第十話 夏休みの出会い
「すっごいきれいだねー」
潮だまりを覗くと、そこには規模は違えど水族館があった。小さな魚やカニ、貝類や海藻。サンゴも綺麗でキラキラしている。幅は十メートル以上あるのでかなり大きい。あちら側へ行くには、ぐるっと迂回しなければならないほどだ。
深さも一八の腰くらいまである。もしかしたら、リーフの切れ目はただただ危険。それこそ一寸先は闇。どれほど深い場所があるかもわからないのである。だから入ってはいけない、そう言いつけられている。一八はそれを守っている良い子なのであった。
一八の足には釣り具メーカーで作られている、磯で滑りにくい靴を履かせてある。日焼けと熱中症対策の長袖のスイムウェアと帽子。ジュニア用の救命胴衣も着せてあるから、何かあったときにすぐ隆二だけで対応できる状態にしてある。だから潮だまりにひとりで行かせても、慌てるようなことはないというわけだ。
一八はゆっくりと潮だまりのまわりを歩きながら、水族館の水槽のように綺麗で小さな世界を見て回った。彼は何かを見つけたのか、幅の小さなところに座った。
「がんばれっ。あ、おしい。そこだ、いけっ。あぁ、諦めちゃ駄目だってば」
一八は何かを応援しているようだ。彼の視線の先にいるのは、光の反射で見えづらいがおそらくはタコだと思われる。それも一匹だけでなく、二匹いるようだ。片方は黒っぽい、片方は白い。だから二匹いるのがわかる。
潮だまりで小さな魚を追っているように見えるが、思ったよりもタコの動きはどんくさい。触手を一本長くのばすが、どうしても空振りしてしまう。
「どうしたの? 具合悪いのかな? でもお腹すいてるから魚追いかけてるんだと思うんだよね、……あ、そうだちょっと待ってて」
一八は立ち上がり、滑りやすそうなサンゴ礁の地磯の上を走って隆二の元へ。隣りに置いてあるバケツをみると、五センチほどの体長があるミジュン――沖縄では食卓に並ぶことがよくあり、名前もよく知られているイワシの仲間でニシン科の海水魚――が何匹も釣れていた。
「どうだ? 一八くん。お父さんもなかなかやるだろう?」
隆二は一八のことを『一八くん』、千鶴のことを『千鶴ちゃん』、日登美のことを『日登美さん』と呼ぶ。
ふふん、と自慢げな表情。そんな隆二をスルーしつつ、一八は自らの要望を伝える。
「お父さんこれ少し、もらってもいい?」
隆二を褒めることなく、一八は意思表示。
「あ、あぁ、構わないけど?」
「ありがとっ」
(猫でもいたのかな? まぁ、怪我をしなければ構わないけどね)
隆二は嬉しそうに戻っていく一八を見ながらそう思っていた。
沖縄本島には海岸沿いでは、比較的多く野良猫を見かける。釣り人の隣でじっと待っている猫を見かけることも少なくはない。もちろん、この八重寺島も例外ではないのである。
一八は自分用にあったビニールバケツに、両手で掬ってミジュンを四尾ほど移す。そのあとそのままさっきの場所へ小走りに急いだ。
「転ぶなよー?」
「うんっ」
(あ、よかった、まだいるいる。でもなんかやっぱり、駄目みたいだね……)
相変わらず二匹のタコは、触手を伸ばしては諦めるような仕草に見えてしまう。回りの小魚はすばしっこく、なかなか捕獲に至らないのだろう。
タコのいる傍にしゃがみこんで、一八はビニールバケツに手を突っ込み、ミジュンを掴もうとしたのだが、
「――ぁ痛っ」
手をすぐにひっこめて右手の人差し指を見る。すると、ぷっくり血が滲んでいるのがわかる。それに思ったよりも傷は小さくない。反射的に指先を口に含んで舐めてしまう。
「いふぁふぁふぁ。あーそっか。気をつけないと駄目って、お父さん言ってたっけ」
魚のヒレはときに鋭く、子供の皮膚くらいは簡単に傷をつけてしまう場合がある。そのため、釣り具店には魚を挟むためのハサミ、フィッシュグリップなるものが売られていたりするのである。
簡単に傷が塞がるわけはなく、ぽたりとひとつふたつ、一八の血がバケツの中に滴る。まぁ、これくらいの切り傷や擦り傷程度では、元気な一八はへこたれない。それこそ、舐めておいたら治ると思っているくらいだ。




