14話
「それって、つまり...」
スランプじゃないかと、笹川さんは言った。
南雲先生はそうなんですかねと小さく頷き、自嘲気味に笑った。
「それはいつからですか?」
「半年くらい前ですかね」
「何か予兆みたいなものはありましたか?」
「それが無いんです。ある日突然、パタリと。いつものように仕事をしようと起きてすぐパソコンに向かって、キーボードに触れたのですが、その手は動く事なく、気づいたら空には月がのぼっていました。そんなことが数日続き、一週間ほど経ってやっと自覚しました。あぁ、書けないって」
南雲先生は他人事のように話すと、コップに手をつけ烏龍茶をゴクリと飲んだ。
「医者には診てもらったんですか?もしあれなら、私が腕の立つ精神医を」
「カウンセリングも、一応は通っています。ですが原因が分からない以上、対処の仕様もないみたいで」
どれだけ、重要な話をしているのかは業界に疎い私でも理解出来た。
だから、変に口を挟むようなことは絶対にせず、ただただその場の空気に徹する。
色んな感情がごちゃ混ぜになって、息苦しさを感じていることすらも、気づかれないように。
「僕、今の仕事が終わったら作家を辞めようと思うんです」
余計な相槌は入れずに、笹川さんはココアを一口飲み込む。
「正直な話、これだけのファンがついて、業界の方々にも少なくない期待をされて、こんな形で投げ出すのは無責任でありますし、大変心苦しいです。ですがこうなってしまった以上、仕方の無いことだと割り切るしかないと、最近になってようやく踏ん切りがつきまして」
「諦めるのはまだ早いですよ!今書けないのであれば、休止という手段も」
空気に徹すると決めていたのに、限界を迎え、とうとう口を開いてしまった。
言った瞬間、激しい後悔に襲われた。
彼は、そんな余裕はないだろうに、私を気遣うような笑顔を浮かべ、ありがとうございますと前置きした上で、言った。
「その線も考えましたが、再び書けると約束出来ない以上、ファンや皆さんを待たせる時間を考えたら、いっその事ここで全員を裏切って、僕を恨んでもらった方が都合が良いのかなと」
「そんな。。。」
言いたいことは山ほど浮かんだ。
けれど、それらをまとめあげ言語化出来るほど、私の脳ミソはスマートではなく、結局拳を握りしめることしか出来ない。
しばらくの間、笹川さんは南雲先生を見つめた後、スーッと息を吐いて深々と頭を下げた。
「先生がこんな状況だとは知らずに、こんな頼み事をしてしまって申し訳ありませんでした。一番辛い想いをしているのは他でもない先生でしょうから、どうかご自愛ください」
「ありがとうございます。ぎんがは小学時代からハマって、今でも時々購入するほど大好きな雑誌なので、協力出来ないのは大変悔しいですか、僕以外にも有望な作家さんは沢山いらっしゃると思うので、きっとこの改革案に沿っていけば明るい未来は確約されているでしょう。僕も陰ながら、応援させて頂きます」
「ありがとうございます」
テーブルから身を乗り出し、握手をしてエールを贈り合う二人。
交渉は、決裂。
けれど二人は、清々しい表情を装っている。
そして松井くんは最後に私に目配せをして、言った。
「相川さんも、今日は久しぶりにお会いできてとても嬉しかったです。正直な話、かつて憧れに憧れた高嶺の花の相川さんと一緒に仕事が出来るなんて夢のような話だったですが、僕がこのような状態なばかりにとても悔しく思います」
「私も、南雲先生と一緒にお仕事したかったので、残念です」
だから、何とかならないんですか。
喉まで出かかったその言葉を、ギリギリのところで飲み込む。
それから数分ほど他愛もない話をして、私たちはレストランを出た。
どうやら松井くんの自宅はこの近くにあるらしく、ここから歩いて帰るとの事だった。
私と笹川さんはタクシーに乗り込み、松井くんと別れの挨拶をして手を振り合い、天王山の戦いは幕を閉じた。
「いつも、こうだ」
タクシーが出発したと同時に、笹川さんは小さく呟いた。
「作家が本当の意味で苦しんでいる時、編集者は彼らに寄り添うことすらも出来ない。創造する者と、創造されたものにスパイスを与える者。この間には、絶対に越える事が出来ない、分厚い壁がある。我々編集者というのは、あまりに無力な仕事だよ」
この時の笹川さんの苦渋に満ちた表情が、しばらく私の脳裏に焼き付いて、離れなかった。




