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考察と打破と 第七十四話



 ぎちぎちと彼女の握る首筋から嫌な音が鳴るたびに一回の呼吸で入ってくる酸素の量は減り、皮膚に伝わるひっ迫感も強くなる。

 息ができない! いや、このままでは窒息よりも先に首の骨が折れてしまう!


「あっ……かっ!!」


「コ……コ……!」


 もはやこよみがどうこう言える状況でもない。限られた呼吸の中で私が出せる全力の力で彼女の両腕を引きはがしにかかかる。手首の赤い圧迫痕は互いに冷静になった後で謝るしかない!


「フッ、グゥゥゥゥアッ!」


「ハァッ」


「つ、つよ……い……!! でも、何とか呼吸が、できるくらいは!」


 そこそこ力には自信がある私の全力を行使しても、彼女の腕を引きはがすまでには至らず気道を確保することしかできない。この尋常ならざるパワー、桜花と同じかそれ以上!

 こんな時、相手が暴漢のような素知らぬ相手なら一蹴でも入れるところだが


「こよみさん! 落ちついてください! こよみさん!」


「ハァ、ハァ、ハァァ!!♪」


「ッ!?」


 極限状態の中、うっすらと開けた視界にとらえた彼女の顔を見て、背筋が凍るような感覚が私の体を駆け抜ける。


「ハァ♪ ハァ♪ ハァァーーー♪♪」


 ――こよみは、笑っていた。私の首にかける力を一切弱めることのないまま、これ以上ないくらいの幸せを箱いっぱいに詰めたような満面の笑み。人を殺そうとしている人間のする顔にしては、あまりにも常軌を逸している。


「こよみ……さんッ!?」


「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ♪ ゴメンナサイ♪♪」


 瞬きすらせず濁り切ったまなざしをこちらに向け、口角を限界まで引き上げなお力を籠めるこよみ。話す言葉とは裏腹に声音はとても楽しげだ。

 一体、彼女の身に何が起きているんだ!? こよみさんは決して自分から人を傷つけるような人じゃない! 人を思いやる心と、友達を気遣う優しさを持っている素敵な人なんだ。今の彼女は、もはや別人じゃないか!


「ハァァァァ!!♪」


「ウグァッ! ァ……ァァ」


 さらに力が腕に込められ、もはや私一人の力では気道の確保すら難しくなってきた。

 こうなったら、一度体勢を立て直すためにも……


「ご……めん……ッッ!!」


「アッ!!?」


 できれば友達を……年頃の女性の体を蹴るなんてことはしたくなかったが、首絞めに夢中になってがら空きになっていた横腹に体を浮かせる程度の力を込めた一撃を蹴りこむ。

 こよみは口から体内の空気を吐き出し壁に向かって吹き飛ぶが、幸い体に異常が残るようなダメージではないようだ。危険にさらされた状態でとる行動が危険なことは、この街に来てよく理解している。


「はぁ、はぁ、はぁ」


「アアアァァァ……ア?」


「正気、じゃありませんよね。もちろん」


 立ち上がりはゆっくりながら、その後の首を傾ける速度はとても速い。ぎょろりと長い髪の隙間から覗く緋色の瞳。最初は簡単なコミュニケーションぐらいならばできていたが、今はそれすらもできないほど精神汚染は進んでいるらしい。これが彼女自身の問題であるのかそれ以外の要因があるのかは置いておいて、このまま室内で取っ組み合うのはまずい。

 一旦外の広い場所に出て仕切りなおそう。そう思い私は扉を開け、玄関に向けて一目散に走りだす。


「アァァ…………」


 小部屋から玄関までは幸い近い。おまけに位置は小部屋に対して直角に位置する。これなら万が一彼女の能力が飛んできたりしても命中はしないだろう。そう思っていた。


 だが、その考えは甘かった。気だるげに伸ばされた彼女の指先より放たれた緋色の閃光は、私の走る速度の何倍も早く部屋を飛び出し、空中で数回の屈折を行い私の左わき腹をとらえた。


「ウグッッッッ!? ハァッ!?」


 なんとか部屋を飛び出すことには成功したが、突然の痛みにバランスを崩し砂粒いっぱいの地面とキスする羽目になる。


「そう、だった。こよみの矢は、屈折可能……ッ!」


「ァァァァ」


 私の後に続いて暗い部屋の中から外に姿を現すこよみ。背中を曲げ俯いた状態で出てくるものだから、長い髪がすべて前にかかり見た目はまさしく幽霊のよう。顔を上げ普段隠れている方とは逆の瞳を髪の分け目から見せる。

 溢れ出る血液を片手で止血しながら互いに様子をうかがうこと数秒。こよみは先ほどはなった矢が私に命中したことを確認すると、おもむろに頭を上げて空高くに存在する赤く染まった月に向けた。


「…………」


 こよみは、何を考えているのだろう。髪を上げ露になった両目で緋色の月を眺め、彼女は心に何を思うのだろう。

 もしかしたら、月の光を浴びたことで冷静さを取り戻したのかもしれない。血を失い荒れた呼吸を整え、静かに体を持ち上げる。


「……あの、こよみ、さん?」

「…………」


 私の声に反応し視線を月から私へずらす。目は……あいかわらず濁っている。残念ながら正気に戻ったわけではなさそうだ。いや、それどころかこれは


 ―― 瞳からまるで血涙のように溢れ出す大量の緋色の光。それどころか、こよみの周囲にはキラキラとした粒のような光が対流を作っている ――


「もっと大変な状況になっちゃった?!」


「……ニィィ!」


 部屋から飛び出して月を眺める間は無表情だったものの、私という獲物を視界に入れた瞬間嬉々とした笑顔を作るこよみ。

 部屋を飛び出した瞬間の負傷、見るからにパワーアップしたこよみの固有能力。


「スゥーー……」


 ―― やっばい!


「ハァァァァ!」


「!? うぐぉッ!?」


 先ほどまでの幽霊然とした動きに気を取られすぎて、急速に加速してくるこよみに対応が遅れてしまった。たった一度の攻撃で、私の体は数メートルの距離を地面と水平に飛ぶことになる。


「ニヒッ!」


「グッ! やばッ!?」


 さらに恐ろしきは彼女の脚力。高速で彼女から離れていく私の体に追いつき、あまつさえ余裕をもって追撃すら行おうとしてくる。

 私を殴り飛ばした腕力のみならず、こよみの体からあふれる赤い光は脚力すらも強化するというのか。いや、状況から考えて身体能力全部が強化されるとみるのが正しいか。

 冷静に分析してみるが、それは彼女の攻撃が目前に迫ることで起きる走馬燈故にできることであって……


「ウゲァッ!? グッ?! ガッ!? ゴハッ!?」


 飛翔する私の体に対し、こよみは垂直に殴りつけてくる。彼女のこぶしによる殴打、次に勢いが落ちてきたところで二回ほどの地面へのバウンド。最後に何処かもわからない壁にたたきつけられて、やっと長い空の旅から解放されたのだ。今は別の意味で空高くに飛び立っていきそうだが


「いッッッッたぁ……」


 呼吸するたびに胸の奥がズキズキと痛むし、殴られた左腕は感覚が消えて全く動かせない。脇腹からは変わらず出血しているし、背中はうなじから腰付近にかけて満遍なく痛い。またしばらく入院コースの重症だなこれは。

 できればこれ以上、痛い思いはしたくないなぁ。でもこよみは変わらず私に向かってきてるし、負傷はさらに追加されるらしい。


「……は、はは」


 また地面を強く蹴り上げ向かってくるこよみ。防御しようにも片腕は動かせないし、避けようにも後ろは壁で体も埋まっている。打つ手はもはやなく、これから起こる痛みに覚悟を決めるしかない状況。この際桜花でもいいから、誰かこよみを止めてもらえないだろうか。

 本人の意思であれば命を差し出すこともやぶさかではないが、せめてやるなら正気の状態で一思いにやってほしい。このような状況では私もこよみも不本意この上ない。


 などと心の中で呟いてみるものの、こよみの加速はとまらない。スピードだけでわかる、次の一撃はきっと耐えられないということを。


「(きっと、罰が当たったんだよね。いっぱい傷つけちゃて、ごめんね……キリエ)」


 もうあまり時間はない。この世に残した懺悔を済ませ、私は眼前に迫る彼女の拳を受け入れる。



 ”ウォォォォォォォォォォォン!!!!”


 目を閉じる瞬間、どこからか響く狼の遠吠えを聞くまでは

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