生還と混濁と side:エリ 第九十八話
「……っ……っっ……ココはまだ戻りませんの!?」
「落ち着いてくださいエリさん」
ココが一人で工業区に行くと言い出し、泣く泣く彼女だけを送り出してからもう十時間。
日暮れが近い。規則に乗っ取り日暮れ前には戻るようにと伝えておいたはずなのにあの子はもう!!
「大丈夫ですよ、ココさんはすぐに帰って来ますから」
「ずいぶんと冷静ですわねナツメさん、今もココが無事であるという保証は何処にもないというのに」
「ココさんが待てと言ったんですよ? 私たちは彼女を信じて待つしかないじゃないですか」
「……! 貴女のその純粋に信じる心、ちょっと羨ましいですわ。――貴女はどうなのですか? 先ほどから一言もお話になりませんが」
「……」
私は、先ほどからただ無言で椅子に腰を据えるこよみさんへと視線を移す。
彼女はココが出て行った時からずっと、ああして一言も会話らしい会話もせずじっとあの子の帰りを待ち続けている。
ただじっと、まるで主に忠誠を尽くす忠犬のよう。
「私たちは話し合って、ココの望むとおりにすると結論付けたでしょう? 心配するだけ無駄よ。この状況に耐えられないなら、行かせなければよかったのよ」
「ッッ」
無意識に唇を噛んでしまう。こよみさんの言うとおり私だけでも彼女の意思に反対していれば、こうして心配で心をすり減らすこともなかった。
ですけど、
『断固として反対ですわ!! 貴女にもしものことがあったら、我々は椿さんを捜索する以前の問題になってしまいます!!』
『お願い、エリさん。今行こうとしているところには、どうしても一人で行きたいの』
『ッならば! 護衛として誰かを連れて行きなさい! どのみち今日は捜索は中止なのですから、ここにいる全員で向かうこともできますわ!』
『――お願い、エリ。私はあそこに、一人で行かなきゃいけない気がするの』
『ッ!』
ココの力強い眼差し。彼女がそのような目をするときは、必ず私どものためであると短い付き合いながらも知っている。
結局、折れてしまったのは私の気の弱さ故。こうして心配することですら本来は余計なおせっかいなのでしょう。
――ならばこれは何なのです! 先ほどから心がざわつく、この嫌な感覚はッ!
「バーーン!♪ みんなお待たせ~、夜食改め夕食できたわよ~♪」
「シルク様、それを言うなら三時のおやつです」
「あぁ、それもそうね♪」
別室で料理を作り終えたお二人が、品を手に会議室へと戻ってきた。
焼き菓子……良い匂いですわ。このような状況ではなければ、真っ先に食いついたでしょう。
「ん? どうしたのエリちゃん、昨日はあんなにお菓子に食いついてたのに」
「お二人は、ココさんが心配ではありませんの?」
「? ……あぁ、そういうこと? 結構心配性なのねエリちゃんは♪」
「そのようなこと。……いえ、そうですわね」
「ココちゃんを心配するだけ無駄よ、あの子は目の前の女の子を放っては置けない子だもの。私たちの時もそう、ナツメちゃんの時もそう。こよみちゃんも、エリちゃんもね」
それだけを言って、シルクさんはテーブルに置いた焼き菓子を一つ口に含み笑みをこぼす。私には彼女が何を考えているのかわからない。ただ一つだけ言えることは、彼女は私よりもココのことを信用しているということ。
それは私の隣に立つ、テトラさんとて同じなようですが。
「お気持ちはわかります。しかしこよみさんのおっしゃったように、私たちにはどうしようもない問題。ただ一つ私がエリさんに言えることは、ココさんが命を懸ける覚悟をした時、それは問題に変化が訪れるときです。何かが変わりますよ」
「テトラさん……」
やはり皆さん、思い思いの形であれ彼女を信頼していることに変わりはないようですわね。まだ出会って二日やそこらの私では、その域に到達するまでには時間が足りませんわ。
……この時ばかりは、私の能力が恨めしい。ココさんが傷つくたびに、予感として感じ取ってしまうのですから。
「まぁエリちゃんの心配ももっともよ。遅いわねココちゃん」
「一度こちらから連絡を入れてみましょうか。昨日少しばかりお話し合いをした際、それについては了承を得ましたので」
「そうね~。何かあってからじゃ遅いし、一度この辺でビシッと言っておきましょうか」
「かしこまりました」
「「「ッ!!」」」
テトさんがココと話すと聞いて、私はもちろん先ほどまで動かなかったナツメさんやこよみさんも彼女の周りに集まる。どんなに平静を保とうと、心で思っていることはみな同じということですわね。
眉間の位置に指を置き集中し始めるテトラさんを、私たちはどうなるわけでもなく、ただただ一心に見つめる。
「ココさん、ココさん、聞こえますか?」
『――――ゥッ――ァァ』
「ココさん!?」
「「「「ッ!?」」」」
だから、テトラさんが動揺を見せた時には、私達一同皆揃って何かが彼女の身に起きたことを察する。
「返事をしてください!! どこか痛むのですか!? 何があったのですか!!」
『ゥゥ……ゥゥァァ――』
「ッ! ……幻聴が、途切れました」
「みんな、準備して! すぐに工業区に向かうわよ!!」
誰一人、その言葉に反発する者はいない。私はレイピアを帯剣しフードを被る。シルクさんはスライムを身にまとい、テトラさんは手を保護する皮の手袋を身に着ける。ナツメは姿を別物に変え、こよみは瞳をより輝かせる。戦う気だ、みなが一堂に戦うための準備をする。
図書館表を飛び出し、我先にとココの元へ走る。走って走って走って、工業区へとつながる橋の上に到達したとき、私たちは立ち止った。
「―――……ァ……ァ」
「コ、コ」
顔を下げ、何を頼りに歩いているのかわからない彼女の姿。全身からはおびただしい量の血を流し、無理やり立ってはいるもののその形は見るからに歪だ。腕は両腕共に力なく垂れ流しで、私たち以外の人間も怖いもの見たさに集まってくる。
「ココちゃん!?」 「ココさんッ」 「ココさん!」 「ココぉぉ!!」
「ココ!!!!!!!」
「『おいおい。あれやべぇんじゃねぇか!?』」
「『ヒィ!?』」
「『だ、誰か医者を呼べ!』」
すぐさま工業区に架かる橋を通り、今にも倒れそうな彼女の元へはせ参じる。私たちが走った時の地面のかすかな揺れですら今の彼女を倒すには十分すぎるほどの地震。
私たちの前で、ココはゆっくりと前に倒れる。
「ココ!」
彼女の体を抱きとめたのは私。この中でもっとも身軽で素早い、私がココを抱き止めた。
「これは……!! テトちゃん、すぐに幻覚を張って!」
「りょ、了解しましたっ」
支え、髪の奥の顔を見てさらに驚愕した。彼女の可愛らしかった顔が、見るも無残な形となっていた。
「誰がこんなことを!」
「酷すぎるっ、こんなのあんまりよ!!」
「ココ、ココ! 目を開けて! しっかりしなさい!!」
ココは、目を開けなかった。いや、開けられないといった方が正しいのか。殴られたか、痛々しく腫れあがった個所が目の開閉を邪魔しており視界を得ることができないのだ。
私たちが必死に呼びかける傍らで、シルクさんは大量のスライムを生成する。
「エリちゃん、スライムの上に彼女を乗せて! このまま病院まで運ぶわ! テトちゃん、そのまま幻覚を維持してて!」
「「はいっ」」
「ここまでよく頑張ったわね。もう少しの辛抱よ!!」
地面を滑るようにして移動するスライムとココの体。私たちは彼女の意識を確かめるために、ひたすらに声をかけ続けた。絶対に彼女を失わせはしない!
「っ? なんです、この緊急時に!!」
病院まであと少しと迫った時、私の視線の先に何やら風に揺れる一枚の紙が映りました。ココの命が掛かっている今この時に気にするべきことではない。頭ではわかっていても、私はそれを開かずにはいられませんでした。
「? 何してるんですか!? エリさん!!?」
「エリ! 貴女も早く!」
「――こ、れは……」
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