29話
「し、失礼します!」
会議室の中へ入ると、編集長と笹川が二席分離れて座っており、私を見るなり対面の席に座るように促した。
「し、失礼します・・・」
ツートップを目の前に恐縮しながら椅子に腰かける私。
二人は実に穏やかな表情で私のことを見つめていた。
「改めましてこんにちは薫ちゃん。ぎんがで編集長をしております奈良憲一でーす。サッキブリネー」
グラサンアロハの挨拶に、笹川さんが横目で「なんですかそれ」と冷たく言い放つ。
「気にしない気にしない」と笹川さんを適当にあしらいながら、奈良編集長は私の顔をじっくりと眺め始める。
「な、なんでしょうか?」
男性に顔をじっくりと眺められるのには慣れてはいるが、なぜかこの男の場合はいつもの男たちとは別の意図があるように感じられ、戸惑ってしまう。
なんか女としてではなく、商品として値踏みされている感覚。
スーパーで売られている野菜になった気分だ。
「優佳のとこの子だって聞いてたから、どんなくせ者が来るかと思ってたけど、案外分かりやすくて扱いやすそうな子じゃん。薫ちゃん、よくアイツのとこで5年も持ったねえ」
「優佳?!もしかして編集長のことを知ってるんですか?!」
BRUJA編集長・青山優佳。
一時期、優佳さん呼びを試みた期間があったが、確か一度呼んだ際、キャベツに隠れていた虫を見るような目で見られたので、断念した苦い思い出がある。
「ああ。知ってるも何も、アイツと俺、元夫婦だから」
「はああああああ?!!!!!」
あの編集長と、グラサンアロハが、ふふふ、夫婦?!!!
「もう離婚して6年にもなるのかあ。いやあ、時の流れは早いものですな。笹川くん」
「もう少し地に足着いた生き方をすれば穏やかになるとは思いますけどね」
「いやいや君なんて地に足つけ過ぎて地下まで潜ってるじゃないか。よく分からん歌を歌ってるよく分からん女に搾取されて」
「はあ?Do♡倶楽部の悪口を言う奴は、例え上司だとしてもただではおきませんよ」
そんな二人のやり取りなど耳に入らないほどに、私の受けた衝撃は測り知れなかった。
編集長が、アロハ編集長と・・・。
てことは、編集長も実はアロハ・・・・?
二人の口論と私の混乱が落ち着いたのは、ほぼ同時だった。
気を取り直して、姿勢を正す三人。
奈良編集長が指を組んだ手をテーブルに置き、咳ばらいをする。
「薫ちゃん。君の働きぶりは聞いているよ。南雲泰雲を説得してくれたこと、本当に大手柄だ。改めて、編集長として礼を言わせてもらう」
「い、いや!私は何も」
謙遜しながらも、正直心の中では喜びでいっぱいになる。
およそ一ヵ月前、会議室で編集長と対面するという同じシチュエーションでクビ宣告を受けた私にとっては、これは偉大なる成長ではないだろうか。
密かにテーブルの下の見えぬことろでガッツポーズをしながら、私は続ける。
「ただ、南雲先生にはまだ作品を書いて欲しくて。その想いだけで、がむしゃらに。それに、最終的に決断したのは他でもない先生ですから」
奈良はしどろもどろな私の言葉の後、ふふんと楽しそうに鼻を鳴らした。
「なるほどねえ。で?さっきの公園の様子からして、その後うまくいってないみたいだけど?」
そうだ。そういえば、グラサンアロハには全て見られていたんだった。
奈良の言葉に、横に居た笹川が「そうなんですか?」と心配そうな視線を送る。
所詮心を入れ替えたとは言っても見栄っ張りな私。
南雲との連携がうまくいっていないことをぎんがの面々に相談はしていなかったのだ。
「薫ちゃん。笹川が頼りないのは分かるけど、報・連・相は大事だよ?」
「すいません・・・」と即効で猛省する私。
そう諭す奈良編集長に、優佳編集長の姿が被った。
『社会人になってもう数年近くするのに未だに報連相の一つも出来ないの?アナタ、学生からやり直した方が良いんじゃない?』
このセリフ、一体何度言われただろうか。
学生からやり直したところで、もう一度ちやほやされながら楽な方へと流れるルートを選ぶに決まってるから意味無いんですよお。
私のダメダメっぷり舐めないで下さい!
というツッコミを入れるまでが、テンプレの流れだった。
でもそれももう過去の話。
今は私自身、学生時代からやり直したいと思っている。色々な意味で。切実に。
「この一週間、色々と原因を考えてみたんですけどなかなか答えが見つからなくて。先生もまともに寝ずに執筆するまで努力はしてくれてるんですけど...。完全に私の力不足です。大見得切って口説いといて、結局役立たず」
「なるほど。やはり南雲のスランプはなかなか深刻なものだったか。一度気持ちが前向きになれば、スランプに陥ってる作家も案外書けるものだけれども、そうはならなかった。先生の中でのもっと根本的な何かが、創作の妨げになっているのかもしれないね」
「根本的な、何か...」
分からない。
あれから松井くんの事を深く知ろうとストレートに質問したり、探りを入れたりしてみたのだが、どこか彼はまだ私に遠慮があるみたいで、二人の間に巨大で分厚い壁を造られているように感じる。
私が焦れば焦るほど、彼自身がどんどん追い詰められていき、それが極限まできて彼は遠い場所へと飛んでしまった。
「それは、一体何なんでしょうか」
奈良編集長であれば、その答えを知っているのではないかと思い尋ねてみる。
すると彼は両耳に親指を入れて、ウーパールーパーみたいに残りの指をヒラヒラさせながら揶揄う様な口調で言った。
「そんなの、僕には分かりましぇーん」
腹立つな、コイツ。
その答えは自分たちで探し出さなきゃならないことくらい分かっていたけれども。
それを踏まえても、殺意が湧いちゃうわ♡
「編集長。そろそろ、本題を」
奈良の振る舞いを見かねたのか、笹川が呆れた視線を送りながら提案する。
「本題?」
私がここに呼ばれたのは、私の仕事ぶりの賞賛とお悩み相談のためでは無かったのか。
「ま、そうだね。実はこう見えて、俺は笹川と違ってかなり忙しい」
「それは貴方がハワイに行ってる間の仕事が溜まりに溜まってるからでしょう」
「そうでしたぁ」
まるで夫婦漫才のようなやり取り。
案外この二人、仲が良いのでは...。
何度目かのおふざけタイムはすぐに切り替わり、奈良はいよいよといった感じで姿勢を正し、口を開く。
「薫ちゃん。こんな提案をするのは筋違いなのは分かってる。でも、ぎんがの未来のために、心を鬼にして言わせてもらう」
ゆっくりと深呼吸をした奈良編集長は、かつてないほど真面目な表情になり、言った。
「南雲の担当を、降りてくれないか」
その言葉は、私の心にナイフのように、グサリと突き刺さった。




