1話
長くても数日の我慢
そう考えると、意識が焦燥していく。不思議な事に、感化出来る物事のレベルが下がっているのを感じた。
朗らかな春の日に、月に1度のティータイムが開かれている。つまりここヴォルフスブルク帝国の皇帝であるクラウスと娘である彼女、ヒノエが唯一行う交流の場だ。
団欒である筈のそれが、いまはティーカップを乱暴にテーブルに叩きつけるという粗相をしたヒノエによって、春の日差しにそぐわぬ剣呑な雰囲気が場を支配していた。紅茶がはねてクロスを染めている。
原因となったメイド達は廊下からヒソヒソと嫌らしい声を発している。聞こえないとでも思っているのだろう。明確にメイド達がヒノエを見下していた。
「姫様!」
皇族の世話人の代表者である爺や、セルバスが声を挙げる。ヒノエのマナー違反は、ひいてはセルバスの教育の責任となる事、それを彼は誇りとして知っているからだ。
変わらずセルバスの言葉を聞き流しながら、ヒノエは時計を見る。現在の時刻は16時半。客人が来る時間だ。すぐにでも部屋に戻りたい。そう思いこの場を支配するクラウスに顔を向けた。
「…」
クラウスは一瞬、物憂げに思案していたその顔を非難に歪ませヒノエに向けた。
相も変わらず。父親であるはずの彼がヒノエを見る目は、価値の無い路上の石を見つめるそれとなんら変わりはなかった。
「子供の粗相を親が躾ないで、交流の意味があって?」
ヒノエは、そういうと立ち上がっていた。
本来の予定であれば、ただ過ごすだけだったこの時間。
無気力であれば耐えられることが、必要な時には耐えられない、立つ鳥が後を濁すようなことをしてしまう。悪い癖だ。
「いくら親子とはいえ、陛下の御前ですぞ!ゆくゆくは皇位を継ぐかもしれぬのです、公私を…」
そんなセルバスの叫びはヒノエにはまるで響かなかった。自暴自棄になった訳ではないが、魔力を微塵も扱えず、ありえないほどの弱者である自分に向ける言葉ではなかった。
ヒノエはテーブルのテリトリーを離れ、ドアに手をかけた。
「友人には、礼を尽くせ」
クラウスは静かに、しかし威厳を持ってそう言い、そのヒノエの無礼を赦した。
「ッ!………はい」
振り返ると、既にクラウスは物憂げな石のような顔に戻っていた。
父親が、少しばかりそれにふさわしい行動をした。そんな事で嬉しくなっている自分にイラつきを覚えながら、ヒノエは自室へと歩を進めた。
友人を迎える準備をせねばならない。
永く共にいる一人のメイドを除いて今、彼女の部屋に他人は居ない。
ヒノエは自身の中にある子供の様な好奇心が顔を覗かせているのを強く感じていた。今日の訪問者が、真に信頼できる人物だからだ。
魔道具といえば、魔物と戦うことを生業としている人物であれば知らないものいなかった。面倒な制約こそあるが、自分の実力以上の力を発揮できる奥の手の代名詞として有名だからだ。
そして、魔力が無く身体能力のパフォーマンスが大幅に遅れを取る私にとって、その差を埋める事が出来る最高の武器でもある。
「お待たせしてしまいましたね。ですが、想定していたよりもかなり良いものが完成しましたよ。自信作です」
部屋に入るなり件の人、帝国一番の魔法使いであるザラ・ララミアが得意げに言った。
ザラの手を見れば、槍の持ち手、その先に三節棍の一節を取り付けたような、独特の形状をした魔道具が握られていた。
「これが注文していた『剛投』?私が出した設計の槍とはずいぶん形状が違うみたいだけれど……」
自分よりも魔力やそれらに精通した彼女が自信作だというのだ、自分の様な素人が考えたそれよりも改良されているのだろう。
ヒノエは理解していたが、それでも口をついた。どれだけ良い物であろうと、実際に使えなければ意味がない。それが現場というものだ。
ヒノエの疑念を聞いたザラは、客人用の椅子に座り。たった今メイドが淹れた紅茶を飲みながら、それでも少し誇らしげだった。
「アトラトルと、そう呼ばれていた投槍を参考にしました。使い方は同じですよ。少しだけコツは必要ですけどね」
「…歴史に学んだのかしら?」
「たしか以前に比較的古代の痕跡が残っている地域のお話をしましたよね?アトラトルはそこで見つかった遺跡から出てきたものなんです。つまり試作品です」
「ふぅん…」
指で剛投を小突いてから、投げる動作をしてみる。やはりすぐに使える様な物では無かった。
眉を顰める様な状態だが、それが嬉しかった。
人類はそれまで積み上げられてきた多くの歴史を学び、そこから感じ取った解釈を形として昇華することによって成長を遂げた事をヒノエは知っている。
軟弱な身体の機能を大幅に超えた事象を手足のように操るすべを手に入れた今の人類ははしかし、凡人が思いつくような便利の大抵を形にして久しく、既にその便利は進化ではなく歴史へと姿を変えた。
つまり大半の民はただその成果と上っ面だけの歴史と共に過ごすことでひそかに、しかし日常の全てにおいてその恩恵を受けている。
それは良い、普通の人ならそれでいい。だが、この世界には”魔力”が存在する。
ヒノエには感じることしか出来ないが、生き物であれば大抵が操り産み出せるエネルギー。地球では空想に過ぎなかったそれが、個人個人によって適正は違うものの、水や火や物、あるいは身体能力に変換することが出来る万能エネルギーとしてこの世界にはある。おおよそ1000年前に突如として出現したそれは、その万能性と秘めた危険性から魔力に関する研究者というもののほとんどを殺してしまった。
ヒノエにはそれが許せなかった。転生者はより効率的かつ冒涜的な手法の数々を持ちながらも、ひたすらに研究を進める世界を知っている。
魔力は万能だが、喜ばしいことに完璧ではないと判明して久しい。
ただの便利なら、より詳しく知るべきだ。今、謎が多いならそれはなおさらだ。たとえ、そこに死ぬ程の危険があったとしても。
「そう、研究者らしく挑戦的なのね、なら使いこなして見せるわ」
ヒノエがそう答えた時、二人がいるヒノエの私室の扉が開いて、彼女の護衛であるコルヴォ・アタルダが顔を出した。
「お、ザラさん。お久しぶりですね」
「コルヴォ君!今日の護衛は貴方だったんですね。セラちゃんは元気ですか?」
「ええ、とても。姫様が魔力を扱えないから私が代わりになるとか言ってますよ」
「張り切るのは良い事です。また特訓しましょうと伝えてください」
「勿論ですよ。アイツも喜ぶと思いますよ」
「なんだか恥ずかしいわ。コルヴォ、それよりここに来た要件を話してちょうだい。」
コルヴォとセラには申し訳無かったが、ヒノエはそこに茶々をいれた。
「失礼しました」
コルヴォの様子が変わった。王女の護衛としての顔だった。先程までの会話は自分達という仲間間のラフだった。今からは仕事という事なのだろう。
「アルテナ村において、次代の村長選抜が始まった様です。先程冒険者ギルドから現村長であるモリア氏が依頼をしに来たと報告がありました」
「そう、やっと神樹が実ったのね……!」
ヒノエとザラは目を輝かせてその報告を聞いた。
アルテナ村と言えば、研究者と言わずとも、その筋の人間にとって、知らない者は居ない村だ。
今や、帝国の正教会ですら把握していないような、魔力の元になったという旧い神。それを崇めている村というのは驚く程に少ない。しかも、その手の村には珍しく、厳しい教義も無い、開かれた村だと言うのだから、古代文明の資料、その代名詞にもなろうというものだ。
そうなれば、未だ自称とはいえ、魔力の研究家を名乗るヒノエとしては、その村の話には興味を持たざるを得ない。
特に、樹齢1000年とももくされる神樹は、50年に一度しか実のらないということで多くの関心を向けられている。
大半の歴史研究家がそうであるように、あまりにもな辺境にあるアルテナ村にヒノエが訪れることは無い。もし仮にもこの世界の覇権国家である帝国の第1王女が足を運んでいい程の理由があるとすれば。
「ザラさん。同行させていただける?」
それは、国一番の魔法使いが、その時期にしか出来ない研究をする時に同行するくらいだ。
「勿論です、抜け駆けなんてしませんよ。意地でも連れて行って……」
「……?」
突如として、ザラが止まった。その表情は絶望に張り付いており、タダならぬ気配を感じずにはいられなかった。
「どうしたの、ザラさん…?」
「軍に納品する魔道具の期限が、後1週間でした………」
「そう……」
縋るような瞳でザラはヒノエを見つめていた。待っていて欲しい。そう告げる瞳を
「なら、私達は先に出発しておくから、後で追いかけてきてちょうだい」
切って捨てた。
「━━ッ!ぬ、抜けがッ!……わああぁん!」
いい歳をして泣きながら仕事を始めたザラを余所に、ヒノエたちは遠出の準備を始めた。