33話
海老原のアドバイスから、二日後のこと。
あの後すぐに松井くんとびっくり過去の原点トラベルツアーを遂行する約束を取り付け、ただ今私は彼が暮らすアパートの目の前にいる。
いつもならばレストランで待ち合わせなのだが、今日に限っては彼の方からこのアパートを指定してきた。
何か心を許してくれた感じがして、正直かなり嬉しい。
それにしても、超一流作家が暮らしてるとは思えないほどの貧相なアパートの造りだ。
築30年はしてそうだし、駅からも遠いし、近くにコンビニやスーパーもあるわけでもないため立地的にも悪い。
あれだけの作品が商業展開されていれば、私が一生かかっても稼げないくらいの大金を手に入れているだろうに、どうしてこんなところに住んでいるのか不思議でならない。
服も別に、ハイブラって訳じゃないし・・。
あ、服と言えば。
たまたま近くにあったカーブミラーで、全身の身だしなみを確認する。
「気合い、入れすぎたかな」
緑をベースとした可憐な花模様の生地に、ゴールドの刺繍が入っているエレガントな柄ワンピにハイブラのベージュのジャケットを重ね、ブラウンバッグを右手にぶら下げるコーデ。
このまま高級ホテルのディナーにも行けてしまいそうな服装だが、今になって、明らかに場違いなのではと不安でいっぱいになる。
最初は、前みたいなラフなコーデにしようと考えていた。
けれど、母校も回るということで松井くんに当時の私を連想するのではなく、今の私を見て欲しいので、少しでも当時から離れた大人っぽさを出したかったのと、単純にあの女の存在が頭をちらつき、気が付いたらこうなっていた。
でもまあ、今さら引き返せないか。
意を決して、彼が住んでいる104号室へと向かうため、コンクリートの地面を蹴ったその時だった。
私が見据えていたその104号室から、黒いドレスと白い麦わら帽子を身に纏った女が、こそこそと出てきたのだ。
玄関のドアが閉まる直前、中へ向けて女性らしく小さく手を振る彼女。
それを見た私の直観が告げていた。
アイツこそが電話越しに居た、あの松島の女であることを。
マスクとサングラスで表情は読めないが、ゆっくりと彼女がこちらに近づいてくる。
ここで視線を外すことを忘れていたのがまずかった。
私の視線に気づいた彼女は足を止めてこちらを見つめ、互いに相対する格好となってしまう。
「なんですか」
この間電話越しで聞いたのと比べて、明らかに冷たく、感情の無い声色。
けれど、その声は確かに「あの松島の女」の声であることは間違いなかった。
ワンピ越しでも分かる抜群のプロモーション。
腕を組み、迷惑そうに首を傾げるその仕草。
自分で言うのもアレだけど、モテる私だからこそはっきりと分かる。
この女、相当ヤバい(語彙力)。
職業柄、これまでに人形のような顔立ちをしたトップモデルや愛嬌抜群の大人気アイドルなどのスーパースターたちの姿を生で拝見してきたが、その人たちに引けを取らない・・・いや、彼女たちすらも超えるオーラを、その女は放っていた。
今までの人生で私が生で見てきた人間の中で、一番とまで言えるかもしれない。
それに、顔立ちは隠されているが、その輪郭やスタイルからかなりの美女であることは伺える。
少女漫画であれば、間違いなく彼女の背景にキラキラと輝く花畑が演出として差し込まれているであろう。
内心かなりビビり散らかしながらも、私は謎にムキになって、強気な姿勢を前面に出して彼女に対する。
「いえ、特に何も」
「ふうん。そう」
女は興味なさそうに頷き、再び足を進めた。
が、5歩ほど歩いたところでまた立ち止まると、今度は横目でにらみつけるように私を伺った。
「もしかして、編集者の人?」
思わぬ不意打ちに、心臓の鼓動が早まるが、あくまでクールを装いながらそうですがと肯定する。
「ふうん。あなたが。ここ最近、大和きゅんがお世話になってるみたいね。そういえばこれから打ち合わせって言ってたっけ」
や、大和きゅん!?
いや、とりあえずその呼び方はひとまず置いておいて、どうやらこの女が松井くんとただならぬ関係なのは間違いなさそうだ。
口ぶりからして、松井大和=南雲泰雲であることも知っていそうだし、この女、まじで何者なのよ!
その心の高ぶりのままに、私は尋ねる。
「南雲先生とは、どういった関係でしょうか」
女は少し意外そうな表情を浮かべた。
そして、小さく微笑みながら馬鹿にしたような目を私に向けてくる。
「彼女、ですけど」
「はい?」
嘘だ、と思ったが、彼女の表情を見るに、どうやら本気で言っているらしく、有無を言わさぬ威圧感を放っていた。
「この間、松島で大和きゅんと食べた海鮮丼と牡蠣、美味しかったなあ。泊まった旅館も部屋から海が一望出来て最高だったし。ああ、また行きたいなあ」
分かりやすい煽りに私はまんまとハマり、頬を火照らせて腹を立てる。
「何なんですかあなた。南雲先生は今とても大事な時期なんです。邪魔しないで下さい!」
「大事な時期?それはあなた方の都合でしょう。大和きゅんが作品を書こうが書くまいが、本来は本人の勝手。それをあなた方は自分たちの利益のために彼の才能に縋って、書くことを無理強いしている。彼の人生の邪魔をしているのは、一体どちらなんでしょうね」
なるほど、こういう女か。
怯んだ私に、さらに彼女はさらにまくし立てる。
「そもそもあなたのせいで、今現在彼はあそこまで苦しんでるんですけど。作品が書けなくなった当初は、死んじゃうんじゃないかってくらい憔悴して、長い時間を掛けてようやく気持ちを切り替えて新たな人生を進もうとしていた時だったのに、あなたのせいでまた地獄から振り出しに。可愛そう」
「それは違います!松井くんはもう一度、創作をしたいという想いで溢れていました。この状況も、確かにもがき苦しんでいるかもしれないけれど、それはきっと彼自身のためで・・・。上手く言えないですけど、松井くんにとって作家であろうとすることは、地獄なんかじゃないと思います」
「それはあくまであなたの感想でしょう?あなたが一体、大和きゅんの何を知っていると言うの?」
「そ、それは・・・・」
言葉につまる。
その言い方は、ズルい。
よくよく考えたら、私は彼の事を遠目で見てただけで、彼の事をまだあまり知らない。
彼の作品を全て読んだとはいえ、それはあくまで南雲泰雲のことであって、松井大和のことではない。
「ちょっと数週間彼と関わったからって、知った気にならないで。彼が一番苦しんでいた時の事も、私は知っている。そして、担当のあなたには見せられない彼の弱さや葛藤も、私はずっと隣で見てきた。あなた方には想像も出来ないでしょうね。彼が松島の海を見ながら、必死で頭を抱えながらスマホのメモに文章を起こそうとしていたことを。海鮮丼を口に含みながら、眉間に皺を寄せて作品のアイディアを浮かばそうとしていたことを。夜の涼しい潮風が旅館の和室に吹き抜ける中で、額に汗をにじませながらパソコンの前で向き合っていたことも。そして、このところ睡眠もろくに取らずに、震える指でキーボードを打っていることも、全て」
何も、言えなかった。
これほどまでに、誰か言葉が嘘であって欲しいと思ったことは無い。
私はてっきり松島で思い切り羽を伸ばしているものだと思っていた。
でも現実は違った。
現実逃避のために訪れた地ですらも、彼は私たち以上に過酷な現実と正面から向き合っていたんだ。
それなのに私は、彼が苦しんでいる間何をしていた。
自分の愚かさに、涙がこぼれそうになる。
「作家への未練をきっぱりと断ち切ろうとしていた彼をどう口説いたのかは分からないけど、もうこれ以上大和きゅんを苦しめるのはやめて。彼が言う『大丈夫』は、彼自身の感情の犠牲の上に成り立っていることを、覚えておいて。それほどまでに、大和きゅんは優しくて、凄い人なのよ」
茫然と立ち尽くす私に向かって、女はそう言った後、足早にその場を立ち去った。
「そんなの、知ってるよ」
せめてもの抵抗にとそう呟いたが、思いのほか声は出なかった。




