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「メロディ嬢には……」
アバンが当然のように『メロディ嬢』と言いなぜか寂しさを覚えた。
憧れていた二人の恋は終わったのだと思い知らされたせいだ。
少し前までは彼女のことを呼び捨てにしていて、仲睦まじい姿を何度も見ていたことを思い出してしまったから。
「もう、メロディ嬢って言うんですね」
「家族同然で暮らしてきたがケジメをつけるために、屋敷から出て行ってもらった。王立学園の学費は彼女の未来のことを考えて負担することにした。だけど、僕がするのはそれだけだ」
自分のほうがなぜか折り合いをつけられずにいるのに、アバンは冷静だった。
追い出してあとは知らない。としても良かったのに、それをしないのが彼の優しさなのだろう。
何もしていないのにある日全てなくしてしまうのは、想像するだけで辛い。
「……突然切り捨てられて彼女も辛いと思いますが」
「僕も最近まではメロディ嬢と結婚するものだと信じていた。だけど、違うと思ったんだ。距離は近かったかもしれないが、そういったことはなかった」
「なぜ、結婚を取りやめたのですか?」
アバンがなぜメロディとの結婚を取りやめたのか、その心境の変化を私は知りたかった。
「船の事故を知っているだろう?あの件から考えが変わったんだ」
「そうなんですね」
ブルーノ家でも一番大きな船が時化で転覆し、一時期は乗組員全員が行方不明になっていたと話を聞いた。
しかし、奇跡的に全員が生還した。積荷は全てダメになってしまったけれど、それでもアバンが保険会社と掛け合い被害を最低限に済ませた。という話だ。
「あれに父も乗っていた」
そこで、私はこの婚姻の意味を理解した。
アバンの父を全く見かけなくなったという話をそこかしこでよく聞いたからだ。
「もしかして、そのせいで表に出られなくなったんですか?」
「君は察しがいいな」
「早く家を継ぐために結婚したいんですね」
「それも少しある。結婚はメロディとはできない」
「メロディ嬢でも良かったのでは?」
「彼女には無理だ。いや、僕が無理になったんだ」
アバンは躊躇いがちに口を開いた。
「彼女は、あの時、僕が船に乗ってなくてよかったと笑ったんだ。僕さえ無事ならそれでいいと、全て失っても大丈夫だ。と言ったんだ」
アバンがメロディへの想いを失くした理由がわかった気がした。
あの船には、アバンの父が乗っていた。それに、他の乗組員だっている。彼らのことはどうでもいいと言っているようにとれなくもない言葉だ。
メロディの言葉は表面上は優しいものだが、それは、責任から目を背けて逃げているようなものだ。
「なぜ私なのですか?」
「君は力強いから。僕が死んでも悲しみはするけど家族のためになんでも『やり遂げる』気がして、それに、『真実の愛』のために周りに迷惑をかけても平気なタイプの女性に見えなかったから」
力強いとか絶対に寿命以外で死ななそう。寿命すら超越しそう。とか、ルチェやオウデンからよく言われるが、アバンも同じような目で見ていたのか。
ジトッとした目で睨むとアバンは慌てたように言い訳を始めた。
「君は目的のためなら穴を掘ってでも、空を飛んででもそれをやり遂げそうな気がするんだ」
いいように言われていると思うのだが、喩えが酷すぎる。
まるで、道無き道を爆進するとんでもない女みたいに聞こえる。
けれど、人として好かれているのはわかった。
しかし、人として好意が持てても女として好意が持てるのかはまた別だ。アバンはその辺をどう考えているのだろう。
「私を好きになれそうですか?」
自分が男だったら、私みたいな女と結婚するのは絶対に嫌だ。
「僕は君を好ましく思っている。もう、僕の目は覚めたから、『メロディと結ばれる事』に、取り憑かれていない」
「本当に?」
「君を好ましく思うのにも理由がちゃんとある。できれば思い出すか、気がついて欲しいから言いたくないけど」
アバンのそのひと言に私は瞬きした。
過去に私は彼に何かしでかしたようだが、何も思い出せない。
それをアバンは思い出せと言う。
「まるで駆け引きですね」
苦笑いを浮かべる私にアバンは微笑んだ。
「そんなつもりはないけど、自分で言うよりも思い出してくれた方がずっと嬉しいから」
アバンは顔を赤らめる。お前は乙女か。
それにしても、いつ、ルチェとオウデンにアバンとの婚約の話を打ち明けたらいいだろうか。
私はそんなことをぼんやりと考えていた。