22話
目的地の映画館までは、レストランから徒歩でおよそ10分の道のりだ。
休日の東京は、例え渋谷や新宿などの誰もが知るようなデカい街でなくとも、少なくない人で賑わっている。
そのため、東京観光に来た地方人が絶対に訪れないであろう特色のない住宅街が中心のこの街でも、それなりに人通りは多い。
「あのっ!相川さん」
ここまで強引に誘拐されてきた松井くんが、初めて足を止めて抵抗らしい抵抗を見せる。
『なあ。あの子、めっちゃ可愛くね?』
『俺もそう思ってたわ。なんかパッと見地味だけど、めちゃくちゃ容姿整ってるよな。スタイルも抜群だし、胸も丁度いい』
『お前分かってないな。パッと見地味に見えるのは計算だよ。清楚な感じを演出しつつ、中身はきっと肉食系だぜ。歳も、それなりに食ってるように見えるし』
『マジか、ムラッてきた。てか、手を繋いでんの彼氏?』
『なわけないだろ。きっと今流行りのレンタル彼女とか何とかだろ。あんな芋が、あの子の彼氏なはずがない』
群衆の騒々しさの中から、私たちのことを話している声が聞こえて来る。
話している本人たちは、まさか聞こえているはずがないと思っているのだろうが、意外と自分に関する話題や知っている話題については、いくらその場所が騒々しかろうと、不思議と耳に届いてしまうものである。
松井くんを芋呼ばわりしたことと、私を歳食い女呼ばわりしたことは許せないが、こんなふうにから話題の種にされることは慣れているので、まあ大目に見るとする。
オスが良いメスを見ると興奮するのは生物学上正しいことなのかもしれないが、私たちは知性を持ってこんなに偉大な文明を作り上げてきた人間なのだから、少しはその本能を隠す努力をして欲しいものである。
あと私、草食系だし。
「なに?松井くん」
気を取り直して、後ろを振り返る私。
すると、松井くんは顔を真っ赤にしてボソボソとそっぽを向きながら言った。
「いつまでこの手、握ってるんですか?」
あ、そういえばそうだ。
連れ出すことに夢中になりすぎて、解くのを完全に忘れていた。
だけど別に、ここまで来て解く理由も無いと思うので、松井くんの反応を楽しみつつ少し抗ってみることにする。
さて、上目遣いに小動物的可愛さを意識して....。
「めいわく、ですかぁ?」
「い、いえ!そんな事は」
「なら良いじゃないですか。言いましたよね?これはデートだって」
「そこなんですけど、まだあまり状況が呑み込めていないというか...」
「そんな難しいこと考えないで下さいよ。こんな絶世の草食系美女がここまで積極的に誘ってるんだすよ?男であれば、本能で誘いを受け入れるべきです」
「ん?(首を傾げる)」
「すいません調子に乗りました。今すぐ離します」
惜しみつつも、松井くんの手をそっと離す私。
彼は解放された手をうっとりとした瞳でしばらく見つめ、言った。
「高校時代の夢が叶いました...!今すぐこの手をチェーンソーで切り取って家の玄関に飾りたい」
何か物騒な事を言っているが、これは聞かなかったことにする。
意外とそういうタイプだったのね、松井くん。
それにしても、デートに行くこと自体は納得してくれたみたいで良かった。
ホッと胸を撫で下ろす私。
まずは第一関門突破といったところか。
それから銀行から飲食店など幅広い種類の建物が立ち並ぶアーケードを通り、私たちは映画館に到着した。
その映画館は業界最大手の映画会社を親会社に持つチェーン映画館でスクリーン数は国内で2番目の位置につける。
休日であるからか、レストランや街中などの例に漏れず、中は多くの人で賑わっていた。
「へぇ。『ミラカノ』、今上映してたんだ」
チケットを見て、松井くんが意外そうな顔をする。
『未来の彼女の独り言』
南雲泰雲作の恋愛小説を、映画化したものである。
主演は、大人気アイドルグループに所属していた経歴を持つ、超人気女優堀内真希。
今や知らぬ者は居ないほどの国民的女優である。
「ちょうど今日公開らしいですね。知らなかったんですか?自分が書いた作品でしょう?」
「いやぁ、お恥ずかしい話なんですけど、自分の作品がどのようにメディア展開されているか、あまり把握出来てないんですよね。とにかく毎日、目の前の作品を執筆するのに夢中で」
「過去は振り返らないタイプなんですね。カッコイイです!」
「いやいや。そんな大層なものじゃないですよ 」
謙遜しながらも、分かりやすく鼻を伸ばして照れる松井くん。
ちょっと可愛い。
「でもまぁ、今は執筆自体出来てないんですけどね。書けない作家なんて、社会的には無同然。路傍の石ころ未満の存在価値」
そんなことないですよ。
そう否定したかったが、ここでどんな言葉を紡いだところで安っぽく聞こえてしまうため、あえて何も言わなかった。
上映時間まで、あと30分近くある。
そろそろスクリーンへの入場の許可が出そうなので、私たちはポップコーンやドリンクなどを購入するため、売店の列に並んだ。
「あ、そういえばチケット代。お支払いしますよ」
財布を出した際に、思い出したように松井くんが言う。
「何を仰いますか。半ば無理やり南雲先生の貴重なお時間を頂戴してるんですから、誘った側の私が払うのが筋です」
当然、財布から諭吉を出そうとする松井くんの好意を全力で拒む私。
てか、チケット代は英世で充分だし。
「いや、ダメです。あの相川さんにお金を払わせたと言ったら、貴方に憧れた男子生徒達に襲われます」
「襲われませんって!それに今、過去のことを持ち出す必要はないでしょう。私は下っ端編集者で、松井くんは日本を代表する大作家。これが全てです」
「だから僕はもう作家じゃないんですって。分かりました。男として、一人の男としてデート費用を負担する形でチケット代を払わせてください。それなら、文句ないでしょう」
「あります。それに今どき、男が女に奢らなきゃいけないなんて価値観は古いと思いますよ?これからの時代は、男も女も対等であるべき。よって、松井くんのその提案は呑めません」
「対等であるならば、ここは僕が───」
「だから、要らないって言ってるじゃないですか────」
こんなやり取りの末、結局割り勘でチケット代を払うことになった私たちは、ポップコーンとコーラを両手にアナウンスに従って、スクリーンに入場した。
南雲作品の公開初日ということで、当然スクリーンは満席で、主に若いカップルが仲つむまじそうにしながら上映までの待ち時間を堪能している。
「まさかここに、原作者が居るなんて誰も思わないでしょうね」
今までで一番距離感が近い横顔に向かって、私は耳打ちをした。
松井くんは上半身を退いて私から少し距離を取ると、予告が流れるスクリーンを眺めながら答える。
「原作者がその場に居たところで、何も変わりませんよ。自分の隣にいる大切な人と、物語を楽しむ時間を共有する。その神聖な空間には、例え原作者であろうと出入りする事は許されない」
ポップコーンキャラメル味を一つ、親指と人差し指でつまみ、口に含む。
それをコーラで流し込むと、彼は表情を綻ばせながらこう続けた。
「相川さん。僕は物語とは、このポップコーンみたいなものだと思っているんです。ここに居るお客さんそれぞれの人生が映画だとしたら、物語はそれらを彩るサブコンテンツ。ポップコーンが美味しければ美味しいほど映画を観る時間が快適になるのと同じように、質の良い物語を提供することで、その人の人生もより豊かになるように。そんな誰かの人生にそっと寄り添えるような作品を創りあげるのが、創作に携わるクリエイターの使命だと捉えて、僕は今まで活動してきたつもりです」




