2話
幼い頃にふと気になった。
1度だけ村長であるモリア・アントニーに、つまり自分、アレフ・アントニーの父親に聞いてみた事がある。
何故、自分の友人達は木を引っこ抜く程度の、至極簡単な事すらも出来ないのかと。
真剣な表情を見せたモリアは言った。
お前が、皆を守る次の村長であると神様が祝福したからだと。
嬉しかった。
周囲が弱いのではなく、自分の力が強いという事実に確信を持てたことが。
父親の後を継ぐこと、そこに期待を膨らませている。それを知った父が嬉しそうだった事も、何よりの理由だった。
今では、むしろ反吐が出る事だが。
辺境にある村というのは大抵の場合、余裕が無い。それは備蓄という意味でもそうだし。やもすれば開拓を並行して行っている為、十分に生産が出来ていてもそうなっている場合もある。
だが、それらの原因を差し置いて、絶対的な障害となっているのは間違いなく魔物だ。
魔力を生命として宿し操り、何故か明確に人を襲う獣や無機物の群である魔物は、自然な流れとして人類に抵抗する為の力を求めさせた。
すなわち、指導者自体に魔力操作による天災的な戦闘力が求められる時代が到来した。
それは、アルテナ村でも例外ではない。
かつては圧倒的な力と魔力量から最強の村長だと名が知れ渡る程に優れていたモリア。
今や、齢50を超える老体である彼には、既に村長という荷は重すぎることは、誰の目にも明らかであった。
『文歴297年、弥生の25日。
皆が待ちわびた卯月の15日。大地のもたらした恵みの収穫はまもなく終わり、豊穣祭を迎えんとする我々の前に、神は試練を与えた。
ここ、アルテナ村の周辺に広がる名もなき迷いの森のヌシ、キバガミが幾十年の時を超えて現れたのだ。
それすなわち、既に一線を退いた私、アルテナ村村長、モリア・アントニーの後継者が必要であるということである。
我こそはというものは、次代の村長としてキバガミの牙を納めよ』
その日、モリアは村の住民を集め、実質的な引退宣言であるその触出しを発表した。
モリアは最後の1句まで、噛み締めるように言い終えた。その目は、アレフの方を向いていた。
その意味は、村人全員の知ることであった。
目を向けられている自分だけが、不服を示していることもまた、皆が承知することだ。
「アレフ、なぜこんな所にいるの?」
趣味の筋トレを行った後、村の生活用水の源である川で水浴びしたアレフ。
最近商人から交換した織物でその水気を拭っていると、幼馴染のミーシャがそう声をかけてきた。
なぜこんな所に。
アレフはその言葉を聞く度に、自身に求められる役割が、人間ではなく要石になる事であるのを理解して苛立ちが募った。
要は、余計な事を一切せず、ただ村の中心で魔物という外敵を排除し続けろと言ってるからだ。
「ほっといてくれよ。俺はまだ村長じゃないだろ」
「実質的にはもうなってるじゃない。マッドボアやマッドウルフみたいな木っ端では無い魔物を、あなた以外の誰が倒せると言うの?」
「帝国か、王国の庇護下に入ればいい。騎士でも呼んで倒してもらえよ、多少の年貢でも渡してさ」
「今どき、国が守る村を増やすなんて事する訳ないじゃない。よっぽどの手土産でもあれば別だろうけど」
魔力と魔物が出現し始めてから早1000年を目前とした現在。
世界に大小あまたに存在していた国々は、突如出現した常に頻出する小さな驚異を前に、徹底的な消耗戦を強いられた。
指導者足りうる程の力を、魔力を持つ者は言うまでもなく少ない。だが、その手足に、剣になれる程度の戦力たりうる者もまた、十分とはいえなかったのだ。
今や、国と呼べる共同体に、同胞や故郷を増やそうとする動きは極端に少ない。
自身の肉体が齧られているのをすら満足に守り切れていないのに、新たな土地や人を、庇護下を増やす事が自殺行為だと理解しているからだ。
「なら、神樹の実って奴をくれてやれば良いじゃないか。あれを喰えば、もっと強くなれるんだろう?ただのちょっと強い村人だった親父が、最強の村長なんて呼ばれるくらいなんだ。お堅い帝国だろうと、喜んで飛びつくだろうさ」
「貴方、神様を売り飛ばすって言うの?とんでもない不心得者ね」
「教典を良く読めよ、村を守る者が喰えとは書いてるけど、部外者に食わせるな。なんて一言も書いてないぞ」
「それ、本気で言ってるの?」
「……今の状態よりマシだからな」
「運と命とを天秤にかけてもその言葉は吐けるのかしら?」
「……俺は石じゃないんだから、息が詰まる様な生活で死ぬのはごめんだよ」
それは、混じり気の無い、心からの言葉だった。
「まぁ、気持ちはわかるわよ」
それがわかったのだろう。同情するようにミーシャは言った。
「けど、貴方はきっと1人でも生き残れるからそう思うの。私含めて皆は違う。辺境の、魔物の蔓延る森の近くで暮らす。
そんなの絶対的な生命の保証が無いとやってられないのよ?」
「………騎士ってのは信用ならないかな?」
「実力を知らないもの。こんな辺境になんて来るわけないじゃない」
「もし騎士が来て、キバガミを倒してくれたら。俺は自由になれるかな」
「貴方ね……」
アレフの言葉にミーシャは不服を示したが、務めてアレフはそれを無視した。
「それか、親父みたいにならなくて済むんなら村長になる気も出るんだけどな」
アレフは、ミーシャに連れられてアルテナ村に戻った。
それは単に体を拭いた織物を干す為だ。
村に一歩足を踏み入れば、周囲からあからさまな安堵の目線が向けられた。
それだけならば気持ちはわかるのだが、その目線を少し見渡す。そうすると歳を取るに連れて責めるような目線をしている事に気付いた。
(老害共が。守られる事に慣れきっているんだ。若い奴が命を削って自分達を守る事になんの疑問も感じていない。申し訳ないなんて欠片も思っていない)
そんな心中が顔に出ていたのだろう。そそくさとかけていく老人達。その後ろから、やたらと筋肉質な別の老人がこちらに向かって来た。
モリア・アントニーだ。
「帰ったか。何をしていたんだ」
「鍛えてたんですよ。より強くなる為に」
「そうか」
ただ一言。それだけでモリアは離れていった。
その背後を、老人共達が追って行った。
「俺が立派な”村長”になったら、ああいうのが周りに集る様になるんだろうな」
「アレフ、やめなさい」
「……わかったよ」
ミーシャはアレフを咎めた。それは、品性の問題であった。だが、それ以上に、アレフもまた。身一つで世界に放り出されるというリスクを取れない人種である事をよく理解しているが故だった。
「そういえば。あの死体は結局どうなったんだ?」
話を逸らすように、アレフは言った。
「ああ……"魔物の穴あき死体"ね。あれならもう解体されて肉塊になってるわ。私も手伝ったもの」
「死体は綺麗だったか?」
「?…そうね、死体は綺麗だった。穴以外に目立った傷は無かったわよ」
「……なら楽しみだな。」
「楽しみ?」
不思議そうな顔で、ミーシャは聞き返した。
「パッと見た位だから自信が無かったんだけど、あの死体には綺麗な真円の穴以外の傷がなかった。
ただ剣や槍で攻撃するだけじゃ、こういう事にはならない。弓矢でだって弱らせもせずに一射で仕留めるのは難しい。
つまり、この辺りにそれができるものすごく強い"人間"が居るんだよ」
ヒノエの疑問に、アレフは早口で答えた。
「本当?こんな辺境の村に強い人が態々来るとは思えないのだけど」
「偶にガクシャってのが護衛をつけてくるだろ?きっとそれだよ。
……あぁ、喋って見たいし、俺がどのくらい強いのか手合わせっていうのもしてみたいな」
「そう、運良く村に来てくれると良いわね」
「馬鹿な事を言うなよ、直接探しに行くに決まってるじゃないか」
「………それ、せめて私の居ないところでしてくれない?」
ミーシャの冷たい視線を他所に、アレフは自身の腕に包帯を巻いた。1番信頼が置ける"武器"の保護である。
「ごめんごめん、でも見逃してくれるだろ?」
「…………」
アレフの言葉に、ミーシャはただ苦々しく黙る事で返答とし、抗議として十分な時間が経った後に口を開いた。
「アレフ、今の村長という仕事は正しいわよ。それが最善の方法だってことは知っているわ。皆、感謝も納得もしてる」
「わかってる」
「わかってないと思うわよ。納得してないもの」
「…………わかってるさ」
そう言って、そそくさと村を出ていったアレフの姿を見て、ミーシャはそっと目を閉じた。
「やっぱりわかってないじゃない。本当にわかってるなら。キッパリと村長になって、村を守る事だけ考える。
………それか、何も言わずに近くの町で1人立ちをするもの」
アレフは、村民の目が緩む昼の休息終わりに村を出た。道すがら、村唯一の特産品とも言える『切れないオリーブの縄』を手にして。
この地の人と獣、魔物までもが生活の為、汚さない事を本能に誓っている川を目指した。
魔物の穴あき死体は、今はそこに出没した。即ち下手人は部外者である為、川が最も短絡的な"狩場"となる事を理解していると読み取れる為である。
「さて、まだ居ると良いんだけどな……ッ!?」
甲高い獣の鳴き声が響いた。
「マッドウルフ……か?」
言いながらも、アレフは自分の予想が間違えていると確信を持った。
少しばかりのあどけなさが残るその狼の様な鳴き声は、勉強の村という普森に面した暮らしをしているアレフを持ってして、1度たりとも聞いた事の無い声だった。
「まだ声が遠いな…これなら、少し位これを集めて回っても問題ないだろう」
川の周辺に目をやると、そこにはマッドボア。イノシシの魔物、その死体が転がっていた。
そこにはやはり、真円の穴が空いていた。
改めて、しかし初めて観察したその不可解な手法を前に、アレフはその好奇心を抑えきれなかった。
不測の事態に興奮する。不測の義務には反吐が出る。アルテナ村村長モリア・アントニーの息子。すなわち次期村長である筈のアレフ・アントニーはそういう性質の男だった。
「結局見つかったのはマッドボアが3匹と、マッドウルフが1匹。人の気配は全然なかったし………もう夕方か。しまったな、時間をかけすぎた」
点々としていた穴あき死体をひとつにまとめ、縄で縛る。
流石にこれを見に来たと言うだけに村を抜け出したと言うのは不味いので、名目上、肉の確保を目的としていたという理由作りの為だ。
あの聞きなれない遠吠えを前に、できる限り肉の匂いを撒き散らさないようにするためでもある。
「ちょっと持ちづらいな、マッドウルフは一旦置いて……っ!また遠吠えだ。これで何度目だ?」
作業をする間。その遠吠えは不定期だが継続して、しかしずっと遠巻きに聞こえていた。
「やっぱり、変だな…なぜこの状態が続いているんだ?」
狼の遠吠えというのは本来、縄張りの主張だ。それは魔物の狼であろうと変わらない。
だと言うのに、この遠吠えはそこから先に進まない。
対象が逃げたのであればもう必要はない。争うのであれば、遠吠えをしている暇はない。
どちらにせよ、遠吠えだけ続けている現状は不可思議の一言に尽きた。
「……気になる。でも流石に、無断で抜け出しといて、夜に帰るってのは不味いよな」
少しばかり持ちにくい為、背負う様に縄を結び直し、死体を持ち上げた。
手を切られた。
「………ッ!!」
縄で皮膚が裂けたか?状況からそう予想を立てた頭を無意識の反射がかき消した。
これは怪我ではなく、鋭い刃による攻撃だと。
気付けば、眼前には魔物がいた。
保護色など知らぬと、場に合わぬ黒茶色の毛皮を纏い、黒曜石をすら思わせる牙を覗かせている。
先程までの甲高い鳴き声が信じられぬ程に荒々しい、ドラムの様な唸り声。
それらの特徴は、間違いなく1つの事実を指し示していた。
「キバガミ……ッ!」
「■■■■…」
「ちょうどいい。誰かに見られる前に仕留めて土葬してやる。実績をあげなければ、強引に責任を持たせることは出来ないからな」
アレフは即座に縄で括られた死体を投げて捨てる。
アレフが殴り掛かる。キバガミが吹き飛んだ。
それだけの動作の結果として、アレフの拳はキバガミの頬を抉った。
つまり、魔力を纏わせたアレフの拳は、キバガミの毛皮の硬度を上回っていた。
魔力の扱いにおいて、最も基本となる、身体の硬度を上昇させる純粋な強化。
ただ、それだけで肉体的にむしろ魔物の肉体という武器に近づく。
それは、村長に相応しい祝福というのが、魔物に近くする事である証明だった。
「俺は、森の主より魔物として強いのかよ……」
既に、決着は着いていた。
キバガミは見るからに逃げ腰となり、弱々しく立ち上がっていた。
「………止めを指すか」
「伏せてッ!」
聞き慣れない声と共に、風切り音が響いた。
アレフの眼前、キバガミの腹に、槍が突き刺さった。
あまりにも深々と突き刺さったその不可思議な形の槍は、事実を指し示していた。穴あき死体の主がそこに居ると。
「サンプルが1つ減っちゃったわね」
「……ッ!」
木陰から声の主が、人間が出てくるのを、アレフは目が皿にしてまじまじと見つめた。
それは興味関心と言うよりもむしろ、怖いものを見たいという気持ちが強かった。
辺境の村というあまりにも狭い井の中に住む自分が、広い世界にいる未知の強者。 即ち彼の基準で言うところの、より魔物に近い存在を見ることを望んだのだ。
そして出来れば、その役割を騎士に求めた。
自分が、なんて事の無い一少年であることを証明して欲しかった。
やがて、その人影が見えてくる。
「ん………?」
「まぁ、生きていてくれて良かったわ。怪我はない?」
その姿は。あまりにも華奢で、キバガミの土手っ腹に穴を開けた剛腕は、容易く手折れてしまう程に華奢だ。そして何より
「女……?」
如何にも深窓の令嬢と言わんばかりの白い肌を携えた、女だった。
「私はヒノエ・ゲルグ。冒険者よ。
君の期待には添えなかったみたいだけど」
「あ、いや、そういう訳じゃなくて…………ッ!!」
アレフが弁明しようとしたその時。
キバガミとは比べ物にならない。悍ましい雄叫びが村の方から響いた。
「今のは……?」
「キバガミと、似た声……?」