っているだけだったわけだ。
『なるほどな。そういうことだったんだな』
(あれ? 阿形さんの声が頭に入ってくるんですけど)
『あぁ、吽形を通してオレの声が聞こえているんだと思う』
インターフォンが鳴った。壁の小さなモニタ横にある小さなボタン『応答』を押した。
『一八くん』
「はい」
『千鶴ちゃんが来たよ』
「はい。今行きます」
「それじゃ、いってきます」
『あぁ、気をつけるんだよ。吽形がいるから大丈夫だと思うけどな』
『はい。ワタシがお守りいたしますから。あなたもお勤めしっかり』
『あぁ。わかっているよ。行ってくるといい』
『はい。ではまた後ほど』
(なんで後ほどなんですか?)
『ワタシたちにとって、あっという間の出来事ですからね』
(あーそっか。千年生きてたらそんなものなんですね)
『えぇ。それでも濃密な千年でしたから、飽きるということがありませんでしたよ』
水槽にいある阿形に見送られて、一八と吽形は部屋を出て行く。すると白いサマードレスとつばの広い同色の帽子を身に纏った千鶴が出迎える。
「やーくん。待ってたわ」
ぎゅっと抱きしめられて、いつものように頬ずりから、頬へキスをされる。ここまでされても平然でいるのは、姉ということともう、慣れてしまったからだろう。
家の庭には車が用意されている。北にある多幸島へ行ったときとは別のタイプで、一回り大きな、いわゆるミニバンと言われる大きめの黒い車。よく芸能人が送り迎えに使うような車種である。それが隆二の車の隣りに駐まっていた。
「お疲れさまです、日登美社長」
彼女は日登美の経営する那覇店で、チーフを任されている我那覇京子。
「すまないわね、京子さん」
「いいえ。これも仕事のうちです。こんにちは、千鶴さん。こんにちは一八君」
「こんにちは、京子さん」
「こんにちは、京子お姉さん」
何度も乗っているからか慣れたものである。先に一八が乗り込む。一番後ろの座席へ乗り込む。千鶴が手伝い、ジュニアシート――チャイルドシートのジュニア版である――に座らせ、シートベルトをかけてあげる。一八の身長が百五十センチに満たないのだから仕方ない。
一つ前の左側の席に千鶴は座る。一八と違って千鶴は。しっかり百五十センチを超えて、百六十センチに迫っているからか、普通にシートベルトを締めた。
「それじゃあなた、行ってくるわね」
「あぁ、二人をお願いね。日登美さん」
熱い口づけ、それも鼻の先が押しつけられてすこし凹むくらいの激しさがある。それでも千鶴と一八は完全スルー。恥ずかしいとかやめてほしいとか、そういう感情は上がってこない。せいぜい『仲がいいね』程度であった。慣れというのは時として怖いものである。
日登美は二列席の右側に座ると、シートベルトを締める。後ろを振り向き、一八をみると笑顔で『大丈夫』と言う。千鶴も大丈夫なようだ。
日登美側のスライドドアを閉めると、京子は運転席に着く。シートベルトを締めて、ルームミラーを調整。
「それではいきます」
二階の一八の部屋からおそらくは阿形が見送っている。シートベルトとの兼ね合いもあって、一八の左肩あたりにいる吽形。
那覇へ向かう高速船の乗り場までは、歩いてでも数分のすぐの距離だ。京子が車で迎えに来た理由は、那覇の港が目的地ではないからである。
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那覇空港へ到着。一八は小さなトランク。千鶴はキャスターのついた、比較的小さな旅行鞄。チェックインも終わり、あとは搭乗手続きを待つだけ。
「それではお母さん、いってまいります」
外では猫を被っている千鶴。今日も完璧なお嬢様である。
「えぇ。いってらっしゃい。千鶴」
優しく千鶴を抱きしめる。千鶴はちょっと嬉しそうだったが、そこはよそ行きの表情をつくるのだった。
「お母さん、いってくるね」
「えぇ。気をつけてね、一八」
遠慮なしに抱きつく一八。
日登美と京子に見送られて、出発口へ。




