出現と運命と 第六十二話
「…………」
「…………」
互いに牽制し合い、じりじりと距離を詰めては攻めるタイミングを見定める。
エリの鋭利化は文字通り矛のように全てを切り裂くことができ、サクヤさんの鉄纏は逆に盾としてあらゆる攻撃から身を守ることができる。今は両者ともに相手への有効打を持っておらず、いかにして敵の隙を突くかという読み合いが行われているのだ。
「ーー ガルルルルッ ーー」
「……え?」
その音は、屈んだ状態で戦いの行方を見守る私の背後から発生した。人間ではない、知性を持った獣の声。
それに反応し振り返る私の視界に入ったのは、ある一点を中心に立ち込める高濃度の煙。薄らぼんやりと宙を舞う煙ではなく、煙とそうでない部分がはっきりと分かれて認識できるほど濃ゆいものが、無数に尾を引き一点に集まっていく。
「つ、椿さん!?」
「……るさねぇ。許さねェェッ!! ウォォォォォォオ!!」
「ひうッ!?!」
蛇に睨まれた蛙の気持ち。決して大袈裟などではなく、獣に狩られる動物の気持ちを味わった。なぜなら私が振り向いたとき、初め視界に映ったのは人ならざるものだったからだ。
「あっッッ!?」
吹き荒れる強風にやられ、私の体はテーブル側面に叩きつけられる。
白煙を全身に纏い、風に靡く金の髪は白いタテガミとなり、手足は鋭い白爪となる。姿勢は直立からやや前傾姿勢となり、新たに形作られた顔からは威厳すら感じた。
「ガルルルァァァァァァアッ!!」
その姿を言い表すならば、" 白狼 "。私がかつて読んだ、『月狼』という本に登場する銀狼のよう。
「ッ!」
「椿ッ!?」
姿を白狼へと変化させて数秒が経過した後、彼女は雲のようにふわりと宙に浮き、次の瞬間には風よりも早く空を駆け抜けた。
目的は、仲間を殺した人間への復讐だろう。白煙の尾を引きながら高速で向かう彼女の先には、同じ白の髪を持つ奴しかいないのだから。
「ガァァァァァア!」
「読めてますわ!」
床を叩き割る強力な一撃を前にして、エリは攻撃の軌道を直感で予測することで回避する。テトさんの幻視能力にも似た彼女の能力は、いくら強力な攻撃が来ようともその一切を無に帰す。
地につけた腕をゆっくりと持ち上げる椿さん。万事休すかに思われた。
「攻撃の後が隙だらけ。そのようなノロマな動きで、私の前に立つなどとーー なッ!?」
だが、そうはならなかった。サクヤさんに対し使用した速度重視の突きを今一度椿さんに向けて放つエリだったが、レイピアの剣先が彼女の体を刺し貫くことはなかった。
剣が抜け、腕が抜け、やがて煙の体をエリの全身が通り抜けた。
「私の攻撃が、当たらなかった……!?」
「ガルゥァァァァァァア!!」
「くっ!?」
椿さんの白煙の腕が彼女を掴む。例えエリの攻撃が透過されようとも、椿さんが相手に触れられない理由にはならない。
「!! あの時の!」
それは、私が椿さんと初めて会った時。チンピラの持ったナイフが椿さんの体に刺さったと思ったら実は刺さっていなかったという珍事があったが、あれは彼女の煙の能力に由来するものだったのだ。
「うっ……くっ!」
「てめぇは絶対に許さねぇ。このまま腹を握り潰して、苦痛と痛みに塗れながら殺してやるッ!!」
「あ"ぁ"ぁ"ッ!!」
椿さんの白狼の腕が、エリの体を徐々に徐々に絞め上げる。肉を絞るググッと言う音が私にも聞こえるほどに強く握られており、彼女に対する椿さんの殺意がひしひしと伝わってくるようだ。
「はな……しなさいッッ!!」
片手に握ったレイピアを振り、体を掴む腕を目掛けて数回の斬撃を繰り出すエリ。だがその攻撃は、彼女の腕を切り落とすどころか僅かな煙のブレすらも生み出すことはなかった。
「な……ぜ……!?」
「ハッ! 滑稽だなクソ野郎」
彼女の持つレイピアは、ただでさえ切れ味を優先して作られた細い刀身を自身の能力によってさらに鋭利な刃にしている。
物質を切断する上でこれ以上の刃物はないのだろうが、煙のような気体を相手にするのならばそれは返って自身の首を絞めることとなる。
私たちが煙を払う際に、『うちわ』と『木の棒』のどちらを使うというのか。
「……っ」
「俺の仲間に手を出したのが運の尽き。てめぇはこの後地獄に落ちて、奴らの仕返しを甘んじて受けるんだなッ!!」
「……たし、かに」
苦痛に耐えながら、力を振り絞り口を動かすエリ。椿さんの腕の中で、彼女は一言ずつ確かめるように話し始める。
「私の……見通しが、甘かった! それも……甘んじて受け入れましょう! ーー ですが!!」
「「「ッ!?」」」
一際強く、彼女は叫ぶ。
「先を予感できるこの私が! 何も準備をせずこのような場所に来るとでも!!」
「あ? 何言ってんだ、お前」
「なにっ?」
「サクヤさん……?」
何かを予感したのか、サクヤさんは驚愕の声を口にする。だが椿さんは、一向に彼女の言葉を気に留めない様子。
「例えこの状況をどうにかできようと、それはてめぇを雑巾にした後で考えることだろうが。下手な命乞いが通じると思うなよ!」
「椿! 少し待て!」
「あ? なんだよさく……ーー」
途端、部屋中に響き渡る轟音。今まで白煙しか存在しなかったこの空間に、突如として茶色の砂埃が巻き上がる。
何かが壁へと衝突し、強い衝撃と音を発生させたのだ。
その何かとは、
" 狼煙化した状態の椿さん "
「グハッ!?」
「!?」
「!!」
私も、サクヤさんも、飛ばされた椿さんも。誰一人状況についていけなかった。物理的な攻撃を受け付けないはずの椿さんが吹き飛ばされた。つまりそれは、彼女の煙化した体に触れられる何者かが今この部屋に存在するということ。
人間が特別な道具もなく煙を殴ることなどできはしない。何か特別な……能力でもない限りは
「ケホッ! ケホッ!! ……遅いですわよ、レン」
「申し訳ございません、お嬢様」
「ッ! いつの間に」
レン。そう呼ばれたメイド服姿の女性は、エリに対し軽く頭を下げ謝罪する。先のやり取りからして、椿さんを吹き飛ばしたのは彼女なのだろう。気体に触れることができる能力とは一体どんなものなのか、凄く気になる……の……だが……………
「(あれ?)」
今、私の視線の先にはメイドがいる。レンと名乗ったメイドが。顔立ちは私の知る人達に負けず劣らずの美人顔。服装が派手なことを除けば、特別私の中の何かを刺激するような要素はないように見える。
だが、なぜか私は、彼女に見覚えと妙な違和感を感じた。
「(なんだろう……この感覚)」
例えるならそれは、庇護欲。
彼女を守らなければならない、彼女を助けなければならない、彼女を裏切ってはならない。そんな考えが私の頭を染め上げる。
初めて会ったはずなのに何処かで会ったことがあるような気がする。
「それで、目的は達成できたのですか?」
「全て滞りなく終了いたしました。生き残りである彼女を除き、この場に所属する人間は全て排除しております」
「そう、ならば問題ないわ。約束通り、貴女の願いを一つ叶えさせて差し上げます」
「感謝いたします、エリ様」
「ッッッッ!?!?!」
ーー 目が、合った。ーー
彼女は磨き上げられた靴を軽く前に出し、一歩一歩前へと進む。寄り道曲がり道一切せず、私の元へと直進する。
私は、一歩も動けなかった。
「クッソォォォ!! 邪魔すんじゃねぇぇぇ!」
「おっと、ココの元へは行かせないよ」
立ち上がった椿さんは突進し、サクヤさんはケースから弾有りの銃を一丁構える。
二人が間に割って入ってくれたことで、多少の安心を得たのも束の間。
「邪魔をしないでいただきたい」
「「ッ!?」」
気づけばレンの姿は、一瞬にして二人の壁を超えて私の目の前にあった。スピード? 視線誘導? そんなものでは決してない。
まるで時間が一瞬止まっていたかのような動きとともに、私は距離を詰めて再びメイドのレンと向かい合った。




