恨みの連鎖と side:椿→エリ 第九十九話
「……もうこんな時間か。はえぇなぁ一日は」
日が傾き始めた時間、椿は再び付けられた固定器具を鬱陶しそうにしながら、窓から見える風景を眺めていた。病院内は傷ゆえに態度こそおとなしいものの、治安は決して良い物とは言えない状態だった。
「『なぁ、そのパン俺にくれよ』」
「『うっせぇなさっきから。あんまり調子乗ってるとぶっ飛ばすぞ』」
「『まともに動けねぇ分際で生言ってんなよ?』」
「『あ?』」
「『その傷どうした』」
「『これか? そりゃおめぇ名誉の負傷よ』」
「『段差にこけてぽっきりいっただけじゃねぇのかぁ? ギャハハ!』」
「ったく、うるせぇなぁ」
ひと眠りでもしようかと思っても、他の患者から発せられる騒音に眠気など何処かに飛んでいく。日々の生活環境的には彼らと大差ない彼女でも、さすがに男女間の価値観の違いぐらいはあるらしい。彼女が眠れないのは、それだけが理由というわけでもないが。
「――――いてぇ」
椿の右腕。先ほどココの意識を刈り取った最後の一撃を放った拳。今件の拳は、医師の判断によって使用不能となっていた。理由は、強い衝撃による骨折。補足するが、彼女の骨が折れやすいというわけではない。この状態では説得力に欠けるかもしれないが、むしろ常人よりも骨の強度は強い。
そんな彼女の骨が折れてしまうほどに、最後の一撃は強烈だったということだ
「(なんで俺、最後にやっちまったんだろうな)」
実は、彼女にはココを再起不能にするつもりなどなかった。わざと勝ち負けの条件を曖昧なままにしたり、自身から攻めることなく反撃にとどめたりした。多少力を入れすぎることもあったが、間違いなく今回のココとの一対一の喧嘩は、ココの無自覚の部分を自覚させ矯正するためのモノだった。なのに、
「(やりすぎちまった。あんなこと言った手前俺からあいつに会いに行くわけにもいかねぇが……大丈夫かな)」
無駄に凝り固まったプライドのせいで言葉には出さないが、心の中で密かに謝罪を述べる椿。
彼女にとっても、まさか自分が腕を折るほどの一撃を知り合い相手に打ち込むなどとは思いもしなかったのだ。
視線を窓から天井に変えぼーっと頭を悩ませる。
「――案外俺、あいつのこと気に入ってたんだな」
思い出す、ココとの出会いからさっきまでの出来事を。
いつもの店でいつものように早食いを頼もうとしたら、たまたま隣で同じ注文をしていたココと出会ったのが初めての出会い。それからほぼ同じ時間で完食したココのことを気に入り、それからエリとレンの襲撃やこよみの暴走などを経て少しづつ仲良くなっていった。
彼女にしてみれば、職場の同僚以外で初めての友達と呼べる人間だったし、同性ともなれば尚更関わりは少ない。なんだかんだ気に掛けるのも頷けるというものだ。
「……だからこそ、あいつにあんな態度を取られるのが気に入らねぇ。気に入らねぇよ」
椿にとっては数少ない同性の友人。しかし、ココにとっては沢山いる内のたった一人。仲間の仇討の件は無視するとしても、かつては敵だった女のために自分の友人が動いている。そのことに気が付いた瞬間、彼女の感情は本人の制御を完璧に外れた。
結果、彼女自身でも後悔するほどココをボコボコにしてしまった。
「はははっ、俺ぁいつから恋する乙女みてぇに一端に嫉妬するようになったんだ? あいつに恋してたわけでもねぇくせによぉ!? そう思ったら笑えてくるぜっ! あーっはっはっは!!!!」
「『なんだあいつ、急に笑い出して』」
「『ほっとけほっとけ、動けねぇんで気がふれたんだろ』」
「聞こえてんぞてめぇら!!」
バサッ
足元に置かれた掛け布団を、勢いよく引っ張り頭から全身に被る。
「(大丈夫かよぉココの奴。ちゃんと病院まで行けたか? 治らねぇ傷になってねぇか? ちゃんと無事でいてくれよなぁ……!!)」
ーー過去同性の友人との交友関係ゼロ。荒療治しか知らないが故にこのような手段を取ってしまったが、根っこは友人を気遣うことのできる優しい人間なのだ。
「『お、おいあれ見ろよ! すっげぇ美人だぜ!』」
「『なんでこんな嬢ちゃん″達″がこんなところに?』」
「『よぉカワイ子ちゃんたち、俺のお見舞いかい?』」
「『ははは! お前無視されてやんの!』」
「少しよろしくて? そこの方」
「(なんだこの声。俺と同じくれぇの女の声だ。ったくこんな場所に来るなんざ命知らずなヤローだぜ。だがなんでだ? この声を聞いていると無性に腹が立つ)」
「そちらの、頭から毛布を掛けていらっしゃる方」
「(……被ってるやつ、俺だけだよな。) あー、誰だよこんな時間に。今からひと眠りするところ――ッ!?」
「よろしくて?」
「てめぇはっ!?」
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――
……
「……なんの用だ。そんなゾロゾロと取り巻きを引き連れて」
椿さんは、かつて拝見したときと同じようにぶっきらぼうな態度を取る。
彼女の言う取り巻きとは、私と共に来たこよみさんとナツメさんのことだ。
「ご機嫌、麗しくはないようですわね」
「こんな状態で機嫌がいい奴がいたら、そいつはよっぽどのド変態だろうよ。さっさとここに来た理由を話せ」
「そうですわね。こちらも長話をするつもりはありませんわ。単刀直入にお聞きします ――ココにあれほどの傷をつけたのは、貴方ですわよね」
「……っ」
私の言葉に体を僅かに震わせたのを、私は見逃しませんでした。ココにあれほどの傷を負わせたのは、間違いなく彼女であると。
……今はまだ我慢、我慢ですわ。
「何の話だ? こぉ~んな状態の俺に誰かを傷つけることができるとでも?」
「そうですか。では、別の件についてもお聞きします。″これ″、なんだかお分かりになりますか?」
「あん? なんだよその紙――ちょっと待て、その字」
「ココが持っていた、工業区内の病院と部屋番号を示す地図です。これを頼りに来てみれば、貴女がいたというわけですわ」
ちらりと紙面を見せると効果はてき面だった。私の見せる紙に椿さんの視線は釘付けとなり小言をこぼす。
そして、一通り内容を読み終えた彼女ははーっとため息をこぼす。
「そうか……俺の場所を伝えたのはあいつか」
「貴女が何もしていないというのなら、此処で何をしていたのかお話しくださいませんこと?」
「何もしてねぇよ、ただ軽く話しただけだ」
「では、貴女は本当に何もしていないと?」
「しつけぇなぁ、帰る途中でチンピラに襲われた可能性だってあるだろ。それともあいつから何か聞いたのか?」
「いいえ、彼女は話すこともできない状態ですわ。そうですか、何もしておりませんか――ところで、その右腕の血はなんですの?」
「ッ!!」
うまくいけば引っかかってくれるかもしれない。程度の簡単なカマかけだったものの、彼女は見事に引っかかった。自分の右腕を何度も見つめ直し、意図に気づいた彼女の顔は見ものであった。
「てめぇ、最初からそのつもりで」
「貴女に情報をはかせる手段はいろいろ考えておりましたが、手間が省けましたわ」
「この野郎ッ!」
「では、改めて申し上げます。ここであった出来事、彼女がああも酷い傷を負うことになった理由。すべてを話しなさい。もっとも――」
「「ッ!」」
「――ココを傷つけた罪を、許すわけではありませんけど」
瞬間、私たちの間流れる空気が殺伐としたものへと変化する。
皆一様に行動にこそ移さなかったものの、いつ誰が武器を手に襲いかかるかわからない。かくいう私も、無意識に腰のレイピアへと手が伸びていました。




