彼または彼女
「タンジー」
「あら。どうなさいましたか、そんな胡散臭い顔をして」
微笑みの貴公子だの、百戦錬磨の優男だのその甘い見てくれだけがいつも一人歩きをしこの男の本質を隠している。この男は気狂いとも名高い国王の、そして第一王子の弟である事に真の意味で気付いている者はどれだけいるだろうか。
「女は生娘に限る。肉は甘く芳しい。尻と腿の肉は格別だ」
国王はそう言って数々の女を後宮に押し込めた。そして気まぐれに手を付け、処女を保ったままに喰らう。どこの出の娘であろうとも身に穢れがなくまた国王の気に入る何かを持つか、味をしていればその家の者に追加の褒美すら齎される。しかもこの悪食以外、国王は有能であるのが国にとって過ちを生む原因ともなった。
勇猛果敢、貴賤の垣根もなく有能な者はその才を伸ばすのに惜しみない時間や金銭を注ぎ民にも好かれる。情報を漏洩させなければ。人を喰らっているなどと知られさえしなければ誰もが王を賢王や人のために尽くし存在している至高の存在だと口を揃えて言うことだろう。
加えて、これの息子たる第一王子は。
「私の想いを尽くすのは、私を真に理解し何時いかなる時も傍にいてくれるのは彼女たちだけ。私の人生は彼女たちに捧ぐ」
彼の部屋には無数の人形が立ち並んだ。しかもこれもただの人形などではない。人の皮を使い、人毛を使った剥製に近いものである。彼は父と同じく生まれながらにして狂っていた。
母を指差し母は何故生きているのかと問うた事が過去にある。美しく生まれ誰よりも輝ける時があったものを、何故その時をそこで止めようとはしなかったのかと無邪気に問いかけ王妃や周囲の者たちを震撼させた。
シワやシミ、白髪やイボ。加齢と共に訪れる身体への変化やその現象を第一王子は醜いと殊更に嫌い、女らを見ては嘆かわしいと溜め息を吐いていた。
一番美しく若々しく愛らしい時期を何故無為に過ごしてしまっているのだろうと。如何にも理解できないと言った表情で。
そしてこの第一王子の考えを父たる者は非難する事も否定する事もなく受け入れ、王子としての体裁さえきちんと整える事ができればとの条件を代わりに自分とは別に娘たちを王宮へ呼び寄せ彼の気に入る者を選ばせ、職人を呼び込んだ。
国王が秘密裏に引き入れたその職人たちは実に見事な仕事をしたそうな。
私はそれを見てはいないし関わろうとも思わないが今、第一王子が己の欲しいドールを探し求めて国を徘徊などもしていないのをみるに満足できる出来であったのだろう。
そんな国王と第一王子を持つ我が婚約者もだいぶ頭をやられている。
王子の遊び相手として複数の貴族令息、令嬢が集められた茶会でその翡翠の目で私を捉え。両手で私のズボンを掴み、足りない身長で必死に縋り付きながら目を輝かせ笑ったのだ。
「ねえ、きみ!ぼくのおよめさんになって!!きみのためならぼく、なんでもするよ!だからおねがい、ぼくのおよめさんになってよ!」
齢4才と、私が7才の際の話しである。
ませた事を言うガキだとこの頃はまだ性別も何もなく愛想笑いで畏れ多い事ですのでと窘めたが、私の反応を見てムッと頬を膨らませてはこの幼児は私から離れ、近くのテーブルよりケーキを切り分ける為の刃物を手にとって視線をぐるりと会場内へ向け。
何を思ったのか唐突に駆け出した。
その先にいたのは護衛の兵の一人である。幼児が相手にしても決して太刀打ちできる筈もないだろう体格差。しかしこの幼児は鎧を着込んだその護衛の足元にまで来るといきなり関節辺りから刃を差し込み貫き、何度も何度もめった刺しにしたのだ。
絶叫をあげたかろうに、それもできず悶絶しその場に膝を折った護衛を見ては次は首を。目を狙おうと凶器を振り上げる。他の子どもらが怯え泣き喚くのも見もせず大体を済ませたか、くるりと振り向き返り血をベッタリと幼く丸いその頬や顎に伝わせながら見てくれたかと私は再度問われた。
「きみのためならおとなにもまけないよ、しんじてくれた?ぼくのことすき?およめさんになってくれる?」
下手に断れば自分以外にも数多の被害者が増える。
だがこのイカれた男に一生添い遂げろとも土台無理な話しだ。けれども頭のおかしい一族の、それもこのように幼く自分の感情もコントロールできない末子を長く放置するのも危うい。
短い時の中、それでもそれなりには悩み葛藤を繰り返した。結局その場は仕方無しに場を収める為に頷き、機嫌を取る事で丸く収めた。
「見事なお手並みでした。殿下は勇猛であらせられる」
「っ!えへへ、タンジーにね!かっこいいって言ってもらいたくて!」
人体の急所や鎧の壊し方も兄に教わったり本を見て学んだのだと不意に子どもに戻ったよう、幼い口調と照れたようにも見える赤い頬が先程の凶行が嘘だったのだと思わせかけるが、遠くで駆け付けた者たちにより布を被せられ回収されていく大きな大きなそれが夢ではないと強く網膜に焼き付いた。
「ぼく、タンジーのこと、きょうはじめてみたけどだいすきになったんだ。だから、ずっと。ずーっといっしょにいてね。やくそくだよ!」
ふにゃと柔い笑みとは裏腹に、これは呪いの如く私にのしかかった。
だがそんな事を表に出してはまたこの子どもは機嫌を損ねて暴れてしまう。何より私に危害や風評被害が及ぶだろうと顔を顰めたくなるのを堪えに堪えて求められるままに手を繋ぎ曖昧に言葉を濁しながら先ずは婚約者ではなく友となる。
少しでも時間を稼ぐ為の事ではあったが、やはり執着や王家の悍ましさには敵わない。結局早い段階で私は諦めて己の性別も女と固定しあの男に合わせて振る舞い方も変えた。
そうして今。私の隣でさも嬉しそうに笑う青年がいる。
私の地位や名声などを傷付けようとした疑惑のある娘とその取り巻きたちに出会し、調査や尋問が行われて私がそんな事件が起きたとも知る前に始末をつけたのだと言う事後報告。
大した内容ではないも大事になる前に解決したのだ、自分は徹頭徹尾私しか信じていなかった。惑わされるような愚かな真似はしなかったのだと胸を張り、それから褒めてくれと言わんばかりに目を細めて身を屈めて顔を寄せてくる。
心の底ではうんざりとした気持ちとなりつつも子どもじみた癇癪を起こされてもたまらない。唇ではなく頬へとキスを軽く贈り、それで済ませた。
「婚前ですし、私もまだまだ王妃様より外交について学ばせて頂かなくてはなりませんので……。過度な接触はできませんからね」
「わかってるって。でも、僕はキスだけでも十分嬉しいよ。物足りないなんて思わない。だって結婚して父上が僕か兄上かをお選びになったらタンジーといっぱい触れ合えるんだもの。それまでちゃんと待てるよ」
「……お利口ですね」
「んふふ……。何か擽ったいな、それ」
子どもの時と同様の褒め、労う手と共に頬や肩を撫でてやればいつの間にか私の背を優に超した高い背を揺らして満面の笑みで笑う。そして昔のように両腕を伸ばし私を抱いた。
「でもタンジーだって自分であいつらの事追い払えたと思うんだよね。大したことのない、妄想の世界のお花畑で生きてるみたいなあんな娘。正論で叩き伏せて潰すの、タンジーも好きでしょ?今からでもどんな末路辿ったか観に行く?」
「そんな暇はありませんよ。…ですが私にまた牙を剥こうとの恐れがあるならば報告書として纏めて後で下さいな」
「ん、わかった。素直に謝れなかった人たちについては今、力を入れて尋問してるから期待しててね」
猫のように目を細めるこの男が喉を鳴らすビジョンが頭に浮かんだ。
なんだかんだと言いはしたが、結局私もこの男も同じ穴の狢であるのに変わりはないのだ。第六感かそれとも全くの偶然かは知らないが。
人を甚振る事に優越や快感を覚える。だがしかしこの欲求は簡単には満たす事はできない。
何故ならそこには他者の苦痛が伴うから。当然ながら他者を痛め付ければ怨嗟の声が漏れる。その声を完全に封じ込める事は不可能だ。どれだけ隠し、行ったとしても。いずれはどこかから秘密とは流れてしまうもの。
従える人間や世話を焼く者たちに囲まれて生きなければならない立ち場、清廉潔白であれとまでは言わないが叩けば埃が出る状況、状態は好ましくはない。
この男はその私の不満や不服を知り得ている。その上で私との婚姻や諸々の交渉の条件としてそれらを挙げた。
裁かれるべき悪しき者や処罰の予定のある者。その先に処刑が予定される者など要は自由にしてもよい者たちを私の趣味の為に捧げ、満たされないその悩みを解消しても構わないと言うのだ。
被害を受けた者からすればただただに刑に処されるのも納得のいかないと言う者たちに、正義の旗を掲げて鉄槌を下したとも演出できる。
これほどに私に向いたものはないだろう。
「そういえば少し前に入った赤銅色の鳥がね。なかなか頭も悪くて、ちょっかいかけるの面白そうかも。いい感じに声もデカいし、本当無教養の固まりって感じでね」
「…そうですか。それはそれは」
「そうだよ。後で見に行こう?気に入ったらあれもあげるから」
人の事を示すではなく罪人が呼ばれた通り名やこの男の感じた物への例えにより呼ばれる名も他人からすれば異様な事であろう。
だが、他のものたちと同じくこの男は宝石や花々、ドレスやジュエリーを贈る如く。私の感動の声や喜びの表情を期待しているらしい仕草もある。
素直に喜んで贈り物を受け入れれば、あちらも素直に喜び笑みを返す。
……全く難儀な男だ。
行こうと急かされ渋々手を預けエスコートを受け入れ歩みだす。
この道が善へとは通じていない事も、自分たちには光ある平凡な道は似合わないとも心得ているが。ただ一つわかる事がある。
それはこの男からはどう足掻いたとしても逃れようのないと言う諦め。
異常な執着や親族らと血の繋がりがあり、地位も名誉もあるこの男に敵うわけもない。王族と一貴族では。味方をこちらに引き入れるとしてもあの男がいかに私だけに固執しているかも知られている分私には不利となるがそこを餌にしギリギリまで引き付けるのも私にはできる。
馬車へと乗り込み対面でにこにこと微笑むあの男に辟易するも何も言わず愛想笑いと返答を適当に返し流したのだった。