最近ちょっとハゲてきてる件について
これは私が高1の時に夏季休暇にて出題された課題作文の修正版です。
受験勉強がかったるくて、部屋の掃除をしていたら見つけ、つい読んでしまい、気がついたら書き始めてました。
拙い文章ですが暖かい目で見守ってくれると幸いです。
最近私を悩ませている悩みが一つある。
タイトルにあるように薄くなっているのだ『頭髪』が。別に、通行人の視線を感じるだとか、友人に髪について指摘される、そういったことは無いのだが、やはり気になる。
遺伝的には問題ない筈だ。私の親戚で冬に寒そうなのは祖父と叔父の二人だけであり、祖父の息子(要するに私の父である)は現在五十の半ばを越えているが、そんな素振りは欠片も見えない。
叔父に関しては考えるまでもない。そもそも私と叔父に血縁関係はないからだ。
しかし、そんな科学的根拠に反して私の頭髪は薄くなっていく。
その様子は生活の節々に見ることができる。それは例えば朝髪を梳かす時であったり、或いは授業中ノートを見る時だ。シャンプーをしている時を挙げてもいいだろう。目に見えて髪が落ちているのだ。
人間の髪の毛というものは一日に五十~百本自然に抜けてしまうらしいが、明らかにそれ以上の数が抜けている。
私の額がM字型に変化していくのが目に見えてわかるのだ。それが恥ずかしくて私は毛を伸ばすことで誤魔化している。
世の男性諸君ならきっと理解してくれることだろう。
しかし、しかしだ。どうして『ハゲは恥ずかしい』なんて風潮がこの近代社会に生まれてしまったのだろうか。
諸君らは疑問に思った事がないだろうか。何故禿を忌むべき対象として認識しているのかと。何故誤魔化すことに全力を注がないといけないのかと。
おかしいではないか。つい二百年前までこの日ノ本という国では禿は全く恥ずかしいことではなかった。
むしろ積極的に剃っていたではないか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康並びに彼以降の将軍ら、天下を手中に収めた人物、その全てが髪を剃っていた。
戦国時代から江戸時代にかけて、髪を剃ることは何もおかしいことはなかったのだ。
しかし、長く続いた太平の時代が終了し明治時代に突入すると、ガラリと常識が変わってしまった。ザンギリ頭が流行りだしたのだ。
『ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする』
というこのフレーズ、今までで一度は耳にしたことがあるのではないのだろうか。
この180度と言っても過言ではない価値観の変化は、一説によるとあるカツラ会社によって起こされてしまったらしい。
その会社は『ハゲは恥ずかしい』という風潮を世間に広めたのだ。カツラ会社の視点で見るとその方が都合がいい。風潮が広がれば広がるほど会社は儲かる。
アメリカやイギリスなど、諸外国が異文化を持ち込んだことによって生じた混乱にうまく乗じた鮮やかと言っていい手腕だ。
そうやって人為的に作られた風潮は、今日まで私を含む多くの世の男性を困らせてきた。
もっともこの程度ならまだいい。禿頭であっても精々、周囲の人間から少し憐れむような目で見られるだけだからだ。
しかし、世の中にはこの『禿』問題をより大規模に、そしてより残酷に行っている事例が存在する。
そう、『人種差別』だ。
『人種差別』とは、目の色が違う、別の言語を使っている、肌が白い黒いといった理由で、人間が人間から差別を受けることだ。
『人種差別』は、白人中心の世界観が原因であり、それが今、一番世界に注目されている差別である。
その内容は凄惨の一言に尽きた。奴隷として無理やり誘拐しては劣悪な環境の下、日夜低賃金で働かせた。
白人至上主義者の集団が黒人を虐殺することもあった。
今でこそ、過去ほど悪質な行為は行われてないが、未だに雇用機会やその内容、裁判の判決等で人種間で差が出ている。
我々日本人は、差別を受けている人種がアフリカ等の黒人系の人々だと思い、対岸の火事だと感じている人が多いが、実は日本人を含む黄色人種もこのような差別にあっている。
諸君らも海外に旅行したら理解するだろう。おそらく、お釣りを誤魔化されたり、言葉で、或いはジェスチャーで馬鹿にされる等の被害に遭う機会があるはずだ。
このような差別の始まりはやはり会社だ。
18世紀半ばに産業革命を迎え、高度な工業技術を手に入れた欧州諸国の会社は働く人手と、製造された工業製品を売る場所を求めた。そうした彼らが目を付けたのがアフリカだ。
肌の色が違う人間を、高度な技術を持たない劣った人種、「劣等種」だとして、差別をしてもいい対象としたのだ。
むしろ彼らは、白人以外の人種を披差別階級として、自らの社会にいれることは、「劣等種」に高度な文明を教える善行だと主張したのだ。そうやって作られた意識が今の今まで生きている。
このような差別を失くすには、我々一人一人が「差別をしない」という意識を持ち、そして行動することが重要だと私は思っている。
勿論、多くの人間は差別意識なんて持っていないだろう。
しかし、行動できる人間はそう多くないはずだ。
大半の人間が見て見ぬふりをしてしまう。行動しないから意識として身に付かず、なあなあで済ましてしまうのだ。
事実、地方の市議会議員を含む日本の議員三万人の中で、差別問題に言及している人物はほとんどいない。これは我々一般市民が差別問題に対して、興味を持ってないからだ。
我々が「差別をしない」という意識を持つことで、一般人の代表である議員も「差別をしない」という意識を強く持つことができ、差別問題に対して国家全体で対処に当たることができるのだ。
それができたら、きっとすぐに解決できるだろう。ただの会社が常識を変えれたのだ、国家にできないわけがない。
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