31話
やる気に満ちた私は、その後すぐに松井くんがいる松島へと足を運んだ...。
なんてことは無く、私は今、自室でのんびりと酒盛りを行っていた。
明日も仕事だし、数時間のためだけに日帰りで東北に行けるほど、私はフットワークの軽い女では無い。
てかフットワーク以前に、思いつきで松島まで行く方がどうかしてるのだ。
やはりバカと天才は紙一重なのか。
人とは違う感性を持っているからこそ、あそこまで面白い作品を連発して書けるのだろう。
いや、書けないからそんなことしてるのか。
いずれにせよ、海鮮丼食べたい・・・。
相川薫、心の一句。
海鮮丼
ああ海鮮丼
海鮮丼
余裕で字余りだけど、まあいっか。
「ん」なんてあって無いような文字だし。
「ねえ、真知子ー。松島って何県にあるか分かる?」
台所でつまみを作ってくれていた真知子に向けて、即興クイズを出題する。
やはり週末の金曜日は、友人と宅呑みに限る。
真知子は介護職なので、土日平日関係ないのだけれど・・。
「日本三景の松島?そんなら、宮城県しょ。ほれ、海の幸。醤油とワサビは、もうかけてあるから」
何か潮の香りがすると思ったら、どうやら刺身を切ってくれていたらしい。
長方形の白い皿に、サーモンやマグロ、イカやエビなど、スタンダードではあるが確かな実力を誇る刺身達が上品に盛られている。
迷った挙句、私はマグロをチョイスし、一口パクリ。
「ん。うんまあ。これが、松島の味かあ~」
「いや、普通に海外産の輸入品ですけど。しかも、値引き品」
真知子は右手で小さくピースを作った後、イカをパクリ。
そして特に感想を言うことも無く、それをそのままビールで流し込む。
「お姉さん。もう少し味わって食べたらどうですか。せっかくの刺身なんですし」
「人の食べ方にケチをつけるでない小娘。旨いものが胃に入る。そして立派な糞をする。その事実は、変わりなかろうて」
「ちょっと!食事中に糞とか言わないでよ」
「全く、これだから素人は。食事・睡眠・排泄は介護の基本。一昨日、排便五日目だった後藤さんが出た時なんて、テンション上がりすぎてご飯五杯はいけそうだったからな」
「五日目の後藤さんだけに、ご飯五杯?」
「いや下らな。サーモン没収な」
真知子は私の小皿に移していたサーモンを奪い、まるで鯨のように口を大きく開けてパクリと食べた。
当然ながらそのサーモンも、すぐにビールで流し込まれる。
「てかアンタ、あと二週間しか猶予が無いのに酒盛りなんてしてて大丈夫なの?」
真知子には、現状のことは既に報告済みである。
急に引き戻される現実に、酔いが一気に冷める。
「そうだ。どうしよ・・・。変に自分の中で盛り上がったせいであんなこと言っちゃったけど、策なんて何も無かったんだった」
刺身を取る箸さえ、不安と焦りで震えてくる。
そんな状況でも、味覚はしっかりしているのが何だか腹立たしい。タコ美味し。
「じゃあ今から、作戦でも立てれば?」
ビールを飲み終わり、日本酒の栓を空けながら、さらりと提案する真知子。
「ええ。私は無理だよそういうの苦手だし。真知子は何か案ある?」
「いやあたしとじゃなくて、松井君と」
「ままま、松井くんと?!今から?!!」
動揺しすぎて、箸でつまんでいた刺身をポロリとテーブルに落とす。
真知子は呆れた表情を浮かべながら「なんでそこまで動揺すんの」と突っ込んだ。
「だって、こんな夜中だし・・・」
「まだ夜の8時なんですけど」
「酔っぱらってるし・・・」
「まだ理性あんじゃん。いけるって」
「急に電話かけて、迷惑だったらどうしよう・・・」
「確かに、よく考えれば私が松井君の立場だったらめっちゃ迷惑だわ。やっぱやめとこ」
「何でそうなるのよ!私と松井くんの絆舐めないで。きっと、迷惑だなんて、、、思わない、、、、はず・・・・?ああ!でも、焦りで居ても立っても居られなくなってきたから、とりあえず掛けてみよ!」
最終的には自力で決意を固めた私は、すぐにスマホに手を伸ばし、松井くんの連絡先をタップする。
コールの間、言い出しっぺの真知子は「もうちょい舌に刺激が欲しいな」とブツブツ言いながら台所へ消えて行ってしまった。
他人を煽るのは好きなくせに、他人にあまり興味が無い。
そんなハイパーマイペースの真知子だからこそ、変に気を遣わずに今までの友人関係が続いてきたのだと思う。
そんなことをぼんやりと考えていたら、6コール目くらいで松井くんが出た。
『も、もしもし相川さん!こんな夜更けに、いかがなされましたか?!』
「す、すいません突然!今後の方針について軽く話し合いたいと思いまして――――」
『どうしたの?大和くん』
その声がした時、私は思わずスマホを手放しそうになった。
昼間と同じ、波の音。
昼間と同じ、松井くんの優しい声。
そして、昼間は無かった女性の声。
『あ、ごめん。担当さんから。ちょっと待ってて』
少し離れて聞こえる、松井くんの声。
『りょうかーい』と、やはり聞き間違いではない女性の声。
ほんのりと私の身体を火照らしていた酔いが、急激に冷めていく。
まるで、冬の潮風に打たれたように。
『すいません相川さん。それで、今後の方針でしたっけ?』
どうしよう。思考がまとまらず、返す言葉が見つからない。
ただ意味も無く部屋の中をグルグル見渡しと、まだたくさん残っている刺身たちが目に引いた。
松井くんとさっきの女性が、二人で現地の美味しい刺身をつまみに乾杯している光景が脳裏に浮かぶ。
いやいやいや待て待て待て。
と思わせて、今回もハルタママパターンだよ。
私は無意味に作り笑いを浮かべ、軽く息を吐いて、口を開く。
「ちょと松井くん。いくら観光地だからって、羽目外しす―――――」
『大和くん。キス、しよっか?』
波の音に負けまいとしているのか、はたまた電話越しにいる私を意識してか、こちらにもはっきりと聞こえるくらいのボリュームで、その女性はそう口にした。
その瞬間、私の部屋から松島は消えた。
反射的に、電話を切ってしまったのだ。
その後、すぐに松井くんからの着信が入るが、私は通知をオフにして、部屋の端へスマホを投げ捨てた。
「あれ、電話かけたんじゃなかったの?」
市販のキムチを小皿に移した真知子が、台所から戻ってくる。
「ああ。うん。今、忙しいみたいで」
真知子には滅多に嘘をつくことはないのに、咄嗟に誤魔化し、愛想笑いを浮かべる私。
真知子はしばらく怪しそうに私のことをジーっと見つめていたが「そっか」と頷き、キムチをテーブルに置いた。
私はいつもより味気のないキムチを食べながら、心の中でこの言葉をただひたすらにブツブツと唱えていた。
「誰よ。あの女」
結局その夜、残っていた刺身は全て真知子に譲った。




