気怠さの発覚と 第三十八話
翌朝、農業区中央広場。
「……すぅ……ふぅ……」
横長の椅子に腰掛け、頭を垂れて姿勢を楽にする。
昨日の夜も吐血し、しかも過去最高の量を吐き出した。風邪の時みたいにボーッとする頭に金属を打ち付ける音はよく響き、これから起こる地獄を知らせるギロチンの音のように思える。
「う、うぅ……」
ただでさえ締め付けが落ち着くまで眠れないと言うのに、金属の音がトラウマになってさらに眠りは浅くなっている。
宿でじっとしているのにも耐えられず、時間にはまだ早いというのにこうして広場まで来てしまった。
「ああ……きつい。辛い……」
寝不足、貧血、食欲減退。
状態だけを見れば外出なんてもっての外だなと自笑する。
朝早くというだけあって周囲に人は全くいない。おかげで沢山の人の声に頭を痛めずに済んだ。
「うぁぁぁぁ……」
「……あ、この間の」
「……ぁ?」
俯きから一転し頭上を見上げ死人のような呻き声を出していると、さっきまで人影すらなかったはずの隣から声がかけられた。
しかしその声は、私にも予想外の人物。
「は、花屋の店員……さん?」
「この前はお買い上げありがとうございました。気に入っていただけましたか?」
人影の正体は、今日キリエと共に行くはずだった花屋の店員。この前の可愛らしいエプロンは付けておらず、やや地味ながら一般的な服装をしていた。
「あ、はい。友達がとても気に入ってくれて、おかげで仲違いすることもなく穏便に済みました」
「そうですか…… それは、よかったですね 」
優しく微笑む店員さん。しかし、どうも昨日キリエと話した内容が出てきてしまい、今の店員さんに怪しさを感じずにはいられない。
駄目だな私、そんな先入観なんて持ってはいけないのに
「こんな時間に人がいるのを初めてみました。どうしてこちらに?」
「あぁ……えーっとですね」
言葉に詰まる。だって言えないじゃないか、貴女を疑っていますなんて。礼儀以前に失礼すぎるだろういくらなんでも。
「隣、いいですか?」
「どうぞです」
「失礼します。……すみません、いつもこの椅子で一休みするもので」
「そうなんですか。ごめんなさい、知らずに使ってました」
「いえいえ、私が勝手にそうしてるだけですから」
やっぱり、私にはこの人が悪い人には思えない。私のこの耳鳴りや吐血も、きっと別の要因だったんだ。
そうに違いないと私は考えた。キリエにシルクさんにテトさんと、今まで私に親切にしてくれた人は皆優しい。
きっと、この人も優しい人なのだろう。この時の私は、能天気にもそう信じて疑わなかった。
「それで、さっき言い淀んでいたことをお聞きしてもいいですか?」
「えっ? うーんと……怒らないで聞いてください、ね?」
「はぁ」
私は保険として前置きを告げてから、本来キリエと共に聞くはずだった内容を店員に話す。私が話終わるまで、店員さんは目線を一度も外すことなく真剣に聞いてくれていた。怪しい様子や動揺もなく、私の希望的観測は確信に変わった。
「最近ずっと耳鳴りと吐血が酷くて、今日も寝不足なんです。……ごめんなさい、いきなり失礼なことを聞いて」
「そうですか……それは大変ですね」
やはり、彼女は悪い人間では ーーーー
「ちゃんと効果が出ているようで、安心しました」
ーーーー えっ
「今……なんて」
「ふふっ。これを使うのは初めてでしたけど、本の通り、効果が出ているようでなにより」
「なんっ、え? てんいん……さん?」
「店員、では呼びづらいでしょうか。私のことは"ナツメ"と呼んでください」
一度得た確信は、いとも容易く崩れ去る。
先程までの控えめな様子は鳴りを潜め、玩具を与えられた子供のように楽しげにしている。
その姿に私は、得体の知れぬ恐ろしさを感じた。
「な、何を……」
「知りたいですか? 貴女の眠りを妨げる痛みの正体……それは、これです」
そういって彼女が胸元から取り出したのは、藁で編まれた人型の人形。胴の部分には、微かに赤いシミが付いている。
「藁、人形?!」
「えぇ、そうです。藁人形。この前薔薇につけて頂いた、貴女の血が入ってます」
まるで本物の人形のように、私に楽しげに見せつけるナツメの姿。態度や口調は喜色満面であるというのに、彼女の瞳。
そこには、感情の波が感じられなかった。
「そして、この釘を差し込めば……」
「ウッ!? ゴエェァッ!?」
今朝流した血の量を遥かに上回る血が口から溢れ出してくる。足元には血溜まりが生まれ、私の衣服にも大量の血が付着する。
「フヒッ、ヒヒ! 本当に、血が出てる! 私の手で! 私の力でっ!!」
「ナ……ゼ……!」
血の味しかしない口で、私はなおも彼女を信じ疑問を呈する。腹を抱えて狂い笑うナツメは、無感情の瞳をこちらに向ける。
「フフフヒヒヒヒッ!! 不思議ですか!? どうして私がって思ってますか!? えぇそうですよ!? 誰でもよかったんですよ!? 私は人が苦しむ姿を見れれば、それだけでいいんです!!」
「ド……シテ……?」
「嫌いッ! 嫌いッ嫌いッ嫌いッ!!!! 私はねぇ!? 人間が嫌いなんですよ!! 自分の気に入らない相手は容易く陥れる!! 気に入ったやつは使い潰す!! 理不尽に怒り!! 取り入るために優しくして!! その癖、自分のことを棚に上げて誠実に生きろなどとのたまう!!」
「っ! ……ケフッ、ケフッ!」
「フヒヒヒヒヒハハハハハ!! 私は私が人間の皮膚を! 血を! 肉を! 頭を持っていることが気に入らない! 苛立たしくて、ムカついて、気持ち悪いッ!! あなたには特別に、私の力を見せてあげますよォ!! 私の欲望を満たしてくれたお礼にッ!!」
瞬間、ナツメの全身に変化が起きる。彼女の手に持っている人形と同じ藁が、彼女の全身を包んで肉体を変容させていく。
私は口に溜まった血の塊を吐き出し、いつでも逃げられるよう立ち上がり様子を伺う。
「ハハハハハハハハハハハハ!! やっぱり私はこっちの姿の方が好きだッ!! 自分が人間であることを忘れられる! 生き物である事実をかき消してくれるッ!!」
人肌が完全に藁に変化し、人型から半人型へと変わる。顔も表情の見えない笑みで固定された影のみ。まさしく彼女の姿は、人というよりはモンスターと呼べるものだ。
「何が貴女を……ここまで……コフッ」
「貴女個人に恨みはありませんけどねぇ!!? 私にとって人間は例外なく恐怖の対象なんだ!! でもまだ足りないっ! もっともっと私に苦しむ姿を見せて欲しいっ!! 今まで私がやられたようにっ! 今度は私が貴女をいじめてやるっ!!」
「っ!! あぶ……ないっ!」
身に覚えのない恨みをぶつけられるが、今の私にそれを指摘する余裕などない。想定外の逆流で喉の痛みは過去最高。呼吸が鼻のみになってしまい呼吸もままならない。貧血に酸欠のダブルコンボ。コンディションは過去最悪だ。
「ハハハハハハ!! 恐れろ! 泣き叫べ! 私に怯えた表情を見せろォォォ!」
「カヒュッ……カヒュッ……!」
指先には爪の代わりに五本の釘を立たせ、それを遠慮なく突き刺し私を襲うナツメ。
避けた後の地面には綺麗に五つの穴が空いている。
「ケホッ、ケホッ! ……くっ」
「逃げるなぁァァァァァッ!!」
「ゴボォォォァッ!?!」
今日三回目の、多量の吐血。その際に足元を滑らせてしまい、自身で作った血の跡に顔を付けてしまう。
「ゴボッ! ゴホッ!!……ハァ、ハァ」
「ヒハハハハ!! 最高ッ!! 最高だよォォォ! ハハハハハハ!!」
倒れた私の後ろで、彼女は変わらず狂った笑いを発している。
私が信じた、キリエやシルクさんと同じだと考えていた彼女の姿は、偽物だった。




