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side:??? 第七十九話


 この街で最も天に近い場所から、赤く染まった月を一望する存在が一人。


「……フッ」


 手に持ったグラスには今宵の月にも負けないほどの赤みを持つ果実由来の酒が注がれている。香りを楽しみ、グラスをわずかに傾けじっくりと味を吟味する女。彼女こそ、エリの実母でありクエリアを治める女王その人。

 今彼女は、ただ一人月を肴にひと時の安らぎを享受していた。


「人を流る血がごとき狂気の月、実に心地よい」


 再びグラスに目線を向け一口。この日のために厳選に厳選を重ねた極上の酒に舌鼓を打つ傍ら、彼女の瞳は酒越しに赤く染まった城下をとらえる。


「日に焼かれた月のように、いずれこの城下も火に染まろう。なればより刺激的で、美しい赤が見れるに相違ない。楽しみだ、あぁまったく、楽しみだ」


 そう語る彼女の表情は実に楽し気である。狂気の目を持つ人間はこの街にも複数いるが、そのどれとも違う地獄を映す目。彼女の視線の先には、罪人が焼けこげる煉獄が映る。

 国を治め、人を統治するべき女王として、あまりにも常軌を逸した発言。


 コンッ コンッ


「…………チッ、無粋な」


 せっかくの機嫌のよいこのひと時の場に、命知らずにも女王のもとを訪れる人間が一人。今にも高らかな笑いを上げるであろうほどに上機嫌だった女王の額に、くっきりとしわがよった。


「なんだッ」


「お楽しみのところ失礼いたします。ご命令にあった人物の身辺調査が完了いたしましたのでそのご報告に」


「はっ、私には自分の時間すら許されんというのか? 貴様のせいで興がそがれたではないか」


「申し訳ございません。完了し次第直ちにご報告をとのご命令にございましたので」


「ッ……まぁいい。さっさとその紙を置いて立ち去れ。一分一秒とて今は惜しいのだ」


「はっ! 失礼いたします!」


 女王のもとを訪れたタキシード姿の初老の男性は、近くのテーブルに紙面を置き部屋を退出する。

 はぁ……と深いため息ののち、女王は置かれた紙面を取り再びテラスへと戻る。一度込み上げたイライラを夜風にあたることで解消するためだ。


「チッ、所詮いいように使われることしかできぬ無能どもめ。まともな情報でなかったらどうしてくれようか」


 使われている素材はどれも極上の一級品の女王専用の椅子に腰を落ち着け、手に持った書面を月明かりを頼りに一字一字確認する。書面に書かれている内容は、彼女自身が指名したとある人物についての調査報告。

 ぎっしりと詰められた文字の羅列の一番上、他よりもやや大きな文字で書かれた調査対象の名前であろう箇所にはこう書かれている。


 ″ ココ ″


 女王が調べさせた人間とは、本来この国とはなんら関係のないココについてだった。ココがこの国に来るまでに立ち寄った国々の内容、生い立ち、聞き込みによる人間性の確認等々。

 集められた情報をすべて挙げればきりがないほど赤裸々に調べ上げられていた。だが、そんなことが知りたくて彼女はココを調べさせたのではない。

 普段の激務により養われた彼女の速読の技術をもってして読み上げられた書面の最後の数行。その内容を把握した彼女は


「フッ、クククク!!」


 抑えきれず表情として現れるほどの感情の高ぶりを覚えた。従者の失態をもわすれ、ともすれば酒の味に酔いしれていた時よりも機嫌をよくした。


「これは傑作だ! まさか自ら私のもとに現れるとはな!」


 今度こそ、女王は立場を忘れ高らかに笑った。

 大口を開けて力いっぱいに笑う彼女は一見、ごく普通の人のよう。だが影は、今にも人を食らわんとする怪物が如き形をしている。


「ハァー……早速取り掛からねばなるまい。管理者のもとを離れて十二分に成長した奴の肉体、せいぜい研究材料として有効活用させてもらわねばな! おい! 明日の朝レンを私のもとへ呼び出せ!」


 時間を無駄にしないとは何だったのか。彼女は仕事モードに切り替わり夜間の仕事に取り掛かった。


――――――――

――――――

――――

――

……


 翌朝。といっても普段の基本業務を終わらせた後の日差しの上った朝のこと。仕事終わりに休憩をとっていたレンのもとに昨夜の初老の男性が訪れる。


「私を、ですか」


「えぇ、女王様がお呼びです」


「かしこまりました。直ちに向かいます」


 いつも通りの一日が始まると思っていたレンにしてみれば、会いたくもない雇い主のもとを訪れる最悪の始まりに等しい。女王のもとを訪れたくないのは、それだけが理由ではないのだが。

 とはいえ彼女は超一流のメイド。感情を言葉に出すことなく現場の人たちにいない間の指示を出し、城の最上階にある女王の部屋を訪れる。


 コンッ コンッ コンッ


「失礼いたします。お呼びに従い参上いたしました」


「よく来た。だが本題に入る前に一つ貴様にやってもらいたいことがある」


「なんなりと」


「この部屋全体に音の抑制をかけよ、以降一切の言葉が外に漏れぬようにな」


「はっ」


 普段エリとの会話の際に使用しているため、多少広さが変わろうと速やかに防音を完了させるレン。その手並みにはあの女王すらも感心している様子。

 能力を展開し終わり、二人の空間になったことを確認してから女王は口を開く。


「見事な手並みだなレン。流石は私自ら作り上げた″ただ一人の完成形″」


「お褒めにあずかり、恐悦至極にございます」


 完成形。その意味をレンは深く理解していた。自分という完成形を生み出すために、沢山の失敗作が生まれたことも。


「日々の鍛錬の成果もよく出ているではないか。なにやら普段から王女の自室に入ってはこれと同様のことをしているらしいな? レンよ」


「ッ」


 女王の言葉に、さすがの動揺を隠せなかったレンは瞬間的に能力を発動させ無理やり感情を抑え込む。女王が口にした言葉は、そのままレンとエリの密告を監視されていたということに他ならないのだから。


「どうした、顔色が悪いぞ。今は私とお前しかこの場にはおらんのだ、普段通りの態度で構わん」


「……私をこの場に呼んだのは、いったい何が目的なのですか」


 この国の王であり、化け物と呼ばれるほどの実力を兼ね備える女王に隠し事は通用しない。その場を見られたというだけで、中で行われた話の内容を推測することなどわけないのだ。

 それをよく理解しているレンは、自らの仮面を外し目の前の女を憎しげに睨みつける。だがそれもどこ吹く風。


「本題に入ろう。今日この場に貴様を呼び出したのはほかでもない。日々の貢献に敬意を表し、貴様に一つ朗報をくれてやろうと思ったのだ。――よろこべ、貴様の姉が見つかったぞ」


「ッッッッ!!!!!!」


 レンの今の心境を例えるなら、まさに蛇に睨まれた蛙。直接彼女自身の命がどうこうではないものの、それと同じかそれ以上に彼女にとっては憂慮すべき問題だった。


「一体、どこでそれを!?」


「ほう? その反応、私より先に奴と接触していたのか。図らずも裏取りができたな」


「ッ姉様に何をするつもりですか。私がそれを許すとでも!」


「なに、そこまで警戒せずとも良い。私が下す命令はただ一つ、貴様自らの手で姉をこの場に連れてくることだ。そう難しいことではあるまい?」


「姉様を、此処に……――まさか!?」


「おっと、余計なことは考えるなよ? もし貴様が私の命令を拒むというのなら、その時はわが娘を反逆の意思ありとして処刑するだけだ。あぁ、このことは姉に伝えてくれても構わんよ」


「なッ!?」


 この女王、血のつながりなど初めから問題にすらしていない。自分の利益になるならば、それが実の娘であろうと脅しの道具にしてしまう。彼女にとって力こそがすべて。レンとエリの能力を天秤にかけた結果、より強いカードを手元に残し他を切り捨てる。ただそれだけのことなのだ。


「私たちに掛けられた呪いを知っていて、よくもそのような言葉を!!!!」


「利用できるものは利用する。私の性格など今更だろうに」


「ッ」


 コンコンコンッ!


「!!」


「……なんだ、今は部屋に近寄るなと伝えたはずだぞ」


 感情の高ぶりにより一時的にレンの能力のコントロールが乱れたタイミングで、女王の扉が叩かれる。その後扉を開け中に入ってきたのは、額から滝のような汗を流す鎧を着こんだ若い衛兵であった。


「一体何事だ」


「はぁっはぁっ。も、申し上げます! 農業区側門前に、操作対象と思わしき人影を確認いたしました!」


「ッ!?」


「ほう?」


 事態は、より悪化の一途をたどる。

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