飛び降りと救助と 第八十三話
「わわっ」
開けた場所故に風の影響をもろに受けてしまい、危うく真下の水路に頭から落ちるところだった。だが、此処で後ろに引き返そうにも後方ではレンとエリさんが戦闘中。手詰まりならぬ袋小路とはこのことか。
農業区や交易区とは違って、真下に舟がつけそうな波止場もない。遠くには沢山の舟が航行しているのが見えるが、貴族区に舟を止めようと近づいてくるものは一つとしてなかった。
「はぁ、はぁ。どうしたのですココ、なぜそこに立ち止って」
「すみませんエリさん、この先は行き止まりみたいで……」
「なんですって!? くっ!」
レンの攻撃を受けて私と同じ位置にまで後退するエリさん。彼女に道が途絶えていることを伝えると、私と同じように足元を覗き込んでは頭を抱えた。
しかしこうしている間にも後ろではレンが少しづつ距離を詰めてきている。
「ここから先には水路しかありません。これ以上の抵抗は無意味、降伏していただけませんか」
「レン……」
「……どのみち、私たちに残された選択肢は危険と隣り合わせですわ。ならば!!――」
「え、エリさん!? 何を――んぐっ!?」
「ッ!! お待ちくださ――」
エリは追い詰められ動けなくなった私の体を抱き寄せ、道の途絶えた先に力強く一歩を踏み出した。
――要するにエリは、そこの深い水路に向けて私ごと飛び降りたのである。――
彼女のあまりにも覚悟の決まった行動にはレンも大層驚いたようで、引っ張られ急速に落下していく私の目に、驚きと悲壮を漂わせる表情をするレンの顔が映った。
ドポンッ!! ドポンッ!!
「――――ぷはぁっ!」
「――――っはぁ、けほっけほっ」
水が冷たい。直前の全力疾走で体が火照っていることを抜きにしても、水路の水は異常に冷たく感じた。エリさんはスカートに薄着の格好をしていたし、これは一刻も早く水から上がらないと別の問題が起きてしまう。
「大丈夫ですか、エリさん」
「けほっ。少し、水を飲んでしまいましたわ。ココは、はぁ、大丈夫ですの?」
「私は大丈夫です。それより、早く何処かへ上がりましょう。このまま水の中にいたら体温が奪われますから」
「え、えぇ」
飛び降りた時とはうってかわり、私がエリさんを先導する形で対岸に向けて泳ぎ始める。水を含んだ服のまま泳げるのかどうかの問題はあったが、私は言うに及ばずエリさんも問題なく泳げているようだった。
さて、問題はこのまま対岸の区画まで体力が持つかどうか。いくら整備された水路とはいえ、自然の川をそのまま流用している以上水の流れは当然ある。そして、途中には先ほども見えたたくさんの小舟。
はたして、無事に対岸へ渡れるのか否か……。
「コ、ココ……」
「どうかしましたかエリさん、大丈夫ですか?」
「お手を、お貸しくださいまし。呼吸が、うまくできませんのっ」
「なんだって!?」
息の上がったエリさんの声に振り向けば、彼女の呼吸は乱れ泳ぎもフォームが崩れ始めている。さっきの飛び込みの時、予想以上に水を飲んでしまっていたのだ。
すぐさま彼女の側に近寄り、肩を抱き私を浮き輪替わりにしてエリの姿勢補助に入る。
「はぁ……はぁ……も、申し訳ないですわ。私がドジを踏んだばかりに、貴女にもご迷惑を」
「今は呼吸を整えることに集中してください。私のことは気にしないでいいですから」
「……すみません」
と、格好つけてみたものの。昨日つけられたばかりの脇腹の傷に海水が染みてすごく痛い。結局椿さんの応急手当のまま貴族区に来たものだから、骨の損傷や片腕の痺れも完全には治りきっていないのだ。友達を見捨てるという選択肢はハナから存在しないが、負傷疲労をいつまでもごまかせるとも思えない。
「ッ……」
――傷口が、開いた
「ん……これは……ッ!? ココ、貴女!」
「気に、しないでください。ただの、出血です」
「ただの出血で水が染まるわけないでしょう!? 早く、貴女だけでも陸へ!」
「大丈夫ですから! 今は、早く呼吸を!」
そうだ、はやく、呼吸を、整えて……。
もはやお腹の奥から絞り出さなければまともに会話すらできないほど体は弱まっていき、次第に視界も明瞭さを失っていく。せめてエリを、近くの舟に預けなければ。私が意識を失う前に。
「ココ、ココ! 意識を保ちなさい!! ココ!」
「大丈夫、だいじょう、ぶ――」
だんだん遠のいていく意識の中で、私は会話はできずとも足だけは動かし続けた。これを止めてしまったら、エリのお荷物になってしまうと思ったから。
―― 誰か、エリを乗せて…… ――
目の前を無神経に通り過ぎていく舟に心から問いかけるも、それを聞き届けてくれる人間がいるわけもなく、ただ過ぎ去っていく舟の集団を黙ってみていることしかできない。次第に両足の感覚すらもなくなっていき、ついには今自分が何をしているのかすらもわからなくなってきた。
「――――!! ――――!!」
何か、エリが私に言っている。全く聞こえはしないけど、何かを強く訴えていることだけは理解できる。
視界以外はすべて失われた私の前に、最後の最後に一隻の小さな舟が私たちの元へと近づいてくるのが見えた。私にとって見慣れた、数人乗りの小さな手漕ぎ舟。乗っているのは女性だろうか。
「――――」
体が、固いものに触れた。水の冷たい感触も消えた。引き上げられたのだろうか。エリの顔が頭上に見える。よかった。エリは無事だ。
「――あり……と」
遠くに見える影に向かい感謝を伝える。これが今の私にできる、精いっぱいの感謝の言葉。
――――――――
――――――
――――
――
……
「……あぁ」
目が覚めると、時間はすっかり深夜を迎えた頃。重症にしては早く目覚めたといってもよいのだろうが、あまり私にとっては良いことでもない。
「ッこよみ!! 「イタッ」 ……いた?」
日付は月食の起きた日の翌日。つまり私はこの病院に運び込まれて数時間後に目覚めたことになる。しかし今はそんなことどうでもいい。今日が日食の日であるということは、またこよみの能力の暴走が始まってしまうということ。こうしちゃいられないとすぐさま病室のベットから降りようと足を動かしたとき、今動かそうとした方の足元から自分のものではない声が上がった。
「いたた。急に動いちゃびっくりするわよ、ココ」
「ご、ごめんなさい。……あの、どちらさまです?」
その声の主は、見慣れないフード付きを服を深く着込んでいた。声もフード越しでくぐもって聞こえる。昼間のエリさんの時と似たような状況だ。
「? あ、これせいね。ちょっと待ってて、今顔を見せるわ」
よいしょ……。その言葉の後に露になったその人の顔は、今さっき私の中で話題に上がった人物の顔。
というより、私が今日の一連の行動を起こすきっかけとなったこよみだった。
「こよみ!? 外に出ていて平気なの!?」
「えぇ、何故かはわからないけど特に問題はないわ。きっとキリエに作ってもらったこの服のおかげね」
「こよみさん、そんな服も持ってたんですね……」
「なに言ってるの? ココが頼んでくれたのでしょう? キリエはそう言ってたわ」
「私が? …………あっ」
思い出した、あれは確か私が貴族区に向かうだいぶ前。キリエにこよみ用のフード付きの服を作ってもらうよう、ナツメを経由してお願いしていたのだ。
その後のことが印象強すぎてすっかり忘れていた。そうだ、前もって今日中にレンに接触できなかった時の保険を作っていたんだった。ならばエリさんに無理を言って貴族区に入れてもらわなくともよかったじゃないか私の馬鹿!!




