後悔と相談と side:キリエ 第七十二話
「…………」
家屋の光がすべて消え夜空が透き通って見える時間。人々が寝静まった深夜に、私は一人佇んでいた。
「…………はぁ」
溜息一つ吐き出せば気持ちが落ち着くかもと思ったけど、結果は日差しの落ちた夜の風をより強く感じるだけに終わる。
――偶然か、彼女が今佇む場所というのは、ココがレンと二度目の再会を果たした場所であった。――
「…………」
考える場所を求めて此処に来たというのに、先ほどからため息をつくばかり。悩みに一筋の光を求めた結果がこのありさまでは、考えをまとめることなどできはしないだろう。
私がこれほど頭を抱えている理由は、先ほどのパーティーでの一件。
『私は、離れようと思う』
『そ……そう、だよね』
私の一言を聞き大粒の涙を流すココ。ナツメ達が現状維持を申し出る中で、一番付き合いの長い私が友情の放棄を伝えてしまった。
彼女を裏切ってしまった。どんなにそのことを後悔しても、もう私とココの友情は戻らない。
「……フ、フフ」
目の端から涙があふれてくる。おかしな話よね、自ら望んでなった結末だというのに後悔だなんて。
……仕方なかった、仕方なかったんだ。たくさんの苦労の上に成り立った今の立場を、服屋としての立場をなくすわけにはいかないんだ。
『お姉ちゃ~~ん』
『キリエお姉ちゃん!』
『おう! キリエ!』
『キリエちゃん、いつもありがとうね』
『キリエ、わしらのためにすまんのぉ』
「……間違ってない。私は、間違ってないんだ」
ココの言葉を最初に聞いた時、本音を言えば友達を続けるつもりでいた。どんなに危険な道だろうと、ココと一緒にいられなくなることの方が怖かったから。
でも、結局は友情より自分の立場を優先した。決定的だったのは、シルクの言っていた一言。
『私はココちゃんの友達である前に、従業員の命を預かる経営者。私一人の判断で他人を巻き込むわけにはいかないわ』
私がたくさん苦労をして今の店を立ち上げたのはいったいなぜか。お金がなくて困窮していた孤児院の皆を楽にさせてやるためではなかったのか。
自惚れととられるかもしれないが、今の孤児院の運営費はほぼ全て私の収入で賄っている。もしもココが女王に目を付けられ、店の経営が差し止められたら? 最悪、孤児院自体がなんらかの被害を被る可能性だってある。
そうなればよくて貧しい生活に逆戻り、孤児院すらなくなってもっとつらい思いをさせるかもしれない。
「くっ、ぅぅっ!」
考えすぎだろうか、いや、可能性は十分以上にある。
私はココと孤児院の皆を天秤にかけて、私は孤児院を取った。付き合いの長い方を、取ってしまった。
「ごめんねっ……!! ごめんなさいっ!!」
貴女はその日に出会ったばかりの私のために、全てを捨てて助けてくれたというのにっ!!
私はそんな彼女の思いを裏切って、自分の事情だけを考えてしまった。こんな醜い私が彼女の友達を名乗ろうなんて、思い上がりも甚だしかったんだ!
「ぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁ!!」
私以外存在しない暗闇の中で、私は声を抑えることもなく泣き喚いた。すでに繋がりの潰えた過去の友人に謝罪しながら。
私は影、影に生きる人間。誰かがいなければ存在せず、一度なってしまえば離れることは叶わないのだ。
――――――
――――
――
……
ガラガラ……
「いらっしゃ……あ、キリエちゃん! おかえりなさい」
「ただいま帰りました」
そのまま仕事場に戻るつもりだったのに、何故か私の足は孤児院に向かっていた。大人はみな寝てしまっているだろうし、子供たちの寝顔だけでも見ようと玄関を開けると、目の前に紙の束を持った女性が立っていた。
「どうしたのこんな夜遅くに? 今日はお友達とパーティーだったんじゃ?」
「先ほど解散しまして、近くまで来たので寄りました。夜遅くにすみません」
「……何かあったのね?」
「!? ど、どうして」
「目元が少し赤いわよ? あと、貴女が落ち込んでいるときはいつもより口調が整うの。気づいてなかった?」
子供たちの寝顔を見て帰るまでなら隠し通せると思っていたが、こんなにも早くバレてしまうとは。
「……えぇ、少しだけ」
「おじいちゃんは書斎にいるわ。まだ起きてると思うから行ってきなさい」
「大丈夫です。それに、迷惑になってしまう」
「な~に言ってんのよキリエは~」
紙束をすべて片手に抱え、空いた方の手で私の頭をなでる。いきなりのことに驚く間もなく、彼女は言葉を続ける。
「頼りないかもしれないけど、私たちは貴女より数十年長生きした大人なのよ? 貴女の悩みを聞くことくらいできるわ。貴女はまだ未成年、本来なら大人にいっぱい甘えて迷惑をかけることも許されるのよ。さ、こっちこっち」
「……えっ、あっ」
腕を引かれ、暗い廊下を二人で歩く。床のきしむ音を耳にしながらおじいちゃんの書斎に行くなんて、いったいいつ以来だろう。そう思えるほど、ここ数か月は仕事漬けの日々を送っていた。
先導されながら廊下を歩き、奥にかすかに光の漏れる部屋が現れる。彼女はそっと扉を叩く。
「失礼します院長、お客様をお連れしました」
『こんな時間にかい? わかった、通しなさい』
「はい! ……キリエ、行ってらっしゃい」
「……はい、失礼します」
ここまで連れてきてくれた女性と別れ、私はおじいちゃんの待つ室内に入った。中ではおじいちゃんがランプの光源を頼りに、なにやら文字がびっちりと詰まった紙束を読み込んでいた。
「ん? おぉ。キリエか。よく来たな、どうしたんじゃ? こんな真夜中に」
「作業の邪魔をしてごめんなさい、おじいちゃん」
「構わんよ、仕事よりお前さん優先じゃ。要件は……悩み相談といったところかな?」
「!! やっぱりわかるんだ。私ってわかりやすいかな」
「伊達に数十年一緒に暮らしておらんわい。それで、話を聞かせてもらってもよいかの?」
「……うん」
私は、おじいちゃんに悩みをすべて打ち明けた。おじいちゃんは私が話している間も、表情一つ変えることなく真剣に聞いてくれた。
悩みを一言ずつ打ち明けるたびに、胸の奥が少しづつ軽くなっていくのがわかる。
「そうか、ココが王女様とのぅ。なかなか面白いことになっておるな、ほっほっほ」
「……私、どうしたらよかったんだろう」
「……キリエよ、一つ聞いてもよいか?」
「?」
「お前は今、どうしたいんじゃ?」
「私の? それはもちろん、孤児院を守ってお金を――」
「そうではない、今はわしらのことは忘れるんじゃ。キリエの心からやりたいことを聞いておるんじゃよ」
私の……したいこと。そう言われてもすぐには浮かばなかった。
私はココを裏切り孤児院を選んだ。なら孤児院を守りお店の売り上げをもっと良くしようと考えるのは当然のはず。それ以外にやりたいことなんて――
「……こうなってしまったのも、全てわしが不甲斐ないせいじゃのぅ」
「おじいちゃん?」
「よいかキリエ。おぬしは今、自分を見失っておるんじゃよ。自分の心に蓋をしすぎて、本来の自分がわからなくなっておる」
本心がわからない? そんな、私はいつだって孤児院のために……
「よいかキリエ、本来孤児院はおぬしが気にする問題ではないんじゃ。それらはわしらが考えることで、キリエは好きなように生きる権利がある。こよみのようにな」
「こよみ、みたいに?」
「そうじゃ、好きなようにじゃ。自分のやりたいことをやり、好きな暮らしをし、好きな相手と添い遂げるんじゃ」
「好きな……相手と?」
頭に浮かぶ、ただ一人の影。大好きだと心から言える、私が裏切ってしまった彼女を。
おじいちゃんは私に好きなように生きろという。でももう、手遅れだ。
「……わかんない、わかんないよおじいちゃん。私はもう彼女を裏切ってしまった。今更好きな人と添い遂げることなんて……私には、もう」
「ほっほっほ、わかっておるじゃないか。キリエはココと一緒にいたいんじゃろう? ならば彼女の側にいてやりなさい。わしらのことなど気にせずにな」
「でも……」
「一度も喧嘩せずに終わる友情は脆いものじゃ。お主の気持ちが本物だというのなら、何度でもやり直せばよい。失敗し、反省して、やり直すことは若者の特権じゃよ」
「おじいちゃん」
……正直、まだ心の整理はつきそうもない。でも確かに、私が進むべき道の一つが示されたように思う。




