絶望と暴走と 第七十三話
記念パーティーから、今日で二日目の夜。夜空は月食の影響で赤みがかっている。
「はぁぁぁぁぁ」
私は今、ボーっとしたままただ時間を無駄に過ごしていた。何も考えられない、それほどにあの一夜での出来事は衝撃的だった。
「キリエ……」
覚悟はしていた。むしろ他の三人が残ってくれたことの方が意外だったくらいだ。なのに……どうしてこんなに辛いんだ。
「うぅぅっキリエぇぇぇぇぇ」
わかってる。例えみんなが私から離れていったとしても彼女だけは、キリエだけは残ってくれるはずだと心のどこかで期待していたんだ。しかし結果は、彼女一人がだけが私のもとを離れた。
もう、キリエと関わることはできないんだ。私がそう願い、彼女がそうしたのだから。
けれど、泣き言ばかりを言ってもいられない。工業区にいた日数も加えて今日で十二日前後、いつ最大の好機が訪れるともわからない状況に備えて、やることは事前にしておかなくてはならない。具体的には、パーティーに参加していないこよみに確認を済ませること。
そうだ、キリエと遠慮なく会えるようにするためにも、立ちはだかる障害はすべて取り除かなくてはならないんだ。王女様がらみの問題がすべて解決したその時は、もう一度最初から仲良くなればいい。
「…………行く、か」
無理やり自分を納得させ、私はこよみの住む自宅へと向かう。記憶のない二日間のうちにポケットに入れられていた、この走り書きを頼りに。
私は赤い月夜の下を、地図を頼りにまっすぐに歩く。だが今日この日、彼女のもとを訪れるべきではなかった。なぜなら彼女の能力は、月に由来するものだから。
――――――
――――
――
……
こよみの自宅は、意外なことに農業区のはずれにあるらしかった。てっきり私はよく見かける交易区の方だとばかり思っていたのだが。
地図によると、彼女の自宅は水路沿いに街の外円を目指すとよいらしい。やはり船頭というだけあって家も水辺に近い場所にあるのだろうか? 初めて訪ねるから緊張しっぱなしだ。
「えーっと」
地図と目の前の景色を比べながらさらに数分歩き、この地図が正しければもうそろそろ彼女の家が見えてきてもよいころなのだが……
「ここの角を曲がって、二つ目の茶色い屋根が目印……ん、あれかな」
目印となる茶色い屋根を発見し、私はほっと一息つく。私の目の前に現れたその家は小さめだがとてもしっかりとした作りをしており、隣には小舟を停泊させるための格納庫が備え付けられている。
そこに停泊している船は、作りから見ても間違いなくこよみの船。どうやら今夜は仕事には出ていないらしい。
「ホッ……よかった」
途中で行き違いになることもなく無事に会えそうだと安心した私は、軽く身だしなみを整え玄関の扉を三回ノックする。
――返事は、ない
「あれ? 船があるってことはお仕事じゃないはずなんだけど――――あれ、扉が」
中からの返事がなかったのでもしかしたらと思いドアノブを引いてみたところ、扉は一切の抵抗なく簡単に開いた。普通家を空けるなら戸締りは万全にしていくはずなのだが・
「い、いいの、かな? 中に入っても。……(ゴクリっ)し、失礼しまぁーす」
物音を立てないように静かに扉を閉め、可能な限り床をきしませないよう注意して廊下を歩く。中は驚くほどに静かな雰囲気で、お音をたてないように進む私の足音や隙間を通り抜ける風の音が嫌でも目立って聞こえてしまう。
本当にこよみは家にいるのだろうか? もしも今彼女が帰宅してきたら、私は家主不在の家に無断で侵入した悪人以外の何物でもない。今更ながらに入ってきたことを後悔し始めた。
「もしもーし……こよみさーん」
リビング、キッチンなどの扉で区切られていない部屋をまず見回り、こよみがいないことを確認する。照明が消えている時点でいないことはわかっているが、一応呼び掛けもしておく。
呼びかけ、足音、どれにも一切の反応なし。となるとやはり廊下の途中にあったいくつかの小部屋の中だろうか。無断侵入しておいて今更な気はするが、もしかしたら人に見られたくない部屋もあるんじゃないだろうか。などと考えるとこのまま日を改めることが正解なような気がする。
とても今更な結論に達した私は、行きよりもさらに物音を殺して出口を目指し進む。
ガタッ
「ひぃぃっ!? んぐっ!?」
扉の前を横切ろうとしたその瞬間に、部屋の中から物音がしたために意図せず大きな声が出てしまった。すぐに口を塞いだが、今更塞いだところで時すでに遅し。
部屋が再び静まり返りこのうるさい心臓の音が鳴りやむまでじっとその場で待機する。物音の正体はこよみだろうか? 隣の部屋から聞こえてきたが。
「んぐ? ……んぐっ!」
この部屋だけ、この部屋だけ覗いてみよう。中には入らないし扉の隙間から中を覗き見るだけ。それだけならこよみも許してくれるはず!
誰に対しての言い訳なのかはわからないが、私は自分の正当性をでっちあげると意を決して小部屋の取っ手に手をかけた。ゆっくり持ち手をひねり、つっかえを外して扉を奥に……
「んん~?」
声を漏らさぬよう片手で口を閉じたまま部屋の中を見渡す。……特に変わった様子のないただの寝室のようだ。左手に見える一人用のベット、壁には時刻を示す時計がかけられ、真ん中には大きく膨らんだ毛布がおかれている。いたって普通の一人部屋だった。
―――― んん?
「(なに、あれ)」
部屋の中央に鎮座する、同考えても不自然な山状に膨らんでいる毛布。中に何かが入っているとしか思えないそれは、無視するにはあまりにも異様な物体だった。しかも……
モゾッ……モゾッ……
「(気のせい、かな? 毛布が不規則に動いているような……)」
動いている……いや、震えている? とにかく普通じゃないことは確かであり、私は約束を忘れ静かに中へと入り毛布へと近づいていく。
毛布までもう目と鼻の先、腕を伸ばせば触れられるかという距離にまで近づいた時、それは起きた。
「ウ”ッ……ウ”ゥ”……」
「!!」
隠された毛布の内側から、確かに人の声が聞こえた。苦し気な呻き声であったが、声の特徴ははっきりと分かった。
この中にいるのは間違いなく、こよみだ!
「……こよみ? こよみだよね?」
「……コ”……コ……?」
「! こよみ! 大丈夫!? 苦しいの!?」
「コ……なイ……で」
「毛布の中じゃわからないよ! 顔を見せて!」
「だ……メ……ニゲ……テ!」
「こよみ!!」
バサリッ……
毛布の一部をつかみ、私は勢いよく引っぺがした。この苦しみ方は普通じゃない、症状を見てみないと。
ただ彼女を助けたい一心で行動を起こし、私は生身の彼女を見た。
―― 見てしまった
「!?」
「コ……コ……」
″緋い″
彼女の瞳が、まるで今夜の月のように真っ赤に染まっていた。けれどその赤は、美しくなかった。
例えるなら血、生き物を生き物としてみていないかのような狂気の目。
例えるなら炎、他者を恨み醜く燃える復讐の炎
人間の業が現れたようなその瞳に、私は二度目の悲鳴をこぼした。だが、問題はこれだけでは終わらない。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!」
「こよみっ!? グアッ!!??」
彼女の両の手が私の首をがっちりととらえる。腕に込められた力は尋常ではなく、喉奥の気管すら圧迫されている。今の彼女の力なら、いつぞやの荷車すら簡単に引っ張ってしまえそうだ。
「こ”……よみ……どう……じて?」
私を組み伏せるような体制になったことで、彼女の隠れた左目も露になる。かすかな希望にかけてみたが、どちらとも真っ赤に染まっていた。




